ブログ「反日勢力を斬る」は、森友・加計問題は戦後最大の虚報だとしている。
―― 参考情報 ――――――――――
森友・加計問題は戦後最大の虚報だ
http://ponko69.blog118.fc2.com/blog-entry-4508.html
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私もそう思う。
しかし、前例がなかった訳ではない。
渡部昇一の「朝日新聞と私の40年戦争」を読んでみたい。
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47~52頁
家内の「幼い日の体験」と「不吉な予感」
原賀記者が帰ったあと、家内が私に聞きました。
「あれはどういう人?気味が悪かったわ。お茶を出しても会釈一つしないどころか、こっちを見もしないんだから」
私は、「社会部記者とういうのはどんな人に会っても物怖じしないように訓練されているから、無礼に見えても仕方がないのだ」と説明しました。しかし家内はしきりに、「不吉な予感がする」と心配していました。
中略
原賀記者は別に特高警察として私を逮捕しに来たわけではありません。大西氏が反論を書くという予告を伝えに来ただけです。私は家内の神経が過敏になっているのではないかと思いました。
ところが、彼女の印象は正かったのですー。
存在しない競争をデッチ上げて大々的に「報道」
翌朝、親類から電話があって、『朝日新聞』の社会面で私がデカデカとやられていると知らせてくれました。うちが『朝日新聞』をとっていないことを知っていて教えてくれたのです。
原賀記者は大西氏が反論を書くと言っていましたが、こんなに早く問題になるわけはないから、いったい何が書かれているのか、見当もつきませんでした。それで大学に行く途中で『朝日新聞』(一九八〇年十月十五日付)を買い、社会面を開いて万事を諒解しました。
特大の活字で「大西巨人氏VS渡部昇一氏」という見出しが掲げられ、私と大西氏との間で劣悪遺伝の問題をめぐって論争が展開されていたことになっていいたのです。社会面の三分の一ぐらいのスペースでした。そして見出しだけを読むと、私が「劣弱者を消してしまえ」と主張するヒトラー礼賛者であるかのような印象を与える紙面になっているのです。
天下の『朝日新聞』の社会面で三分の一以上のスペースを使って、第活字をふんだんにちりばめて報道されれば、誰だって大事件だと思うに違いありません。
もし大西氏が私のエッセイを読んで、活字あるいは他のマスメデイアで反論を発表したとします。それに私が再反論し、その結果、多少なりとも社会の人びとがこの論争に関心を示したという事実があったならば、社会面の話題として取り上げるのもいいでしょう。(その場合でさえ、大活字の見出しをふんだんに使って超大事件並みの扱いをするのがふさわしいかどうかは疑問ですが)。
しかし、そのような事実はまったく存在しません。この報道がなされるまで、大西氏は私のエッセイに反論を書かれたこともなく、他のメデイアで反論を述べられたこともありません。社会的事件としては何も存在していなかったのです。私は大西氏と会ったことも話したこともなかったのです。
つまり、『朝日新聞』は完全に捏造の報道を行ったのです。
『朝日新聞』の報道に続いて、これと関係のある記事を掲載したのは『毎日新聞』だったようです。
しかし、大新聞でもまったく言及しないところもありました。後になって、そういう大新聞の記者である知人に、「お宅の新聞は完全に無視しましたね」と言うと、やはり『朝日新聞』の記事を見たときはびっくりしたそうです。それで私のエッセイと大西氏の反論を見比べようとしたところ、大西氏のものは存在しなかったので、『朝日新聞』の記者のデッチ上げと察して、フォローしなかったのだといいます。
『毎日新聞』がその程度のチェックもしない新聞であることは、記憶にとどめておいてよいでしょう。
ザリガニはサワガニを食い尽くす
「火のないところに煙は立たぬ」と言いますが、「大西VS渡部論争」などという「火」は存在しませんでした。しかし『朝日新聞』は、それが「ある」という印象を数百万の読者に与えるように書き立てたのです。
実際にあった事件でもマスコミが全部口を閉ざせばないに等しいことになりますが、なかった事件でも大新聞が社会面の三分の一以上を使えばあったことになります。そして多少の煙は立ちます。その煙が火事にならなかったのは、もともと「火」が本物ではなかったからです。
しかし、厳たる事実は、このキャンペーンとも見なしうる報道は、私の言論、私の思想を糾弾するという目的のために行われたということです。それでも、まさか天下の『朝日新聞』が「渡部昇一の思想を糾弾する」という社会面をつくるわけにもいかないので、いまだ存在せざる「大西VS渡部論争」なる社会的事件をデッチ上げたのです。
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また、この「大西VS渡部論争」に関して、朝日新聞において、明確な報道方針が存在が存在していたことを、渡部昇一は友人からの情報で確認しており、「朝日新聞と私の40年戦争」の中で紹介している。
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54頁
「言論」を「報道」のスタイルで叩く卑劣な検閲行為
