誰が正統で誰が異端という問題は、中世ヨーロッパ社会の神学論争にて発生した。
神道には、教義書がない。それゆえ、聖書みたいな文書を有するキリスト教と宗教上の論争になった場合、拠り所となるものがない点において、教義書を有する一神教との論理論争において不利であると、一般的には言われてきた。
が、逆に、教義書がないことから、不毛な論争がなく、現代においてほぼ無傷のまま、神話の世界が伝えられたと解することができるかもしれない。
ただ、こう書いている私の神道観は、本稿で紹介させていただく言論人と比較し、完成度あるものではない。
日々学んでいることを率直に書き、そのことを読者の皆様に問題提起ないし共有化したいという程度でしかない。
さて、『斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」』というメルマガ、ご存じであろうか?
http://melma.com/backnumber_170937/
読者数、知名度において、引用、紹介等される方が少ないのではあるが、この数年、私は、このメルマガを時々ではあるが読んでいた。
言論人の評価、知名度、本の販売実績、講演実績、政府委員就任実績等の指標で以て評価されるかもしれないが、皇室問題を語ってきた斎藤吉久氏の存在は貴重である。
なぜ貴重なのか?
表現手法的に抑制され、誠実に向き合ってきた方という印象があったからだ。
最近のメルマガから気になった箇所を引用、転載させていただく。
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http://melma.com/backnumber_170937_6379552/
『国民の歴史』著者による「国民の天皇観」がウケる理由
▽1 堂々巡りが売れる!?
どうも筆が進みません。生来の遅筆もさることながら、他人さまを批判することはやはり気が引けます。できれば避けたい。対象が人生の大先輩であれば、なおのことです。
しかしどう考えてもおかしいのです。同じ話を何度も繰り返すお年寄りの思い出話ではないでしょうけど、老碩学の論議はいっこうに代わり映えがせず、さまざまに批判されたあとの学習効果が微塵も感じられません。
これは一体なぜなのでしょうか。
先生方だけではありません。対談を企画した編集者には、議論を深め、前進させるべき職業的義務があるはずですが、それが見えてない。堂々巡りの議論なら、ジャーナリストとしての見識が問われます。
いや、ジャーナリズムより商才なら理解できます。
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拙ブログは、提言型を標榜してきた。皇室問題とて例外ではない。
憲法改正とならんで、皇室典範改正は重要事項であることは、保守派なら疑う余地はない。
また、斎藤吉久氏は、竹田恒泰に対して、視点を若干変えるべきと助言している。
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http://melma.com/backnumber_170937_6370288/
過去の遺物ではなく時代の最先端を行く天皇
発行日:5/22
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過去の遺物ではなく時代の最先端を行く天皇
──竹田恒泰氏の天皇論を読む 番外編
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竹田恒泰氏の天皇論を、八木秀次氏との共著『皇統保守』をテキストに、あえて批判的に読んできました。伝統主義的天皇論の進化を心から願うからです。
きっかけは、3月の国連女性差別撤廃委員会の勧告騒動でした。女系継承を認めるよう日本の皇室典範の見直しを求めようとした委員会に、保守派が猛反発したのは当然でした。
▽1 起こるべくして起きた
そもそも天皇とは何をなさるお立場なのでしょうか。
憲法には首相を任命し、法律を公布し、国会を召集するなど、国事行為をなさることが定められています。熊本地震でもそうですが、被災地にお出かけになり、被災者と親しく交わられ、励まされます。また、諸外国を訪問され、国際親善を深められています。
これが天皇本来のお務めならば、男子であろうと、女子であろうと何ら支障はないだろうと考えられます。国家制度を安定的に維持するのが目的なら、男系男子に限るより、女系継承を大胆に認めた方が、あくまで論理上ですが、賢い選択であり、幻となった国連委員会勧告の考え方にむしろ従うべきです。
