歴史に学ぶ意味

本稿は、活動論における歴史観的な考察の必要性に係わる試論。



拡散活動も活動の一部であることは言うまでもない。
しかし、いつまで経っても拡散活動の次元で良いのか。

今まで知らないで来たことを、周知されないできたことを、知らしめる意義は少なからずある。




歴史学者本郷和人の「考える日本史」から、引用させていただく。

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3頁

「知っている」ことが「知らない」よりもはるかに価値があることは間違いない。だが、知らないならば、調べればよい。自分が知らないことを素直に認め、よく知っている人にお願いして、教えてもらえばよい。

大切なことは「考える」ことである。「知っている」ことが多ければ多いほど、「考える」作業を効率よく進めることができる。知らなければ、あるいは誤った情報しかもっていなければ、正しく「考える」ことはできない。「知っている」ことは、よく「考える」ために重要だ。「知る」ことは「考える」ことの準備段階といえるかもしれない。

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「考える価値」は「知る価値」よりも高いということである。
よって、拡散活動が主たる活動の方におかれては、知り得た事実、情報について、どう対応するか、どういう対策があるのか、どういう再発防止対策が考えられるか、より高次の活動を指向すべきと思う。




見方を変えたい。

最近は、昔のように批判一辺倒のブログは減少傾向にある。批判だけでは何も生まないからだ。
味方(同志)を鼓舞、勇気づける活動も重要だ。失意のどん底にある愛国政治家、選挙戦で不利な状況にある愛国候補者を激励することは、愛国ブロガーの使命であると私は思ってきた。


また、同時に、拙ブログは、現実に起きていることについて、歴史書の解釈を当てはめ、目先の事案にどう対応するのが国益的に最善なのか、再発を防止するにはどうしたらいいのか、官界の稟議書に書かれる文言を想定、文章化することを意図してきた。
ここで、提言型というのは具体的にどの次元であれば、提言したことになるのか、述べておきたい。
批判覚悟で言わせていただくと、「理由や根拠を書かず、政党や政治家に対し、〇〇せよという趣旨でまとめたもの」を提言と勘違いしている方が多数おられる、ような気がする。官界においては、稟議書にて、現状、提案内容、提案理由等の記入欄(稟議書を起案、決裁された方ならおわかりのことと思う)にて、現状、提案内容、提案理由、予算措置、実施体制等について、内閣法制局が行う文書審査にて、記録文書として妥当な文章表現であることを求められる、と考える。

憲法改正に係わる稟議書を起案したとしよう。ただ単に、9条を削除すべきだと書いても、提案したことにはならない。稟議書文書的には、最低限、提案内容、提案理由等について、文書審査に耐える合理的な字句の記入が求められ、記入された字句を内閣法制局が文書審査する。ただし、例外はあった?民主党政権時代、提出された「人権侵害救済法案」は、政治主導の名目の下、文書審査されなかった可能性がある。私は、内閣法制局に電話で問合せたほどである。(もちろん、内閣法制局が民間人に回答するはずはない)



要するに、提言という行為について、提案内容に付随する提案理由が、明確に記述されなくてはならず、提案理由なき提言は官界で陳情文書として扱われないと考えるのである。

では、(誰もが「難しい」と考える)提案理由は、どうすれば見出すことができるか?
歴史学者本郷和人が言うように、「考える」しかない。当該事案の調査報告書だけでなく、歴史書、法令等を読み、問題があるならば原因を特定しなくてはならない。対策が必要なら、予算、実施体制をイメージする必要がある。法改正が必要なら法律を参照しなくてはならない。法改正すべきか法解釈で済ますのかという選択肢もある。
しかし、多くの保守系言論人たちの場合、これら実務的な視点からの文章説明が不足しているように思う。特に、ジャーナリスト出身の言論人、、、




ここで、「歴史に学ぶ」というの具体的にどんな思考を意味するのか、本郷和人の「考える日本史」を参照したい。

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252~253頁
「考える」ことはもっとたいへんです。「知っている」知識を総動員して、頭の中で論理を組み立てる。よく「歴史なんて勉強して何の足しになるの?」という方がいますが、歴史を解釈するということは、さまざまな分野に進出して「知る」ことをたくさん蓄えていって、その情報を過不足なく用いて「考える」ことなのです。ですから、歴史を学ぶということは、人生で必要な、物事を「知り」、それをもとに「考える」トレーニングになるのだ、と胸を張って言うことができると思うのですがどうでしょうか。

中略

一つ一つの素材は既知のものばかりでも、それをどう組み立てるかが勝負なのです。うまく組み立てたものほど、しっくりなじむので奇異な感じがしない。

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歴史研究と政治ブログ、勘所は共通するものがあるようである。

以上

この記事へのコメント

  • カオル

    2009年8月30日から10年、民主党政権三年余の悪夢時代には戻らない

    野党勢力は、単独では何も出来ないことを自覚しているので、オール何とかを繰り出して、ケレンスキー内閣を演出しようとしている。結党100周年を間近に控えている某国政政党も、党員の老齢化を防げず、若年層からの支持を失ってしまった。とにかく一緒になろう、で失敗したのは、次○代の党だけではない。

    ただし、敵勢力は壊滅してはいない。ゾンビのように、消えてはまた、復活している。悪夢時代の再来を、決して許してはならない。
    2019年08月29日 09:29
  • 市井の人



    >カオルさん
    >
    >2009年8月30日から10年、民主党政権三年余の悪夢時代には戻らない
    >
    >野党勢力は、単独では何も出来ないことを自覚しているので、オール何とかを繰り出して、ケレンスキー内閣を演出しようとしている。結党100周年を間近に控えている某国政政党も、党員の老齢化を防げず、若年層からの支持を失ってしまった。とにかく一緒になろう、で失敗したのは、次○代の党だけではない。
    >
    >ただし、敵勢力は壊滅してはいない。ゾンビのように、消えてはまた、復活している。悪夢時代の再来を、決して許してはならない。


    この点については、国会法を改正し、与党議員が野党議員に対し質問追及できるようにすべきと思います。
    2019年08月29日 17:58
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