昭和天皇の御発言 史料検証は十分為されたのか

本稿は、昭和天皇の御発言について書かれた史料係わる、歴史学的視点からの問題提起。



まず、田島宮内庁長官手記に係わる、共同通信と産経記事の比較。

共同通信記事から読んでみたい。

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https://news.livedoor.com/article/detail/16948170/

昭和天皇、戦争の反省語れず 吉田首相反対で、元長官が記録
2019年8月19日 11時56分 共同通信

初代宮内庁長官を務めた故田島道治氏が昭和天皇とのやりとりを記録した手帳やノート=19日午前、東京都渋谷区
 初代宮内庁長官を務めた故田島道治氏が昭和天皇との詳細なやりとりを記録した資料が19日、公開された。昭和天皇は1952年5月に開かれた日本の独立回復を祝う式典で、戦争への後悔と反省の気持ちを表明しようとしたにもかかわらず、当時の吉田茂首相から反対され「お言葉」の一節が削除されていたことなど、これまで研究書で指摘されていた内容の詳細が明らかになった。

 田島氏は48年、宮内庁の前身である宮内府長官に就任、49年から53年まで宮内庁長官を務めた。在任中、昭和天皇との会話の内容や様子を手帳やノート計18冊に書き留めていた。遺族から資料提供を受けたNHKが公表した。

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フェイク報道だらけと指摘されることが多い、共同通信は、昭和天皇の戦争への後悔と反省の気持ちしか、記事にするにふさわしい情報と思っていないようである。

記者とは、記事にするにふさわしい情報のみを選別して文章化する仕事だったのであろうか?




産経は、史料全体を俯瞰、何が書かれているか、昭和天皇が何に腐心されていたのか、について記者自身が史料全体を読み込み、記事にしようとしていることが伝わってくる。

―― 参考情報 ――――――――――

昭和天皇、憲法改正・再軍備に言及 初代宮内庁長官の新資料
https://www.sankei.com/life/news/190819/lif1908190024-n1.html

昭和天皇「象徴像」を模索 国民との結び付きに心傾け
https://www.sankei.com/life/news/190819/lif1908190031-n1.html

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私は、歴史研究者ではないが、史料があれば、史料の中に何が書かれているか、書き手にとって都合が良い事も悪い事も、バランス良く文章化するのが、歴史研究の基本的態度であると認識する。

政治記者たちは、歴史専攻ではなかったにせよ、大学で選択科目で歴史学くらいは受講していたはずだが、共同通信の記者は、史料の扱い方を知らず、戦争への後悔と反省に係わる情報の有無の視点だけで史料を読み込んだようである。

大学で何を学んだのかということになる。



さて、今回の手記にて、歴史学的に左程問題視されていないことがある。史料検証である。本人が書いたもので果たしてあるのか。書かれている日付けと書かれた内容について時系列的にみて齟齬はないのか。別の人が書き加えた、書き換えた箇所はないのか。

歴史は科学であると語る歴史学者たちは、科学である証左として、史料を史料検証することを推奨している。

10年くらい前に話題となった富田メモの場合は、どうだったか?
政治史学者の御厨貴はかく述べている。

―― 参考情報 ――――――――――

「富田メモ」を無条件で肯定する、政治史学者の弁
http://nihonshitanbou.blog.fc2.com/blog-entry-664.html

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この本は悪書ではないが、著者の富田メモに係わる史料検証について、科学的態度だったのか。著者の書きぶりは、雑駁かつ主観的である。明らかに言えることは、科学的手法、知見から史料検証したとは書いていないことである。

近現代日本を史料で読む.jpg


一方、有名ブロガー(パチンコ屋の倒産を応援するブログ)は、政治史学者以上の鋭さを以て、富田メモについて、追加史料検証すべきであると主張している。

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https://ttensan.exblog.jp/27731452/

まずはこちらの嘘つき共同通信らしい記事から。

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【宮内庁、靖国の陛下参拝要請断る 創立150年で昨秋】
 靖国神社が昨秋、当時の天皇陛下(現上皇さま)に2019年の神社創立150年に合わせた参拝を求める極めて異例の「行幸請願」を宮内庁に行い、断られていたことが13日、靖国神社や宮内庁への取材で分かった。靖国側は再要請しない方針で、天皇が参拝した創立50年、100年に続く節目での参拝は行われず、不参拝がさらに続く見通しだ。

 天皇の参拝は創立から50年ごとの節目以外でも行われていたが、1975年の昭和天皇が最後。78年のA級戦犯合祀が「不参拝」の契機となったことが側近のメモなどで明らかになっている。
(2019/8/13 共同通信)
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こういう情報を漏らした宮内庁の担当者は更迭で良いでしょう。
余計な事はしゃべらないに超したことはありません。
ましてや靖国を特亜による内政干渉カードとして維持し続けようというのが
マスゴミの狙いなのですから。

今回取り上げた記事は記事の後段の部分です。

共同通信は先日取り上げた
「日本がホワイト国から韓国を除外した件で米国が仲裁に入る」
とした記事でも記事の前段と後段は実は全く別の話を書いているのに
一つの記事にすることで後段で書かれたポンペオによる介入の可能性が
前段のホワイト国除外の事についてだと思わせようとしました。

この記事では後段部分に明らかな嘘が書いてあります。

この後段部分の「A級戦犯合祀が不参拝の理由」という部分は
日経新聞の社長が北京詣でを行った翌月に出された
いわゆる「富田メモ」と言われるものからの内容です。

富田メモはパヨク学者とパヨク作家(当然鑑定のプロはいない)が鑑定して本物だと決定したからもう誰にも見せませんと。
そうやって日経新聞が封印して鑑定を全く受けさせないで「事実」ということにした代物です。