けれども、伝統主義の立場はそうではありません。そうではないからこそ、見直しは受け入れられないのです。
いみじくも、全国各地を行幸なさるのは近代の天皇であり、国事行為は戦後憲法上の行為であり、外国御訪問も戦後の天皇です。新しい「象徴」天皇像です。
古来、続いてきた天皇の重要なお務めはほかにあるということになります。皇位が男系男子で続いてきた理由も、そのお務めと密接不可分なはずです。
ところが、伝統主義的立場に立つ天皇論からはそのような説明が聞こえてきません。同じ日本人にすら説明されないのに、異文化圏の人たちに理解できるでしょうか。
今回の騒動は起きるべくして起きたのだと私は考えます。
▽2 「理由はどうでもよい」
そんなとき知ったのが、今日を代表的する保守主義者の1人と考えられる竹田氏のエッセイでした。ずばり「なぜ男系継承でなくてはならないか」と題される文章は、ある著名神社のサイトに載っています。執筆時期は不明ですが、私は期待を込めて読みました。
けれども、竹田氏は「もはや理由はどうでもよい」と突き放すだけでした。私の期待は落胆に変わりました。
「歴史と伝統」を理由に、問答無用と切り捨てるなら、意見の対立は解消されません。対立者にも分かるように、論理をもって、丁寧に説明されるべきでしょう。なぜそうしないのでしょうか。
伝統主義者の考える天皇とはいかなるものなのか、検証する必要があると私は考えました。それで、これまで、竹田氏のエッセイや著書をテキストに、「女性宮家」創設反対論、女系継承否認論、天皇=祭り主論を読み進めてきたわけです。
そろそろ結論を申し上げるべきところなのですが、そんな矢先、iRONNAに、「『天皇の原理』に難癖をつける国連委の日本差別」と題する竹田氏の記事が載りました〈http://ironna.jp/article/3341?p=1〉。
「難癖」とは穏やかでありませんが、編集者がつけたのでしょうか、説明によると、『正論』5月号掲載の「君は日本を誇れるか~皇室典範に口を挟む国連」に加筆されたものだそうです。
これまで批判的に読んできた竹田氏の共著『皇統保守』は8年も前の本ですから、もしかしたら新しいことが書いてあるかも知れません。読んでみることにします。
▽3 日本の国体原理そのもの
竹田氏の論点は、以下のようにまとめられると思います。
(1)皇位継承の原理は日本国の国体原理そのものであり、したがって、国連などにとやかく言われる筋合いはない。
(2)皇位の男系継承が女子差別であるというのはあまりに短絡的な意見である。皇位継承は「権利」ではなくて「義務」である。男系継承の制度趣旨は、一点だけいえば、宮廷から男子を締め出すことである。
(3)天皇そのものが理屈で説明できないように、血統の原理も理屈で説明することはできない。理論以前に存在する事実がある。もはや理由などどうでもよい。
(4)もし男系継承が途切れたら、学問的論争とは全く別の次元で、日本の国を揺るがす大きな問題が生じる。皇位の男系継承は、我が国の基本原理であって、これはいかなる理由によっても決して動かしてはいけない。
(5)女性が天皇になることの問題点を一つ指摘しておくと、天皇と皇后の両方を全うすることは、全く不可能なことである。全う不能な職務を背負わせられるとしたら、それこそ女性天皇は「女性差別」であると言わねばならぬ。
(6)日本から「天皇」を取り払ってしまったら、もはや「日本」ではない。委員会はバチカンやアラブの君主国に「女子が王や法王になれないのは女子差別だ」と勧告したことがあったか。日本だけに勧告するのなら、それは「日本差別」である。
(7)本件は、日本を攻撃する道具として国連が政治的に利用された可能性が高い。告発者である日本のNGOと、日本人委員長、そこに中国人副委員長が力を合わせて皇室典範改定の勧告を作り上げたという背景が見えてくる。
(8)男系継承の原理は簡単に言語で説明できるものではないが、この原理を守ってきた日本が、世界で最も長く王朝を維持し現在に至ることは事実である。歴史的な皇室制度の完成度は高く、その原理を変更するには余程慎重になるべきである。
つまり、竹田氏がいわんとするのは、男系男子による皇位継承は日本の長い歴史と伝統だという一点につきるでしょう。男系継承の理由は説明されていません。
▽4 大原先生も「歴史と伝統」論
