そして、
慰安婦と称する女性の日本側の受け入れ団体の胡散臭さが知れ渡りつつある.
大阪ニセ慰安婦ショーの迷走…公安三課が追う反日魔女
http://dogma.at.webry.info/201305/article_9.html
嘘と捏造で固めた「慰安婦活動」はただただ迷惑なだけであり、慰安婦活動を支持する、韓国人、在日朝鮮人、キリスト教信者等には、金輪際係わる気がしない。
さて、日本の売春出稼ぎというと「唐行きさん」(からゆきさん)を思い出す。
貧しさゆえの選択、騙されて……という事情だったそうだが、ロシア青年たちの人格的評価はすこぶる高い。
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http://www.karayukisan.jp/no2/cont.html
異国人相手の仕事だったので、異国人に語ってもらってみよう。日本の女は従順で正直で親切だ。外人の女のように悪辣(あくらつ)な取引をしない日本娘は第一にあきらめが良く淡白だ。第二に金銭をむさぼらぬ。第三に盗心がない。第四に親切だと、ロシアの青年たちが石光真清(まきよ)に言ったそうです。陸軍の密偵だった真清(まきよ)は、日露裏面史の陰でひっそりと咲くからゆきさんを『曠野(こうや)の花』という本に描き、平成10年にはNHKでドラマ化もされました。
http://www.asyura2.com/0601/bd43/msg/114.html
昔は飛行機がなかったので夏目漱石、森鴎外などのようにヨーロッパに留学、 あるいは見聞を広めに行く人は必ずシンガポールあたりに立ち寄った。彼らはいっぱい手記を残している。シンガポールのくだりを見るとほとんどの方がからゆきさんのことを書いており、異口同音に「彼女達には微塵の暗さがない。愚痴、泣き言をこぼさない、どうしてあんなに朗らかで明るく突き抜けたように気分でおれるんだろう、不思議でしょうがない」ということを書いている。
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しかし、その唐行きさんたちの最期は概して凄惨である。
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日本人墓地に墓を建ててもらったからゆきさんは、私の考えでは100人に1人、多くて2人ぐらいのものだったでしょう。ほとんどはそこいらで焼いて埋めるか、海や密林に放り投げるか、だったといいます。まだ息はあるのにワニのえさに売られた娘も少なくない、と語った人もいます。
身請けされて、現地人や中国人、あるいは白人の妻となったり、セカンドワイフにおさまったりする者もたくさんいました。日本人同士で所帯をもった者もいました。
http://www.asyura2.com/0601/bd43/msg/114.html
日本人墓地に行くとからゆきさんの30センチくらいの小さいお墓がたくさん並んでいる。 そこにお墓を建てて貰った人はまだ良いほうで - 100人に1人でしょうね - 残り99人はジャングルに放り捨てられる。 まだ虫の息はあるのだがワニの餌で売られた人もいる。
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それでも、驚くなかれこんな気高い唐行きさんがいたのだ。
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宮様が南方に行かれると接待の時にからゆきさんがかり出された。シンガポールあたりは昔はよく宮様も外遊された。おキクさんも最後までとうとう名前を明かさないのだが、ある宮様の一夜のお相手に選ばれる。そして、その宮様にとても気に入られ「ぜひあなたを日本につれて帰りたい、 側室として置きたい」ということで執心された。おキクさんは自分は被差別部落出身だとは言わないのだが、 「一緒に生活できるような者ではありません」と一言で断られる。皇室の宮様と被差別の女性達が交わるはずがないのに外地で男女というか座標を変えて一晩一瞬交わる。国内であれば縦で交わることはないのだが、天皇と被差別であるからゆきさん心の中では敬愛の念というか近しいものを持っていたんだろうと思います。
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そして、彼女達は桁外れの愛国者でもあった。
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日清、日露の戦役のときの軍艦や大砲などの、少なくない部分がからゆきさんからの仕送りでまかなわれた、というのはあれこれの本にみかける説です。
