全国的に空き家が増え、過疎地になればなるほど空き家の存在が問題となりつつある。
国土交通省は、空き家対策特別措置法を受け、その撤去、解体に向けた取り組みを本格化させつつある。
―― 参考情報 ――――――――――
空き家対策計画策定、全国で2割 過疎地高い傾向
https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201706/0010321559.shtml
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私が住んでいる地域では、幸い人口はまだ増えている。しかし、最初に家を建てた世代は高齢化、近所の葬式も増えた。しかし、最近引っ越してきた世代は、近所付き合いに熱心ではない。
住民の視点でみてみよう。
空き家が増えることが意味するもの
それは、治安の悪化、景観の悪化が同時に進行することである。
私が育った地域にあった(生鮮)市場の場合、ほとんどが廃屋化している。
撮った写真を眺めて、懐かしいと思う反面、これ以上の景観の悪化はなんとかしてほしいと思っている。
それだけではない。
人口減少が拍車をかけ、地域社会を維持することが難しくなりかけている。
過疎地では、限界集落の増加、インフラ維持の限界が近づいている。
つまり、空き家増加、高齢化、人口減少の結果、地域社会全体のスラム化の懸念が出てきたのである。
では、どうするか、ということになる。
本稿お読みの皆様は、私以上に、愛国、保守であることを疑わない。
我々一人一人がやれることは限られている。が、ノンポリ、にわか保守の私でも、「一人町内会長」を認識、実践する必要性が出てきたように思う。
自分が遭遇した中で思い浮かぶことを列挙する。
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空き家が多い地域での住民に発生する社会的義務?=その地域をスラム化させないための行動
・ゴミが落ちていれば、それを拾う
・ゴミステーションにカラスがいれば、ゴミステーションの整理をする
・隣の家の人が困っていることがあれば何かできることをする(金銭以外のことで)
・不審者がうろついていれば、監視、通報
・不審車両が走行していれば、監視、通報
・タイヤ泥棒を見つければ通報
・事件らしき事態を目撃すれば通報
・防犯設備の強化
・空き巣対策の実施
・道路の花壇が草ぼうぼうになれば自分で草むしり
・街路樹が折られたり、破損しているのを見つけたら自治体に連絡
・道路に雑草が生い茂り、道を塞いでいたら自治体に通報
・違法選挙看板を見つければ、選管に通報
・道路が壊れれば自治体に連絡
・踏み切りに異常を見つけたら鉄道会社に連絡
・電柱が折れたり電線が垂れ下がっているのを見つければ、電力会社に通報
・信号機が異常点滅していれば、警察署に連絡
・道路標識等に異常があれば、警察署に通報
・自治体制度に係わる欠陥を見つけた場合は、自治体議員に連絡、対応依頼する
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どちらかと言うと、治安対策的なことが多い。
覚悟を決めて誰かが、スラム化の歯止めとなるべく、行動するしかない。
該当者はどんどん高齢化、人がいないのは確か……………
誰が町内会長だとか、誰が防犯部長だとか、そんな肩書にこだわっているヒマはない。
警察への通報、派出所へのマメな連絡は欠かせない。経験的に言えることであるが。きちんと通報している人であれば、警察側も心得た対応をするはずであり、通報効果は抜群?であると思う。中でも、パトカーによる不審車両の呼び止めは、犯罪抑止効果はある。
住宅地でこれをやってくれるだけで、住民として安心感あるのだ。
私は、既にそれなりの年寄である。
年齢的な老人の定義を75歳とするという話があるが、それなりの年になったら、地位や名誉にこだわらない生き方がいいと思っている方だ。
少し脱線させていただく。
昨今は、企業等において65歳まで雇用していただける有り難い雇用制度となった。
しかし、雇用してくれるからといって働き続けることが、より良く生きたいと考える人にとって意味あるものか?