話は変わりますが、iRONNAには、大原康男國學院大学名誉教授の「あまりにも無知で粗雑! 皇位継承まで口を出す国連委の非常識」も載っています。これも同工異曲の「歴史と伝統」論です〈http://ironna.jp/article/3338〉。
他人様の文句はあまり言いたくありません。ましてお世話になった先生なら、なおのことですが、3点だけ、失礼ながら、指摘させていただきます。
1点目はタイトルです。「無知で粗雑」は高尚なる天皇論に相応しいでしょうか。タイトルですから、むろん編集者が付けたのでしょうが、文中にはっきり、
「国連の勧告がいかにわが国の歴史、伝統に無知かつ非常識な代物であるばかりではなく、論の立て方自体が粗雑に過ぎよう」
と述べられています。これではまるで喧嘩です。私たちが求めているのは、感情的反発を招くような議論ではなくて、冷静かつ客観的な論理でしょう。
2点目は、
「小泉純一郎内閣において女系導入も辞さない皇室典範改定が拙速に推進されようとしたことがあった」
という理解です。
先生は「(小泉)首相の独走」というご理解のようですが、誤りでしょう。政府内で皇室典範改正研究が始まったのは平成8年、小泉内閣成立の5年前だということが知られています。官僚たちは、女系継承容認と「女性宮家」創設の「2つの柱」を一体のものとして進めていたのです。
だから根が深いのですが、もしかしてご存じないのでしょうか。信じがたい気がします。
3点目は、結論です。先生は、
「昭和22年にGHQの経済的圧迫によって皇籍の離脱を余儀なくされた方の子孫による皇籍の取得を速やかに講じていただきたい」
と述べられていますが、これは先生が師と仰いだはずの葦津珍彦とは見解が異なると思います。何がどう違うのか、なぜ違うのか、明らかにされるべきだと思います。
▽5 何も変わっていない
話を戻します。
竹田氏は、当メルマガで先に取り上げたエッセイでも、古くから続いてきたものには価値があると主張し、だから
「もはや理由などどうでもよい」
「特定の目的のために作られたものよりも、深く、複雑な存在理由が秘められていると考えなくてはいけない」
と訴えました。今度の論考も何も変わっていません。
「深く、複雑な存在理由」を深めようとも、解きほぐそうともせず、日本の「歴史と伝統」を楯にして、「文句を言うのは文句を言う相手が悪い」という論法でしょうか。それでは、理解者は広がらず、かえって敵を世界中に増やすことになりませんか。
しかも驚くことに、竹田氏はこの論考で、もっとも重要な論点であるはずの天皇=祭り主論にまったく言及していません。
竹田氏をはじめ、伝統主義者の立場からすれば、天皇=祭り主ですが、言い出せばますます世界から誤解され、火に油を注ぐとでもお考えになったのでしょうか。
私はむしろ逆だと思います。
▽6 天皇の祭祀を学び直してほしい
天皇が古来、皇祖神のみならず天神地祇に、米と粟を供えられ、公正かつ無私なる祈りを捧げられてきた、この国民統合の儀礼をなさることこそが男系継承主義と密接につながっているのであり、結果として、竹田氏が指摘する、世界に稀なる、長い「歴史と伝統」が築かれてきたのではないかと思います。
なぜ男系継承なのか、「どうでもよい」ではなくて、現代的に説明されるべきでしょう。
おそらくその理由は、「歴史と伝統」という、ともすれば骨董品まがいの、カビ臭い過去の遺物と聞こえるようなものではなくて、逆に、燦然と光り輝く時代の最先端を行くものだろうと私は考えます。
ただ、残念ながら、竹田氏の宮中祭祀=稲の祭り論からは説明できないでしょう。稲の祭り論では、現代人の感覚では、過去の遺物ととらえられかねません。国連委員会の面々よりも、日本の伝統主義者自身が天皇の祭祀を学び直すことが必要なのでしょう。
葦津珍彦の天皇=「国民統合の象徴」論を含めて、ぜひそのようにお願いしたいと思います。
最後に、蛇足ながら一点だけ、付け加えます。
竹田氏は今回の勧告騒動の背後に、日本のNGOと林陽子委員長、中国人副委員長のトライアングル体制の存在を想像していますが、それだけでしょうか。
むしろ敵は本能寺にあるのであって、伝統主義的天皇論とは相反する、現行憲法の「象徴」天皇論を金科玉条とし、約20年間も女系継承容認=「女性宮家」創設を陰に陽に進めてきた、日本の政府関係者が加わっているとは想像なさらないのでしょうか。(つづく)
http://melma.com/backnumber_170937_6373201/
葦津珍彦の天皇論を学び直してほしい
