誤った個人主義の根源について

本稿、個人主義の弊害を掲げる言論人の主張に対する私見。




最近、幼児虐待に係わる悲惨な事件が相次いでいる。個人主義の弊害があるとしている。

―― 参考情報 ――――――――――

【古典個展】誤った個人主義の弊害 大阪大名誉教授・加地伸行
https://www.sankei.com/column/news/190624/clm1906240007-n1.html

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主張としては見事である。その前に、私は、かような名文を支持される方々に問いたい。



幼児虐待事件は、社会状況の反映である。そういう事件が起きる、必然がある。
親が家族、家族の中の弱い者に暴力を振るうのは、社会や職場の中で逃げ場がなくなっているからだ。(私見)そして、犯罪容疑者のモラルは、犯罪容疑者個体において突然変異の如く形成されたのではなく、その前の世代の道徳観と関係している。



彼ら世代を、社会的、経済的に追い詰めている世代はどの世代なのか?
真摯に考えるべきだ。

生活保護を特定の素性の人たちが、受給し続けていることについて、もっと問題視すべきではないか?
年金、払った以上に貰い過ぎの世代があるではないのか?
健康保険、老人たちは現役世代に依存過ぎではないのか?介護保険料も。
老人世代に、医療費高騰に直結する、高度先端医療の保険適用は果たして必要なのか?

幼児虐待に至った世代、年金、健康保険料等の負担が軽減されていれば、彼ら世代での虐待は少しは減った可能性はないのか?



私は、上記名文を支持される方々に言いたい。



最近起きた事件の中で、もっともモラル的に酷い事件は、あの通産OBによる、池袋での暴走運転事故ではないのか。



通産省で出世、勲章を貰い、天下りで蓄財し、あれほど便利な場所に住んでいて、90歳近くまで運転するという了見を私は疑う。
続いて、モラル的に酷い事例は、大金持ちで親から貰った株券の譲渡所得を誤魔化し、首相となり、脱税事件をもみ消したケースである。その人物はルーピーであるとオバマに馬鹿にされた以降、韓国などで土下座巡業を繰り返している。
女性の貧困調査を称するいかがわしい行為を行い、文科省次官で退職し、退職後は文科省官僚としてのモラルを疑うレベルの政治活動をしている者もいた。

これら、元首相、文科省事務次官の行為は、捜査対象となることはない。通産OBはいまだ逮捕されていない。エリート層の特権を座視、放置してきたことで、誤った個人主義の根源として、「バレなければ、何をやろうが許されるという風潮」が社会全体に蔓延しつつあるのではないのか。
エリートと言えば、一般人の私に対し、「君、私が〇〇の権威であることを知らないのかね」という言葉を放った、偏差値75近い学科の卒業生のご老人も該当する。

これも「権威という公的?肩書の私的使用」(=誤った個人主義)の悪しき事例だろう。権威というのは、何のために存在するのかということである。



私は、我が国のエリート層のモラルの低下を指摘している。



モラロジー研究所なる組織がある。

https://www.moralogy.jp/

しかし、私は、彼らの活動に期待しない。
HPの写真から、若者たちだけにモラルを押し付けているように見える。啓蒙されるべきは常に若者だけなのか?「道理としてのモラル」は、老人世代、現役世代、学生、等しく賦課されるべきもののはずである。



対して、論語の世界は、老人が道徳を説き、現役世代や若者が従わざるを得ないような一面がある。ともすれば、老人が、老後を生き抜くために、老人に有利な道理を説き、若者が従わされるということが起きる。儒教社会の悪しき一面と私はみる。かくいう私も、ある親族から、不愉快な不当要求を受けている。

残念ながら、手本になる人がまったく見当たらない中で、論語の有効性を説く意味はあるのかということ。自己犠牲を嫌う人達、自己犠牲を嫌う世代が論語の有効性を説いても、今の現役世代、若者世代にとっては「老人を優遇する道徳」(年金、健保等)を強制されたとしか思わないのではないか?

それどころか、私には、自己犠牲を前提とする、手本になることを嫌う人達ばかりが、社会全体のエリート層を形成しているように見える。



こんな見方もできるかもしれない。

保守系の論客なら、いい加減な皇国史観の通史本が発売され、三島由紀夫の自決について記述がない場合、当然問題視するはずだが誰も指摘しない。沼山光洋氏が自決したことについて、皇国史観の歴史家なら、三島由紀夫の自決と関連づけて平成について総括するはずだが、そういう立派な主張を見かけることはほとんどない。

これは、保守派の論客に対する、言論モラルとしての批判である。
保守派の論客の大半は、要領良く立ち回る術に長けているように見える。



年長者として、下の世代に対し、モラル的なことを含めて主張することは重要だ。しかし、それは同時に、自分たち世代について、あまりにひどい個人主義の老人に対しても、同様の主張は向けられるべきではないのか。また、下の世代に対し、苦言するなら、自ら手本となる、自身に自己犠牲を強いるなど、苦行を意識し、行動で示すべきではないのか?

「歴史をつかむ技法」(山本博文)にはこう書いてある。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

私は、歴史的思考力とは、現代に起きる事象を孤立したものとしてではなく、「歴史的な視野の中で考えていく」ということだと考えています。
現在、世の中で起こっていることは、事象そのものは偶然に起こったものかもしれませんが、そのすべてに歴史的な背景があります。このことに留意できる歴史的な知識とそれを参照して考えられる思考力、つまり知性が必要です。そしてまた、そもそも私たちの考え方自体も、歴史的に形成されてきた所産だということに留意することが必要です。そういうことを自覚することが、「歴史的思考力」なのだと思います。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

悲惨な事件が起きた一族において、その背景を考えると、その世代より前の世代の生き様はどうだったのか?育児放棄する親は、子供時代育児放棄されたのではないか、、、子供を虐待する親は子供時代、実は虐待されたのではないか、、、

戦前世代、戦中世代は確かに、戦争の時代を必死に生きたはずだ。一番の問題は、戦後生まれ以降の世代。大して働かず、面倒な事案から真っ先にに逃げ、その一方手柄は独り占め、懲戒事案を部下の責任にすり替えた卑劣な輩もいた、、、幼児虐待事件などの悲惨な事件が相次ぐのは、社会の手本となるべき立場の人たち、社会の手本となるべき世代の人たちの「いい加減な生きざま」と重なって見える。



従って、うっかり、モラルを説くものではないのである。



本稿は、冒頭で紹介した、論語に詳しい学者の家族観、社会観、そして書かれた名文の趣旨について否定するものではない。が、そう語るのであれば、前提条件として日々語るべきことが、別にいくつか存在しているのではないかということなのである。

以上

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