のちに上智大学の学長になる橋口倫介氏は、「朝日にいる友人から聞いたのですが、『朝日新聞』の編集部の壁には”渡部昇一”はこの線で叩く”という意味の貼り紙がしてあるそうですよ。だから気をつけなさい」と、私に忠告してくれました。
政治的権力などに対抗するのは新聞の本来の機能の一つであり、新聞は第四階級あるいは第四権力と言われています。しかし、ある個人の考え方が気に食わないといって、報道の手段で言論攻撃、しかも個人攻撃をやるというのは、公器としての大新聞のやることではありません。
64頁
私が『朝日新聞』の標的にされたとき、『朝日新聞』は「凶悪」という以外に言いようがないと思いました。『朝日新聞』は、デッチ上げの虚報で私立大学の一教師を葬り去ろうとしたのです。これは凶悪としか言いようがない。
私は『朝日新聞』に社会的に殺されかけたのです。「社会的に」どころか、同志社大学の教授のように、私が自殺をすれば万々歳ぐらいに『朝日新聞』は思っていたのかもしれません。このとき私は、「これからは本当のことをズバズバ言って、徹底的に『朝日新聞』を批判しようと決心したのです。
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ここで、「大西VS渡部論争」と「森友・加計事案」の類似点が存在することを指摘する。
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■「大西VS渡部論争」
・渡部昇一の言論、思想を糾弾することによって、渡部昇一を社会的に葬り去ろうとする朝日新聞の報道方針が存在した
・いまだ存在せざる「大西VS渡部論争」なる社会的事件をデッチ上げた
■「森友・加計事案」
・報道各社において、何が何でも政権打倒したいというする報道方針が存在した。
・報道各社は、問題がないものを政権の責任であるかのように印象操作すべく、配役を適宜調達、論点をすり替えつつ、長期間、架空の論争をでっち上げた
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参考までに、最近の報道各社の報道方針について、産経はかく報道した。
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http://www.sankei.com/column/news/170826/clm1708260003-n1.html
「とにかく安倍をたたけ」の大号令 新聞業界の「不都合な真実」 8月26日
「いま、社内は安倍(晋三首相)を叩(たた)くためなら、どんなことでもするという空気になっている」。作家の門田隆将さんは最近、知り合いの毎日新聞記者からこう聞いたと、26日発売の月刊誌『Hanada』(10月号)で明かしている。朝日新聞記者にも同様のことを言われたという。
▼学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設問題をめぐり、内閣支持率が下落した安倍内閣を、この機に打倒しようと盛り上がっているということか。門田さんは7月23日付小紙朝刊の新聞批評欄で、そうした新聞を「倒閣運動のビラ」と呼んでいた。
▼そういえば、民進党を離党した長島昭久元防衛副大臣も5月に、自身のツイッターに記していた。「昨日たまたま話した朝日新聞のある幹部の表情には、社運を賭けて安倍政権に対し総力戦を挑むような鬼気迫るものがありました」。
▼実は小欄もかつて知人の東京新聞記者から、こんな打ち明け話を聞いたことがある。「上司に『安倍なんか取材しなくていいから、とにかくたたけ』と号令された」。同僚記者も、別の東京新聞記者から同趣旨のことを聞いている。
▼悲しいかな、これらのエピソードは新聞業界の「不都合な真実」を示す。事実をありのままに伝えることよりも、自分たちの主義・主張や好みを広めることに熱心な習性があるのは否めない。「権力の監視」を隠れみのにしつつ、時に暴走を始める。
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「森友・加計事案」は、「大西VS渡部論争」と同様、報道各社において「とにかく安倍を叩き倒閣したい」とする報道方針が存在したようである。
いかがであろうか?
「森友・加計事案」は、「大西VS渡部論争」の経緯を分析し、報道各社が役割分担し、用意周到に仕掛けられたと言うべきではあるまいか?
長年、朝日新聞に対し問題視、抗議活動に参加されていた方なら、渡部昇一の「朝日新聞と私の40年戦争」を読み、森友・加計事案との類似性、あの番組にて田母神俊雄批判している場合ではなかったことに気づいていたはずである。
あの番組にて、「大西VS渡部論争」との類似性を保守系言論人の誰かが指摘していれば、様相が一変したかもしれない。
政権支持率が一時的に下がったのは、保守側が有効な対策を編み出せなかった結果であろう。政権は、明らかに孤立無援状態だった。
つまり、報道各社は、朝日新聞から「大西VS渡部論争」のウンチクを学び、知恵を絞り、配役を組み変え論点をすり替えることなどで長期間「社会的事件」をでっち上げることが可能であることを発見、実行した。
それが、「森友・加計事案」の深層ではなかろうか。
問題がない事象を問題があるかのように吹聴し、論争をでっち上げ、そのために配役を適宜調達・入替えつつ、架空の論争を演出した点において、朝日新聞は、「森友・加計事案」の前例を提供した先駆的報道機関だったのである。
以上
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