発行日:5/29
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葦津珍彦の天皇論を学び直してほしい
──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む 最終回
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現代を代表する伝統主義者の1人である竹田恒泰氏の天皇論を、10回にわたり、あえて批判的に読み進めてきました。
他意はありません。伝統主義的天皇論の進化を心から願うからです。
しかしどうしても理解できない人もいるようです。私の表現力がつたないからなのか、個人攻撃をしていると見る人が少なくないようです。
くれぐれも誤解のないようにお願いします。誰が間違っているとか、悪いとかいうのではありません。天皇論の進化がテーマなのです。
結論的にいえば、竹田氏に限らず、伝統主義的立場の天皇論をもう一度、葦津珍彦のレベルにまで戻し、葦津の天皇論を原点として、あらためて学び直すべきだと思います。葦津の天皇論を超えるものを、少なくとも私は知りません。
▽1 「尊さ」から「存在理由」に変わる
本論に入る前に、1点だけ申し上げます。
前回、私は、8年前に出版された、八木秀次氏との共著『皇統保守』と、最近、iRONNAに載った竹田氏の論考を比較し、「何も変わっていない」と申し上げましたが、じつは大きく変化している点があります。
竹田氏は『皇統保守』では、天皇の「尊さ」を問いかけたのでした。「万世一系論を議論することは、『天皇がなぜ尊いのか』という議論に直結する」と述べ、葦津珍彦の天皇論を引いたうえで、「葦津先生は『言葉では説明できない』と断言されるわけです。私もそうだと思うんです」と語っていました。
これについて、私は、葦津は「なぜ尊いか」と発問していないし、「説明できない」とも言っていない。葦津は「日本の国体」の多面性を指摘し、「抽象的な理論で表現することは至難」と説明している(「国民統合の象徴」)。葦津の天皇論のテーマは「天皇制の存在理由を明らかにしようとするもの」(「天皇制研究とは何か」)だったと批判しました。
それが、今回、たいへん興味深いことに、竹田氏の論点は「天皇の尊さ」から「男系継承の制度趣旨」に変わり、そのうえで、「人々の経験と英知に基づいて成長してきたものは、その存在理由を言語で説明することはできない」とあらためて言い切っています。
論点は葦津風の「存在理由」に変わりましたが、「葦津」の名前は消えました。
▽2 「尊さ」と「存在理由」は同義ではない
「葦津」が消えたのはまだしも、「尊さ」が「制度趣旨」「存在理由」に変わったのはなぜでしょうか。
天皇は「尊い」から「存在」すると竹田氏はお考えなのでしょうか。
むろん古来、連綿と男系男子によって継承されてきた天皇の存在は「尊い」ものです。けれども、「尊さ」は「存在」の理由でも目的でもないでしょう。
アメリカ建国時代の、もはや神話化された大統領の事績を「尊い」と感じるアメリカ国民はいるでしょうが、アメリカ大統領は「尊い」から存在すると考える人は少ないと思います。「尊さ」と「存在理由」は同義ではありません。
同時に、歴史的に長く続いてきたことが「尊い」という感覚は、あくまで現代人の視点に過ぎないように思います。
天皇という「存在」を編み出した古代人にとっては「尊さ」のほかに「存在理由」があったはずです。「歴史と伝統」への感覚を失いつつある現代人にとっては、むしろその「存在理由」こそが重要なのではありませんか。
葦津が問いかけた、天皇の「存在理由」とは、現代人にとってのみならず、各時代において、多様なる、それぞれの民にとっての「存在理由」だったはずです。
▽3 神社界を本拠地とした葦津珍彦
葦津珍彦は福岡・筥崎宮の社家の家系に生まれました。戦前から戦後の、知られざる日本近代史の生き証人でもあります。
青年期には頭山満や今泉定助などと交わり、中国大陸での日本軍の行動や東條内閣の思想統制政策を痛烈に批判し、大戦末期、朝鮮の独立工作を進めたことも知られています。
敗戦で日本の宗教伝統が過酷な状況に陥るといち早く察知した葦津は、「神道の社会的防衛者」となることを決意し、戦後の神社本庁創設、紀元節復活、靖国神社国家護持、剣璽御動座復古、元号法制定などに中心的役割を果たしました。
著書は50冊を超え、一介の野人を貫いて、平成4年春、82歳でこの世を去りました。