http://www.asyura2.com/0601/bd43/msg/114.html
例えば日露戦争のときバルチック艦隊がヨーロッパを出てアフリカ大陸の南を通って来るのだが、今なら信じられない話だが日本はバルチック艦隊の所在 - 今どこを航行しているか - について不明だった。ある時艦隊がマダガスカルに入った。そこでマダガスカルのからゆきさんたちが電報を日本に送った。 「バルチック艦隊が今マダガスカルに来ましたよ」と。その次はシンガポール。マラッカ海峡をバルチック艦隊が四十数隻黒い煙を吐いて日本に向かっている。それでからゆきさん達は「日本は滅ぼされる、 お終いだ」ということでその場で領事館に皆走り込み、かんざしを抜いたり着物を脱いだり、着の身着のまま、 あるいは自分の貯金を全部領事館に「お国のための戦争のために使って下さい」ということで投げ出した人がいっぱいいた。 外地で領事館で祝日のときはみんなが集まるのだが、そこに一張羅の着物を着てみんなの中に入っていって天皇陛下の写真を拝んで 「お祝いできることが私達にとって一番の喜びである」とも言った。 とても愛国的というか日本という国から捨てられた立場の人たちでありながら、一番実は国のことを思っていた。宮崎さんの本にあるが、彼女達はとても愛国的あるいは憂国的なのだが国家は醜業婦であるとして彼女達に対してとうとう最後まで希望も何も与ず、ただ彼女達は一方的に国なり天皇に対して影になるように健気な気持ちを通した。
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それから数十年後の、大東亜戦争の敗戦。
GHQは慰安所の設置を最初に指令したそうである。そして、対応したのが芸者さんたちだったのだそうだ。
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戦後日本の占領軍慰安所とR・A・A
http://hide20.blog.ocn.ne.jp/mokei/2012/07/post_5570.html
田母神俊雄 @toshio_tamogami5月21日米軍が大東亜戦争後日本を軍事占領し、慰安所の設置を要求した際、堅気の女性が傷つけられては大変と、慰安婦になることを申し出たのは当時芸者をやっていた女性たちだった。彼らに金儲けの意識はあったかもしれないが、当時の芸者の人たちには、国民を守るという意識があったことも事実である。
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そして、一人の女性が皇室を守る密命のために………………
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B0%BE%E9%B6%B4%E4%BB%A3
鳥尾 鶴代
三井物産社員・下條小四郎の娘として、東京市麹町区に生まれた。祖父・下條桂谷(本名・下條正雄)は日本画家で貴族院議員。1919年、女子学習院初等科に入学。1923年3月、神奈川県大磯に転居。
1946年、GHQ民政局次長チャールズ・ケーディスと知り合い、恋に落ちる(要は不倫)。これにより、ケーディスと鳥尾家は家族同然の交流を深める。鶴代がケーディスに接近したのには情報収集の任もあったという。傍ら、銀座の洋装店に勤務して家計を助ける。1948年、ケーディス帰国。
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それから数十年後…………かくいう私は、企業の社長さんが接待用に使われる料亭にて、ある芸者さんに遭遇した。
美人というよりは、とにかく上品な風情で頭が切れ機微のわかった人だった。
ちなみに、その料亭とは旧華族が経営しており、一見さんお断りで有名である。
従って、日本のその種の業種の女性達は、「日本国内に5万人とも2万人いるとも噂され、その辺にうようよいると噂される韓国人出稼ぎ売春婦など」とは、まったく格が違うのだ。
気高く、偉大なのだ。愛国者もたくさんいたのだ。
そういうことなので、東南アジアを旅行する際は日本人墓地を訪ねようと思っている。なお、バンコクのワニ園は行ったことはあるが、日本人女性を餌にしたかもしれないワニなど、二度と見る気がしない。
参考
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からゆきさんの小部屋
http://www.karayukisan.jp/index.html
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