拙ブログは、皇室に係わるテーマについて、政治ブロガーとして避けては通れないと認識、一つ一つ手探り状態で出稿し続けてきた。
陛下の生前譲位については、お言葉会見以降、「摂政で十分」との渡部昇一の見解のとおりだと思ってきた。
摂政で十分なのに、余計な出費までして、聞きなれない、歴史的意義あるとは思えない呼称まで編み出して、生前譲位にこだわり、実現に至ったことは、生前譲位後に発生する事象を分析し、歴史研究テーマとすべきものであると考える。
さて、歴史研究者のスタンスで日本の近現代史を調べていくと、皇族が関与することが判明した以降、そのテーマでの歴史研究調査がウヤムヤにされてきたジンクスがあることに気づくはずである。
それらウヤムヤにされるジンクスにある事案が、皇族の決断によって引き起こされたものか、皇族の存在を利用しようとした者たちにより仕掛けられたものなのか、今一つはっきりしない。
―― 参考情報 ――――――――――
皇族を利用したい人たち & その意図に乗っかる皇族たち
http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-905.html
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西さんはこの件について、こう述べている。
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http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-905.html
政治問題としては繊細である為、拙速な結論付けは避けるべきですが
明治維新以降の皇室の歴史を、特に政治的観点から論じた者は、保守派においても非常に少ないな、と思っています(江戸時代以前も皇室(朝廷)の政治関与等(権力的存在としではなく、諮問機関の立場であったと思います)が全く無かったわけではありませんが、時代考証の難しさ(その時代の社会情勢などを考慮しなければならない為)と、皇室権威の政治利用の問題等もありますから、一旦、これらの議論は後にした方が良いと思います)。
戦前、戦時中の歴史を調べると、「皇室」、「皇族」に関係すると思われる事件や問題になると、確かに「有耶無耶」にされている所があるな、と思います。
という事は、「皇族」の中に、戦時中、どうもよく分からない行動(皇室伝統に背いていると疑われる行為)を取っていた御方がいたのではないか、と思います。
ただ、昭和天皇に関しては、加地将一氏の主張するような、「勝ち馬への鞍替え」の立場を取っていたという事は無いと思います。
ソ連の対日工作機関である共産党(コミンテルン)の設立期は、1922年(大正11年)なので、ソ連共産党や共産主義者による対日工作自体は、昭和天皇の即位以前から行われていたのは明らかですし、恐らく、戦時中も、政府のみならず、「皇室」や「昭和天皇」の存知されない所で「対日工作」が進められていた可能性は否定できないと思います。
また、昭和天皇の「御発言」の公式記録などからも、政治権力者では無い為、直接的に議会決定に関与できない事は存知されつつも、少なくとも陛下の「御心」としては「戦争反対」の立場を取られていたのは事実でしょう(この点で、加地将一氏は昭和天皇陛下が、立憲君主であり、国会において、民主的に決定した議決事項を勝手に覆せるような「政治権力者」ではない事を考慮していない為、恰も、戦時中は「政治的権力」を行使できる立場であったのに、それを行わずに、敗戦後は、自身が「非権力的立場」を取って責任逃れをしようよしたという、所謂、「昭和天皇の戦争責任」問題に挿げ替えるという、ややおかしな方向に結論を持って行ったのでは、と思います。武家の将軍などは、権威者であるとともに政治権力者ですが、この点では、絶対的権威の存在に過ぎない天皇陛下とは異なります)。
ただ、昭和天皇の「権威」を「政治利用」しようとした勢力があった事は事実だと思います。
「皇室」の政治関与問題については、繊細な問題であり、拙速な結論付は、的外れだったり、最悪、陰謀論者や不敬問題に結び付けられる可能性がある為、慎重な議論が必要だと思いますが、一方で、先の大戦の歴史的な全容解剖をする為に、これらの「皇室問題」を追求するのは、歴史の真実を解明したい保守派(盲目的天皇教信者は別ですが)であればこそ、尚更「必然的に行わなければならない事」だと思うのですが、「皇室の権威」を失う可能性を恐れている為か、その辺りの「歴史のタブー」に切り込もうとする保守派が少なすぎるのは、歴史、政治論争などにおいて、相当懸念しなければならない事だと思います。