生涯、本拠地とした神社界では「戦後唯一の神道思想家」と呼ばれていますが、いまやその存在と言説を知る人はけっして多くはないと思います。
かくいう私も、単なる「右翼ジジイ」ぐらいにしか思っていませんでした。知らないというのはじつに恥ずかしいことです。
膨大な著書は、論理をつないでいる事実がしばしば飛んでいて、読みやすいものではありません。私の葦津研究は、歴史の事実を再確認し、穴埋めするところから始まりました。葦津がいみじくも
「日本の国体というものは、すこぶる多面的であり、これを抽象的な理論で表現することは、至難だ」
と述べているように、私は神道学や民俗学のほか、食文化、稲作農業史、比較文化など多岐にわたる著書を読みあさる羽目になりました。しんどいことでした。
▽4 葦津の天皇論を知らない人なら
竹田氏が「なぜ男系男子でなければならないのか」を問いかけ、そして「理由などどうでもよい」と切り捨てたエッセイは、葦津が仕事場とした神社界でもっともよく知られる神社の一社が開設したサイトに載っています。
八木氏との共著は、「葦津珍彦に学ぶ」ことが表明され、著書が何度か引用され、「神社界では」という表現も見られます。
葦津を知らない現代人に葦津の名前を知らしめた点では、竹田氏は間違いなく最大の功労者の1人だろうと思います。
しかし、すでに指摘したように、葦津とは問題関心も違うし、引用の内容も正確とはいえません。結論も異なります。
葦津の天皇論を内容的によく知らない人にとっては、正統な保守主義を引き継ぐ葦津の後継者が現れたと大歓迎するかも知れません。
著名神社のサイトにエッセイが載っているのは、その結果と思われます。
出版や講演のほか、メディアへの露出も多いのは、ビジネスとしては大成功なのでしょう。喜ばしいかぎりです。
▽5 葦津を知る人ならすぐ分かる
けれども、葦津とその天皇論を知る人たちは、どう考えるでしょうか。
竹田氏は「葦津に学ぶ」と表明し、天皇=祭り主論を展開していますが、葦津の天皇論は単なる祭り主論ではありません。竹田氏はある神道学者の学説に依拠し、宮中祭祀=稲の祭りと論じていますが、葦津は違います。
葦津は稲の祭りともそうでないとも述べた形跡はありません。少なくとも私は読んだことがないのですが、稲の祭り論では葦津が主張する、天皇=「国民統合の象徴」とはなりにくいでしょう。
天皇の祭祀=稲の祭りでは、稲作民を精神的に統合することはできても、畑作民をも統合する儀礼とはなりにくいでしょう。ローマ教皇の典礼がカトリック信徒を統合し得たとしても、プロテスタントやムスリムたちを精神的に統合し得ないのと同じです。
稲作民のみならず畑作民をも精神的に統合することが天皇の存在理由であるならば、古代律令に「およそ天皇、即位したまはむときは、すべて天神地祇祭れ」と定められたように、天皇は皇祖神のみならず天神地祇に、米と粟を捧げ、祈ることになるのでしょう。
伊勢神宮の祭りが徹頭徹尾、稲の祭りであるのとは当然、異なるわけです。
竹田氏の天皇論が葦津の天皇論とは似て非なるものであることは、葦津をよく知る人なら簡単に分かるでしょう。
▽6 心からお願いしたい
もちろん結論が異なること自体は、批判されるべきことではありません。
しかし、「学ぶ」というのなら、誤解されかねない「引用」は避けるべきだろうし、何がどう異なるのか、なぜ異なるのか、明らかにされるべきでしょう。
もし本気で「葦津に学ぶ」とお考えなら、あらためて葦津の研究を読み直し、天皇研究を総合的に深めていただけないでしょうか。心からお願いします。
葦津が生涯をかけて取り組んだ天皇研究は、神道論、近現代史論、憲法論など、多岐にわたっています。多面的アプローチが必要だと考えていたからでしょう。
総合研究としての天皇論が求められています。けれども、だとすれば、1人では困難です。1人の人間が短い生涯でできることは限られています。どうしても共同研究が必要なのです。
差し迫った現実問題として、次の御代替わりを考えるなら、前回のような不都合が繰り返されないためには、一刻も早い取り組みが求められていると思います。
竹田氏だけでなく、竹田氏が組織する研究会の方々にも、お願いしたいと思います。「葦津に学ぶ」が出発点です。
必要とあれば、私もご協力を惜しまないつもりです。
―――――――――――――――――
私は、竹田恒泰は、皇室問題に係わる、ムードメーカー的存在と見ている。無関心だった人に関心を持ってもらう広告塔のような存在として貴重ではある。