これは私見に過ぎないが、職場において、やるべき立場の時に、やるべきことをしなかった人は、65歳まで勤め上げようとしても、職場の人に煙たがられるような気がする。
団塊の世代は、中途半端に仕事を片付け、次の世代に多くの課題を残し、私の世代は、その処理に追われた。いつ辞めてもいいように、やるべきことはやった、あまりに課題が多く、そういう感覚で仕事のあり方を追求せざるを得なかった。やがて、その職場でやりたいことが見つからなくなった時が退職の日だと思うようになった。
それなりの学歴をお持ちなのに、やりたい仕事もなさそうで、職務上差したる取組みをしたこともなく、一つの提言文書も書かず、管理職になり、仕事よりも酒席やゴルフの約束に熱心で、還暦を過ぎ65歳まで勤める人生が、本来的に幸せでマトモな人生と言えるのか?という意味である。
私の周辺にはそういう人がたくさんいた。同じ大学の先輩の3割がそう見えた。さして実績を上げなくても、ゴマするだけで出世させる体質だから、仕方がないことかもしれない。当然の事であるが、私はそういう類の人たちと話は合わない。
小島祐馬という学者がいたことをご存じであろうか?京大の高名な学者だったそうだ。
||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||
http://www.rinsen.com/linkbooks/ISBN978-4-653-04114-6.htm
京大東洋学者・小島祐馬はいかに生きたのか
小島祐馬(おじますけま 1881~1966)は、京都帝大教授を退官後、その学識と手腕を惜しまれつつも早々に故郷高知へ帰り、 晴耕雨読の暮らしのかたわらで地域の人々との交流と文化の振興に尽くした。その生きかたの背景にあったのは 何であったのか。幼少期から晩年に至るまで、高知大学小島文庫に残る草稿やメモ類、また関係者の回想から丹念に綴る。
第五章 定年を迎えて高知へ帰郷
小島の退官、河上の京都転居/小島の高知帰郷/帰田の願いがかなう
小島邸に書庫/高知での日々の暮らし/正壽夫人の歌と書/抱甕灌圃
第六章 戦後の高知暮らし
小島祐馬の戦後/文部大臣就任の打診/高知県知事・高知大学学長候補
学士院会員になる/晴耕雨読の百姓暮らし/源泉は滾々として昼夜をおかず
櫛田フキの選挙推薦文/高知市夏季大学/向井章、津田穣、安田二郎
終 章 小島祐馬の晩年
東洋風の修身と西欧風の治国/郷土史家として/カルピス文化叢書
桑原武夫との対談/小島祐馬の死去
||||| ここまで引用 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
何かと寄付と肩書を欲しがる(愛国系、錯乱系)団体関係者と正反対の世界がここにある。寄付と肩書があっても負け戦続出の保守系団体活動。肩書などない方が、却って余計なしがらみを気にすることなく闘えそうな気がする。
実は最近、私はあることで自治体に陳情書を出した。自治体は、予想した以上に完璧な対応をしてくれた。その事案、放置すると地域全体がスラム化するため、近所で子供が生まれたこともあり何とかして欲しい、と私は告げた。別に肩書などなくても、要件を満たしているか、必要性を認識すれば、自治体は自治体の判断で決裁、彼らは即実施した。これを私の手柄だと言うつもりはない。
ここで、空き家だらけの高齢者だらけの地域を維持、救えそうな、一つの手法を想定したい。
小島祐馬みたいな人たちが地域社会の核となったら、その地域社会は意外にレベルアップ、そう簡単に崩壊しかないのではないかと、私はみている。
そういう私は、道を歩いていて、近くの公園でジョギングしていて、大きな図書館内で、名前も顔も知らない近所の小学生低学年の子供たちから、挨拶されるようになった。
もちろん、彼らは、私が保守系ブロガーであることも、ノンポリ・にわか保守であることも知らない。
悪くとれば彼らからみて、私は不審者ということになる。もし、そうなら私は受け入れるしかないのであるが、そういう私は、江戸後期の時代の生きた、偉大な知識人、良寛さんのファンである。いつかその地を訪ねてみたいと思っていることを告白し、本稿を終える。
以上
―― 参考情報 ――――――――――
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%AF%E5%AF%9B
良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日〔1758年11月2日〕 - 天保2年1月6日〔1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。俗名、山本栄蔵または文孝。号は大愚。
70歳の時、島崎村(現長岡市)の木村元右衛門邸内にそれぞれ住んだ。無欲恬淡な性格で、生涯寺を持たず、諸民に信頼され、良く教化に努めた。良寛自身、難しい説法を民衆に対しては行わず、自らの質素な生活を示す事や簡単な言葉(格言)によって一般庶民に解り易く仏法を説いた。その姿勢は一般民衆のみならず、様々な人々の共感や信頼を得ることになった。
最期を看取った弟子の貞心尼が『蓮の露』に良寛の和歌を集めた。良寛は他に漢詩、狂歌、俳句、俗謡に巧みで、書の達人でもあった(故に後世の贋作が多い)。新潟県長岡市(旧和島村)の隆泉寺に眠る。