西 | 2018.03.05(月) 00:39 | URL |
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西さんは、ウヤムヤにされてきた事案は、「歴史のダブー」であるとしている。
すなわち、「歴史研究」することが憚られた(問題視されて来た)経緯があるとみなくてはならない。
私はこうみている。仮に、タブーが存在するにせよ、いずれすべて表面化するであろうと予想するし、いつまでも隠し通せるものではない。
タブーについて歴史研究し、その成果が広く知られることで、「皇室の権威」が失われるだろうと危惧するとの意見については、既に、いわゆる「俗説的な視点での仮説設定ならびに、仮説をベースとする歴史研究」が、在野の研究者によって進められている。
(大半が左翼系の)歴史学者たちが、古事記を歴史書ではないと見做し、近現代史については東京裁判史観を肯定するスタンスを取り続けてきたこともあり、在野の歴史研究は、タブーを怖れない傾向が強い。
従って、私が、ここで何を書こうが、在野の歴史研究は、彼らなりのやり方、アプローチでどんどん独自の調査研究が進んでいる。
本職の歴史学者たちからみれば、正統な歴史研究技法に拠らないものもあるかもしれないが、かつてはそういうレベルのものが多かったが、在野のレベルは近年、目覚ましく向上している。
その辺の歴史学者を乗り越えるレベルの研究者が居るのである。大平裕(古代史)、渡辺惣樹(アメリカ史)は、そういうレベルにあるとみていいだろう。
私見で恐縮だが、唯物史観の歴史学者が95%以上いるそうなので、歴史学者の95%リストラしても問題はないのではないか?くらいの認識である。歴史研究の場に政治思想を持ち込み、大学の教官室で執務時間中に政治活動している、歴史学者は残らずリストラ対象とすべきだ。
ここで、不謹慎だと批判されることを覚悟のうえで、ジンクス的にウヤムヤにされてきた可能性があると思われる、歴史研究テーマリストを以下に示す。
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皇室の近現代史に係わる研究テーマ(俗説、陰謀論的な視点で、テーマ設定したもの)
・明治維新前後に天皇のすり替えはあったのか?
・昭和天皇は誰の子供だったのか?
・226事件などの謀略事件に皇族関係者が主導した形跡はないのか?
・軍事予算の度重なる増加と皇室財産の関係はどうなっているのか?
・昭和天皇は、世界の支配層から命令されて開戦させられた可能性はないのか?
・真珠湾攻撃が中途半端な作戦のまま終わったのは、世界支配層の誰かが真珠湾を攻撃せよと昭和天皇に指示したためではないのか?
・上記伝達者の一人は白洲次郎の可能性はないのか?
・山本五十六が、真珠湾攻撃、ミッドウエー海戦において、自身の作戦立案にこだわったのは、攻撃場所、日時について、世界支配層から昭和天皇に対し伝達があったためではないか?
・ミッドウエー海戦であのような形で敗北したのは、最初から敗戦せよと世界支配層から昭和天皇が命令されたためではないのか?
・閑院宮載仁親王が陸軍参謀総長、伏見宮博恭王が軍令部総長に就任したのは、昭和天皇の作戦指導を容易にすることを目的としていた可能性はないのか?
・昭和天皇は、大東亜戦争の作戦指導等に本当に無関係だったのか?
・特攻攻撃の推進者の中の皇族関係者の有無
・昭和天皇は原爆投下を事前に知っていた?
・終戦間際の皇族関係者の各地派遣は、財宝隠匿目的だった可能性はないのか?
・皇室財産が国際赤十字を経由して秘密裡に送金されたのは本当か?
・皇室秘密資産を原資にして、世界的に金融活動している者の存在の有無
・昭和天皇へのマッカーサー謁見で記録されなかったことの有無
・宮家廃止の隠された意味
・昭和天皇と海軍善玉説の関係
・秘密裡に送金された、皇室秘密資産の継承方法
・皇太子(浩宮)の実父は本当は誰か?
・なぜ保存されるべき皇室の品々がヤフーオークションにかけられ現金化される必要があったのか?
・小和田某は、皇室財産をかすめ取ろうとしたのか?
・生前譲位の目的は何だったのか?