勉強熱心なところは認めるが、原発問題への言及を知るにつけ、多くの人を納得させるだけの重厚な論理性を有していると言い難いところがあり、皇室問題について、斎藤吉久氏からかような指摘を受けた点などから、葦図珍彦を乗り越えるのには今しばらく時間がかかりそうという印象がある。
斎藤吉久氏は、少なくとも女性宮家に反対の立場のようであり、「差し迫った現実問題として、次の御代替わりを考えるなら………」からは、秋篠宮家の存在を意識しているととれなくもない。また、葦津珍彦を理解しない皇室観は無用と語っているようであり、保守陣営全体の取り組みとして、今日的な意味での葦津珍彦研究、再評価が十分ではないことを指摘している。
竹田恒泰は、その講演会にて、蔵書数3万冊、左翼系の本も読んでいると語っている。しかし、斎藤吉久氏は、どうでもいい本を読むくらいなら、葦津珍彦の本をしっかり読みこなしてほしいと注文を付けている、と私は解した。
私は、葦津珍彦の本を何冊か読み、竹田恒泰の講演を聞いたうえで書いている。
葦津珍彦という言論人について、詳細ご存じない方がおられるかもしれない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A6%E6%B4%A5%E7%8F%8D%E5%BD%A6
Wikipediaには書いていないことであるが、神道指令に抵抗した「神道活動家」と言えば、わかる人はわかると思う。
そういう素性の方なのだ。それゆえ、葦津珍彦という人を知れば知るほど、皇室関係者というブランドでちやほやされビジネス保守的動きをする人に対し、モノを言いたくなる気持ちを理解しようという気持ちになるのである。
もちろん、葦津珍彦を理解することは、葦津珍彦のスタンスを理解することを意味する。
葦津珍彦の二つの顏――運動家として・神道家として
http://nozakitakehide.web.fc2.com/ASHIDSU/Person.html
ここに書かれている意味を正確に理解できる人は、一体何人いるだろうか?
すなわち、葦津珍彦という存在を乗り越えるには、皇室に係わる論争を進化させるには、上記の如く難解な葦津人物論をおさえる必要があるのだ。
葦津珍彦が活躍した終戦直後の政治状況については、神社新報のサイトにて確認できる。
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http://www.jinja.co.jp/ayumi03.html
草創期の『神社新報』
葦津珍彦は、昭和三十一年頃発行のパンフレット『現代神社の諸問題』冒頭で、「神社神道は、昭和二十年八月十五日の敗戦の後に、その歴史上かつて経験したことのない危機に対決するに至った。現代神社神道には、幾多の問題が存在するが、それらの諸問題は何れも日本国の敗戦といふ事実に、直接間接につながってゐると云ってよい」と記した。哀しいかな、現代神社神道の歩みは大東亜戦争「敗戦」といふ厳然たる事実から出発せざるを得なかったのである。
二十年十二月二日には、神宮祭主・梨本宮守正王殿下、皇典講究所副総裁・平沼騏一郎、大日本神祇会長・水野錬太郎ら神社関係者が「戦犯容疑者」指名により下獄するといふ深刻な事態に至り、十五日には「神道指令」が発せられ、全国神社を管掌してゐた神祇院が廃されるとともに、神社は国家管理から離れることを余儀なくされた。
また当時、占領軍が各地の神社に侵入し刀剣類を押収するなどの傍若無人たる振舞ひが度々あり、連合国側報道機関は神道を日本の軍国的支柱とみなして痛烈な非難を加へ続けたため、全国の神道人の中には、神社参詣をも禁圧されると誤解した向きもあったほど、未知の不安に萎縮せざるを得ない心理状況下に置かれてゐたのである。
このやうな「精神的恐慌」状態の全国の神道人たちに対し、「神道指令」の運用などGHQ諸政策の意図を詳細に紹介・解説し、新しい状況の正確な情報を毎週定期的に知らせて過度の不安を取り除き、自信を恢復させることこそが、神社を公然と守る機関新聞『神社新報』の草創期における重要な使命であった。
『神社新報』の誕生
昭和二十一年二月三日、宗教法人令に基づき、「神社ノ包括団体」たる神社本庁が発足した。それまで神道人らの相互的協力により経営されてきた民間団体である、大日本神祇会・皇典講究所・神宮奉斎会を母胎とする本庁は、他宗教団体との歴史的本質的な性格の相違に鑑み、管長や教義教典を持つ「神社教」ではない形で創立された。
