皇室問題 どうどう巡りのままでいいのか? 学び進化すべきではないのか?
本稿、神道論の大家、葦津珍彦の再評価に係わる問題提起である。誰が、正統で誰が異端という問題は、中世ヨーロッパ社会の神学論争にて発生した。
神道には、教義書がない。それゆえ、聖書みたいな文書を有するキリスト教と宗教上の論争になった場合、拠り所となるものがない点において、教義書を有する一神教との論理論争において不利であると、一般的には言われてきた。が、逆に、教義書がないことから、不毛な論争がなく、現代においてほぼ無傷のまま、神話の世界が伝えられたと解することができるかもしれない。ただ、こう書いている私の神道観は、本稿で紹介させていただく言論人と比較し、完成度あるものではない。
日々学んでいることを率直に書き、そのことを読者の皆様に問題提起ないし共有化したいという程度でしかない。
さて、『斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」』というメルマガ、ご存じであろうか?
http://melma.com/backnumber_170937/読者数、知名度において、引用、紹介等される方が少ないのではあるが、この数年、私は、このメルマガを時々ではあるが読んでいた。言論人の評価、知名度、本の販売実績、講演実績、政府委員就任実績等の指標で以て評価されるかもしれないが、皇室問題を語ってきた斎藤吉久氏の存在は貴重である。なぜ貴重なのか?
表現手法的に抑制され、誠実に向き合ってきた方という印象があったからだ。最近のメルマガから気になった箇所を引用、転載させていただく。―――――――――――――――――http://melm…