本稿、公平な解釈を心がけたと思われる、東大歴史学者が書いた歴史書についての書評である。
加藤陽子という歴史学者が書いた、「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」を手に取った。小林秀雄賞を貰ったそうなので、私は賞の意味も価値も知らないが、名著なのだろうという先入観で目次等を読み始めた。
「はじめに」にて著者が本書に賭ける意気込みが書いてある。
「はじめに」の終わりには、「日本を中心とした天動説ではなく、中国の視点、列強の視点も加え、最新の研究成果もたくさん盛り込みました」とある。
が、目次の項目設定を眺めると、漠然した言葉が並んでいる。著者は、何かを寄せ集めて書いたようである。
「おわりに」においては、最近の歴史書の標題で採用される、「大嘘」「二度と謝らないための」云々といった刺激的言葉とは一線を画したスタンスであると宣言している。
最後の締めくくりはこうなっている。
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それでも、日本人は「戦争」を選んだ
おわりに
このような本を読み一時的に溜飲を下げても、結局のところ「あの戦争はなんだったのか」式の本に手を伸ばし続けることになりそうです。なぜそうなるかといえば、一つには、そのような本では戦争の実態を抉る「問い」が適切に設定されていないからであり、二つには、そのような本では史料とその史料が含む潜在的な情報すべてに対する公平な解釈がなされていないからです。これでは、過去の戦争を理解しえたという本当の充足感やカタルシスが結局のところ得られないので、同じような本を何度も読むことになるのです。
同じような本を何度も何度も読むことになるのです。このような時間とお金の無駄遣いは若い人々にはふさわしくありません。
中略
多くの事例を想起しながら、過去・現在・未来を縦横無尽に対比し、類推しているときの人の顔は、きっと内気で控えめで穏やかなものであるはずです。
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書いてあることはもっともだ。
在野の研究者の書いた、最近の歴史書、史料に拠らないものが増えている。ネット情報のコピペ、先行して書かれた本のリライトみたいなものが増えている気がする。特に嫌韓もの。その点は問題とされるべきだ。が、この本は、最近書かれた歴史書を一刀両断でそう評価できるほどの内容だったのか?ということになる。
この本の巻末で示された、参考文献、史料、史料集などは除き、主なもののみ掲げたとあるが、ほとんどが、戦後の本である。これは何を意味するか?
著者が、おわりににて書いた、「過去・現在・未来を縦横無尽に対比し………」が、本書は、戦後に書かれた本の学説?に沿っている可能性が強いことを意味する。
戦前の学説をなぜ参照しようとしないのか?という疑問が湧く。
なぜなら、先行研究を参照して書くのが、公務員歴史学者の研究上の義務と考えるからだ。
「昭和天皇と戦争 皇室の伝統と戦時下の政治・軍事戦略」(ピーター・ウエッツラー、森山尚美訳)にはこう書いてある。
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404頁
「昨日の眼をもって昨日をみること、それが歴史家の本当の仕事である」と、英国海軍史で名高い歴史家アーサー・マーダーは、しばしば学生たちに語ったという。「過去の人物が知り得なかったことを、いま自分が知っているからといって、その人を批判するのはフェアではない」(Arher Jacob Marder Old Friends, New Enemies, Oxford University Press, 1981.序文より)。
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戦後の本ばかり参照している関係で、戦前・戦中の視点で果たして見ていたのかということになる。
また、これは多くの歴史学者の記述について、疑問に思っていることなのであるが、通常のビジネス文書では、推定文で書く(べき)部分、断定調で書いている箇所が続出している。
歴史学者は、権威があるから、断定して書くことが許されていると考えている気がする。
書いてあることが学説の集合体なのであれば、ビジネス文書上は、学説は、「推定扱い」で書かれるべきだろう。なぜなら、読む人は一般人であるからだ。「1次文書で確認される事実は断定調で書く」のは当然として、「学説的判断までも断定調で書いているかもしれない行為」は、(現実社会に直面しない)論文の世界では許容されたにせよ、ビジネス文書上は不正確な表現作法と言わなくてはなるまい。
ちなみに、本書表紙には、「高校生に語るー」とあるので、一般人が読むことは想定していないということになる。
内容について、気になる点を挙げたい。大東亜戦争に向かう時期において、重要な意味を持つ、5・15事件、2・26事件、統帥権干犯についての分析がないようである。(ないに等しい?)