本庁初代事務総長に就任した宮川宗徳は、まづ神社界専門の新聞を持つことを欲した。占領下の厳しい状況を生き抜くためには、全国神社に対する情報伝達網が必要だと考へてゐたからである。宮川は、三月二十六日から開かれた本庁の第一回評議員会で神社本庁の機関新聞の発行を提案した。だが、篠田康雄によれば、これには猛然たる反対意見が出され、「大勢はこれに同調する空気」だったといふ。発足当初の本庁は組織の基礎も固まらない状況であり、機関紙発行が神社界の歩調を乱し摩擦を生じかねないといふ懸念を持つ者も当時は少なくなかった。
一方で宮川は、当時、総長を補佐する立場にあった葦津珍彦にも、「本庁には独自の新聞、少なくとも週刊紙が必要だ。君やってくれぬか」と相談を持ち掛けたが、葦津は、当時の未曾有のインフレによる用紙・印刷・人件費の暴騰や、読者数の見込みも立てずに新聞を発刊しても半年後の経営予想さへつかないことを理由にきっぱり断った。
それでも宮川は着々と準備を進め、五月には本庁に編輯課を設けた。また、六月には葦津に「総長としては五十号、百号で斃れても新聞が必要だ。諸方とやかましい交渉の後に週刊五万部の用紙配給権をとり、ともかく新聞作成のスタッフ七、八名を集めた。それぞれ特徴ある有能の青年だが、全員神社や神道には素人だ」と述べ、再び時局解説や論説コラムの執筆、助言を求め、遂に葦津の協力を得る。宮川らは、占領下の劣悪な環境ながら、私財をかき集めて資金調達し、数々の悪条件を克服して七月八日付の創刊号に漕ぎ着けた。
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こういう背景があることを知らされると、我々は、戦後の神社人たちが直面した苦悩、努力に脱帽せざるを得ない。
凄まじい時代を切り抜けたとしか言いようがない。
GHQの裏で暗躍した、キャノン機関等の存在を知ると、靖国参拝問題くらいで事が収束したことは奇跡と言うべきかもしれない。
そういう時代をなんとか乗り越え、日本の国体が、天皇を頂点とする皇室観、神道、そして古事記等を源流とする歴史によって構成されるものであることを知れば、我々は葦津珍彦から吸収すべきことがあると思うのだ。
葦津珍彦の著作
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A6%E6%B4%A5%E7%8F%8D%E5%BD%A6
私は、葦津珍彦の著作について、2~3冊程度しか読んでいない。その印象は、戦前世界は、マスコミや学者が喧伝するほど、悪い世界ではなさそうだということである。
こういう本があること、ご存じであろうか?
・戦前の日本を知っていますか? しくみから読み解く昔の日本 百瀬孝 監修
・よみがえる戦前日本の全景―遅れてきた強国の制度と仕組み 百瀬孝 監修
むしろ、日教組、反日マスコミ、左翼系学者による、一面的な主張の方が、国家にとって害悪ではないかと言いたい。
単純に考えれば、A宮家がダメなのでB宮家を皇統とすればいいではないかという発想は、(事の次第に係わる見出しの論理としては)一見問題なさそうに見えるが、何かが不足しているように思える。
斎藤吉久氏は、その論理というかシナリオについて、葦津珍彦の書いた皇室観、神道観、憲法観に見出し、その深遠なる知恵を以て、(渓流を流れる清流の如く)自然な成り行きで、国体的視点、発想で筋道が見い出そうと意図しているのであろう。
たとえとして適当ではないかもしれないが、国家の品格を書いた、あの数学者が研究する世界の如く、マトリクス的に乱雑に並んだ数字の列が、幾何学的な美しさを伴った配列に一瞬で変わる、変換式を葦津珍彦の過去の著作に求めるべきということなのであろう。
かくいう私は、この数年で1000冊を越える本を読破し、ブログ活動として2000前後の原稿(提言ベースのものが大部分)を出稿した。それでもまだ読書量が不足していることを痛感していることを告白し、本稿を終える。
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お知らせ
本サイト 容量制限に伴い、7月1日に
下記サイトに移転します。
祖国創生
http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/
ブックマーク等の変更、お願いいたします。
本サイトは、書庫として残します。
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