良寛の名は、子供達を愛し積極的に遊んだという行動が人々の記憶に残っている。良寛は「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し、子供達と遊ぶことを好み、かくれんぼや手毬をついたりしてよく遊んだという(懐には常に手毬を入れていたという)。名書家として知られた良寛であったが、高名な人物からの書の依頼は断る傾向があったが、子供達から「凧に文字を書いて欲しい」と頼まれた時には喜んで『天上大風』(てんじょうたいふう)の字を書いた(現在でもその凧は残っている)。
この記事へのコメント
西
SECRET: 0
PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
空き家が増える事で治安悪化や景観の悪化も懸念されますが、一方で、これらの空き家に「外国人」が住み着いたり、「過激派」および「違法ブローカー」のアジトに利用される可能性も高まる事も同時に懸念しなければならないと思います。
昔のように、空き家自体が珍しく、村一帯の皆が「顔見知り」の時代では、「余所者」が入り込めば、当然怪しまれますから、「怪しげな者」が住み着く可能性は低かったと思います。
しかし、現代のように、村落の過疎化が進み、限界集落も増えてきた地域では、近所付きあい自体が減ってきて、「余所者」が歩き回っていても、誰も気にしなかったり、「人気が無い」為に、誰にも存在を知られないまま、どこかの「空き家」に住み着く事も容易であり、外国人や犯罪組織等からすれば、こういった「空き家」を利用するのは、むしろ活動上有益であると考える者も多いのではないかと思います。
また、行政が空き家を全て把握しているかどうかもよく分からず、都市部よりも過疎地域の空き家の方が、撤去されずに残っていたりしますから、行政の監視の目をかいくぐられる可能性だって大いにあります。
以前、支那人の集団が、空き家に住み着き、そこで周辺の土地を違法に開墾し、作物を植えていたことが発覚しましたが、空き家の中には武器のようなものまであったようで、本当に土地を開墾して儲けようとしていただけなのか、非常に怪しかったのですが、こういった問題が発覚するまでに、結構な期間を要した事も考慮すると、やはり「空き家」を長期間放置しておく事と、村落の過疎化の問題は、「安全保障上の大きな問題」となりかねないと思います。
撤去の際に、空き家の所有者と連絡が取れない、行方不明の状態であっても、所有者(もしくは代理人)の許可が必要なのか不明ですが、長期間放置(家屋が荒れている、苔が生えているなど)されたまま、持主との連絡が取れない、また入居者が見つからない空き家などは、行政権限で撤去できるような法整備を進めるべきではないかと思います。
管理人
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> 空き家が増える事で治安悪化や景観の悪化も懸念されますが、一方で、これらの空き家に「外国人」が住み着いたり、「過激派」および「違法ブローカー」のアジトに利用される可能性も高まる事も同時に懸念しなければならないと思います。
>
> 昔のように、空き家自体が珍しく、村一帯の皆が「顔見知り」の時代では、「余所者」が入り込めば、当然怪しまれますから、「怪しげな者」が住み着く可能性は低かったと思います。
>
> しかし、現代のように、村落の過疎化が進み、限界集落も増えてきた地域では、近所付きあい自体が減ってきて、「余所者」が歩き回っていても、誰も気にしなかったり、「人気が無い」為に、誰にも存在を知られないまま、どこかの「空き家」に住み着く事も容易であり、外国人や犯罪組織等からすれば、こういった「空き家」を利用するのは、むしろ活動上有益であると考える者も多いのではないかと思います。
>
> また、行政が空き家を全て把握しているかどうかもよく分からず、都市部よりも過疎地域の空き家の方が、撤去されずに残っていたりしますから、行政の監視の目をかいくぐられる可能性だって大いにあります。
>
> 以前、支那人の集団が、空き家に住み着き、そこで周辺の土地を違法に開墾し、作物を植えていたことが発覚しましたが、空き家の中には武器のようなものまであったようで、本当に土地を開墾して儲けようとしていただけなのか、非常に怪しかったのですが、こういった問題が発覚するまでに、結構な期間を要した事も考慮すると、やはり「空き家」を長期間放置しておく事と、村落の過疎化の問題は、「安全保障上の大きな問題」となりかねないと思います。
>
> 撤去の際に、空き家の所有者と連絡が取れない、行方不明の状態であっても、所有者(もしくは代理人)の許可が必要なのか不明ですが、長期間放置(家屋が荒れている、苔が生えているなど)されたまま、持主との連絡が取れない、また入居者が見つからない空き家などは、行政権限で撤去できるような法整備を進めるべきではないかと思います。
空き家で増えるのが、外国人、過激派、違法ブローカーですか。
怖い世の中になったものです。
民泊のトラブルも増えているようで。一人町内会活動を実践する人が増えないと、とんでもない事態が続出しかねない、そういう問題意識です。