渡部昇一の本では、5・15事件、2・26事件、統帥権干犯について、それなりのウエートを占めているのと対照的である。
高校生向けなので、省略したということかもしれない。
倉山満が、盛んに問題視する、国際連盟脱退前の内田康哉外相の強硬姿勢について、本書では、酒井哲哉、井上寿一の学説を引用し、「日本が強く出れば、おそらく中国の国民政府のなかにいる対日宥和派の人々が日本との直接交渉に乗り出してくるだろう、そういうもくろみがあったのです。宥和というのは敵対せず協調するという意味で、この方針をとる人々のなかには、中国政府のトップにいた蒋介石もいました。」とある。
内田康哉外相の強硬発言については、再検証すべきテーマとなるだろう。
ここで、アマゾンのレビュー(特に星一つ)を参照したい。
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5つ星のうち 3.0
日本人が「戦争を選んだ理由」は書かれていないように思われる投稿者 PEK 投稿日 2013/5/13
形式: 単行本(ソフトカバー) Amazonで購入
ただ筆者は、総じて日本人の行動を中心に紹介する。なぜ日本人がそうしたのか、引き金となった相手側の記述が少ない。そのため因果関係は分かりにくい。結果として日本の理不尽さがより記憶される。あらかじめ決めた結論に沿う事実を意識して多く選んでいる、と指摘されてもやむを得ない内容となってはいまいか。
5つ星のうち1.0
グダグダ回りくどくてイライラします(ギブアップ寸前)
投稿者wubai5652016年10月4日
形式: 文庫
結論を引き伸ばし、ころころ話題が変わります。モザイクをかけてコマーシャルに入るテレビのようです。
5つ星のうち1.0
べつに日本だけが戦争選んだわけじゃないぞ
投稿者emir1969VINEメンバー2016年8月11日
形式: 文庫
簡便な明治以降日本の戦争史概説本もしくは雑学本として推薦はできる、
読者自身の歴史知識・理解整理にも便利かもしれない、
全六章410ページのこの本、最後の「太平洋戦争」はほんの70ページしか語られていない、
最重要な大戦がたったの70ページである(もちろん著者は大東亜戦争という単語は使わない)、
案の定、記述はあっさりしたもので書名がうたう「戦争を選んだ」理由は語られているようで語られていないといってよい、
当時は国際紛争の最終解決手段として戦争を行うことが当たり前の時代だったことを無視して話を進めるので何か記述に胡散臭さが付きまとう、
結果、他の章も当時の事情はそれなりの情報量で語られはするが、どれも歯切れの悪い解説ばかり、
「宣戦布告」文書に触れないことで意図的に各戦争の戦争目的は語らずに済ましているふしも見え隠れする、
P.36には太平洋戦争の日本人犠牲者数は310万人とある、
P.64にスターリンの粛清犠牲者数は数百万人とある、
310万人と数百万人ではどちらが大きな数字なのだろうか?
著者加藤陽子は「一番の専門は1930年代の外交と軍事です。」とP.14で自ら語る、
1930年代といえばスターリンの権力全盛期である、
にもかかわらず加藤はスターリン粛清犠牲者数を数百万人と書くのである、
P.342に”数値のマジック”という章があり、大東亜戦争開戦時の軍部のデータ見通しを批判し、続くP.368には”数値の落とし穴がある”という表現も見られる、
くりかえす、 さて310万人と数百万人はどちらが大きな数字なのだろう?
そんな曖昧な記述をする著者加藤陽子はP.77で「共産主義のイデオロギー的な怖さについて、アメリカ人がベトナム戦争を通じて学んだとの見方は成立するかもしれません。」ととんちかんな意見をどうどうと書く(では日本人はいつ共産主義のイデオロギ的な怖さを学習したのだろう?)、
1930年代軍事・外交が専門でありながら「共産主義黒書」は読んでいないらしい、
本書が何がしかのプロパガンダを目的とした本であることは隠しようも無いわけだ、
5つ星のうち1.0
太平洋戦争についてまったく切れ味が悪い
投稿者ブレイブハート2016年7月16日
形式: 文庫
この本のキモは太平洋戦争で、著者自身も
「さすがに太平洋戦争ということで、みなさん、
いろいろと聞きたそうな顔をしていますね」
と言っておきながら、まったく切れ味が悪い。論旨も不明瞭。
なぜ知識人を含めて、当時の日本人が真珠湾攻撃の報に喜びを示したのか、
その本書で最も重要と思われる現象の理由にも答えられていない。
生徒とともに考えようともしない。
あと、生徒の意見に対して、著書の反応の仕方が
癇に障るイヤミなものがあって、それも鼻について気になった。
5つ星のうち1.0
東大のレベルに不安あり
投稿者たいみそ2016年7月7日
形式: 文庫
しかし、偏見が多いのも確か!
東大のレベルでも、このていど
だと、わかって
読んでほしい
コメント
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5つ星のうち1.0
読む価値なしゴミ箱にすてろ
投稿者alsnova2015年5月9日
形式: 単行本(ソフトカバー)
戦争が起こるには原因がある。だがこの本には原因がさっぱり書いていない。
例えば日清、日露戦争の原因は、この本を読んでもさっぱりわからないと思う。
朝鮮王朝の複雑な政情や、国際情勢や大国の思惑。
そういったことが全く書いていないのだ。だからいくら読んでも、全くわからない。
結局、日本国内だけを見ていても、何もわからないということだけはわかった。
後、変な中国持ち上げも意味不明。
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星一つのレビューを読んで、大変参考になった。総括的には、こう批評すべきだったかもしれない。
そして、著者は、この本を書いた数年後、特定秘密保護法や集団的自衛権に反対する、政治活動に参加しているそうだ。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E9%99%BD%E5%AD%90
大学院では、伊藤隆の指導を受ける。福田和也と対談や座談会を共にすることが多い。
保守的歴史学者の重鎮である師匠の伊藤隆とは正反対の政治的スタンスで、安倍晋三首相の歴史認識を批判し[2][3]、特定秘密保護法に反対し[4][5]、「安倍政権を特に危険だ」とみなして集団的自衛権に反対する「立憲デモクラシーの会」呼びかけ人となっている[6]。
夫は元駿台予備学校・元東進ハイスクール日本史講師の野島博之。[要出典]
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著者は、「多くの事例を想起しながら、過去・現在・未来を縦横無尽に対比し、類推しているときの人の顔は、きっと内気で控えめで穏やかなものであるはずです。」という、「歴史研究に係わる人たちに求める作法」を自ら破り、公務員歴史学者として政治活動への積極参加を宣言したことになる。
教官室においては、執務時間の相当分のウエートがこれら政治活動に充てられて、その後の本の刊行のための執筆もしくは打合せに費やされているであろう。
公務員歴史学者がそんなことでいいのか?と思った次第である。
以上
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