日経新聞は公的な機関に寄贈する事も検討しているとしていましたが、
結局その後の話は全くありません。

日経新聞は自分たちの仲間内で鑑定してこれを根拠に
科学的には全く鑑定していないけど本物なの!
本物だから天皇はA級戦犯の合祀が原因で参拝しなくなったの!
という話にしたわけです。

その富田メモの肝心な部分はというと、
なぜかメモに書かずに紙に書いたものを貼っている事がわかります。

そして日経新聞が遠巻きにしか撮影を許さなかった
肝心の箇所の見開きの画像では、
明らかにインクの色が違っているのです。

富田侍従長が使っていた万年筆のインクはブルーブラックで
経年とともに黒くなっていくものです。
したがってその肝心な箇所がやたら青いのはずいぶんと新しいものと考えるべきで、
すくなくとも昭和63年4月28日の会見のメモと考えたら
あり得ない青さということになります。

また、昭和63年4月28日には昭和天皇は記者会見をされていません。
この日に会見をおこなったのは徳川前侍従長です。
また、このメモが昭和天皇の発言だとするのであれば
「高松薨去の時・・・云々」と陛下が発言したことにもなり、
本来であれば臣下の者が使う言葉であって昭和天皇が使うとは思えません。

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このブロガーは、歴史学を受講し、科学的な史料検証手法について熟知していたようである。


そこで、問題提起したいことがある。

当該史料について
史料検証の必要性と具体的手法について具体的に語らない、政治史学者
史料検証の必要性を学術的視点から語る、政治ブロガー
どちらが、歴史学的に妥当な判断なのであろうか?




興味深いことに、保守系言論人たちは総じて富田メモに係わる追加史料検証の必要性を指摘、史料に書かれている内容について疑念を抱いていたとの情報がある。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E7%94%B0%E3%83%A1%E3%83%A2

メモの発表当時、各界の評論家がメモの信頼性等に様々な意見や疑問を示した。

大原康男は、「メモが事実であったとしても昭和天皇がA級戦犯の合祀そのものに不快感を示していたとは言えない」と主張した。

百地章は、「公の発言ではなく非公式のメモをA級戦犯分祀論に結びつけるのは、天皇の政治利用になりかねない」と、この報道以降取り沙汰されたA級戦犯分祀論に対し懸念を示した。

上坂冬子は、「昭和天皇の意思明確にと新聞に書かれていたが、これは早とちり」「大騒ぎするほどの内容のメモではない」という趣旨で、一連の騒動への見解を示した[4]。

櫻井よしこは、「メモの内容には天皇の真意が反映されているかどうか不明」とメモの解釈に懐疑的な意見を述べた[4]。

若狭和朋は、メモが昭和天皇の発言であることについて「ちょっとタチの良くない冗談だ」という認識を示した[5]。 その理由として、メモにある昭和63年4月28日にプレスとの記者会見を昭和天皇はされておらず、その日に会見されたのは12日に退職された徳川前侍従長である。それはその記念の記者会見である。加えて、メモにある「高松薨去の時…」などと弟宮のことを昭和天皇が「薨去」と発言されるはずが無い。これは「臣下のものが宮殿下の逝去のことを『薨去』と使う」とし、このメモの内容は昭和天皇の発言ではなく「徳川前侍従長の発言」であるとしている。

岡崎久彦は、「本物であるはずがない」「昭和史の基礎的な知識があれば(富田メモに)信憑性があると考えるはずがない」と主張し[6]、死後に出版された回顧録では、
1.昭和天皇は「ですます」調の言葉は使わない
2.昭和63年頃の証言だけで、その前の証言が何十年、一切ないのも不自然
3.千代の富士が連勝を続けていた昭和63年の七月場所か九月場所の頃、(相撲が大好きな昭和天皇が)「もう相撲はご覧になっていない」と宮内庁の人間に聞いたことから、(容態が相当悪く)あの頃の証言の記録は少し怪しい
ことを根拠として挙げている[7]。

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疑念を抱いている人にそうではないという証拠を分析して示すことが、政治史学者の社会的役割だったはずである。
(御用学者?)御厨貴は、自身の社会的役割を理解しているのであろうか?




見方を変えたい。
ひょっとすると、本稿で紹介させていただいた、二つの産経記事を読んでいくと、昭和天皇は、「第二次世界大戦のA級戦犯の靖国神社への合祀に、強い不快感を示した」とされるようなお人柄だったのか。

うまくは書けないが、産経記事を読んだ印象から、象徴であらんとして思慮された昭和天皇が、(東京裁判史観的にみて)戦争責任を一身に背負った東條英機元首相について、言及することはもちろん、不快感を示す方とは思えない、、、

象徴であると意識されればされるほど、象徴であることを実践しようとすればするほど、身代わり?となられた政治家、政治問題化しやすい?靖国問題について、言及することは、変心でもされない限り、あり得ないとの結論に達するのである!



ゆえに、今回、公開された田島宮内庁長官手記と富田メモを比較し、記述されていることについて、ご発言内容に係わる論理的矛盾点が見つかれば、富田メモの追加史料検証の必要性について、歴史研究そして学術的視点から明確にすることは、靖国問題に係わる、戦後レジーム脱却のために避けては通れない作業と考える。

最終的には、「富田メモを肯定するために発刊された本」の内容が一部否定される結末となるだろうと予想する次第。


以上

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