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私は、上記のリストアップされた事項について、全部そうだとみているのではない。が、いろいろ歴史書、特に海戦史ものを読んだ結果として、大東亜戦争史において不整合な点があり、昭和天皇が広範囲に介在していることがわかれば、すべて説明が付く可能性が強いとみている。
ただ、私は、皇室の存在は、日本にとって重要だと思っている。
皇室という存在は、日本の歴史、文化、伝統の核心でもある。
神道、皇室、伝統文化、そのどれか一つが欠けただけでも、日本が日本でなくなるという認識である。
ただ、既に、そのどれもが失われつつあると見なくてはならない。
私は、國體の有り様について述べている。
字句的な定義は、以下が参考となるだろう。
―― 参考情報 ――――――――――
日本國體の本質について
http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2014/10/post-2b68.html
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馬淵睦夫は國體を多面的に捉えている。
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政治・経済・信仰から読み解く
日本「国体」の真実
[著] 馬渕睦夫
目次
第1部 政治における「国体」
1 「君民共治」の政治
2 神から生まれた「祭祀共同体」
3 「和」の民主主義
4 「平和主義」の伝統
第2部 経済における「国体」
1 「稲作」の精神
2 「結び」の力
3 罰としての「労働」
4 「和」という経営方針
5 「グローバリズム」との共存
第3部 信仰における「国体」
1 「古事記」の世界
2 「黄泉の国」神話の教訓
3 「先祖供養」の真髄
4 「造り変える力」の本質
5 「禊祓い」の威力
6 「一神教」の威力
内容紹介
戦後70年――反日包囲網、グローバリズム、「イスラム国」の危機を克服する21世紀の国家論。
グローバリズムにより、各国独自の文化が破壊される一方、「イスラム過激派」による民族対立でナショナリズムが噴出する国際情勢。だが国際社会共存のヒントは天皇と国民が一体である「和」と、西洋の階級闘争史観ではなく分相応を説く「役割分担史観」、一神教をも創りかえる力を持つ「多神教」という日本の国体にこそあった。
国際社会における特異な日本の国体を政治、経済、信仰の観点から元大使がわかりやすく解説する新・国体の本義。
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実態的にはどうなっているか?宮司、皇族、伝統文化に限定して述べたい。
変な宮司(共産主義者、親韓)が近年、あちこちに増えているそうだ。最近は、宮司には以前ほど簡単にはなれないようで、自然淘汰されんことを期待する。
皇族の中には、公務や宮中祭祀を蔑ろにする?方が増えている。秋篠宮家は、公務、宮中祭祀の最後の砦みたいな存在となってしまった。
私は、眞子様に期待している。いろいろ悩まれておられると思うが、最も賢い選択、男系男子継承者の順位に名前が載っている方(100位以内でなくていい?)の中からお選びになることであると私は考える。
いわゆる大人の感覚にて、ご決断いただくことで秋篠宮家の格(歴史的意味を含めて)がさらに上昇するだろう。秋篠宮家は皇室だけでなく、日本の國體の核心を左右する極めて重要な宮家なのだ。
伝統文化については、少子高齢化もあり、継承しようにも成り手がいない問題を抱えている。が、歴史については、近年、問題意識を以て取り組む在野の研究者が増えている。歴史書が飛ぶように売れている。
私は、敗戦後の一時期、日本に駐留経験のあるイギリス軍人にこう言われたことを思い出している。
「日本人は、敵国イギリス人に対し親切だった。そのことについて、一人のイギリス人として日本人に感謝する。しかし、日本は経済発展に溺れ、金銭的には日本人は裕福になったものの、本来的な立ち位置を忘れ、日本は経済発展によって多くのもの(美しかった国土、素晴らしい文化)を失うだろう。(日本は國體を失った。)本当にそれで良いのか。」だった。
実際、そうなりつつあるというか、そうなってしまった。
今さら後戻りはできない。
ただ、日本は、世界史的視点で眺めると、どの国と比較しても、皇室中心でまとまってきた国、そういうお国柄であるようだ。
皇室中心でまとまってきたお国柄だったからこそ、歴史的に内乱が少なかった珍しい国であることは、世界史の本を読めば明らかだ。歴史的に国家国民に安寧をもたらした、その点において、皇室を否定する必要はないように思う。
明治維新や戊辰戦争が、仮に、天皇のすり替えを誤魔化すことが目的だったものであったにせよ、皇位の男系男子継承と維持することが日本の伝統なのであるという視点でみれば、男系宮家復活は当然のことだと思う。
もちろん、「明治維新前後での天皇のすり替え」は、あってはならないことである。が、もし歴史研究的にその可能性が認められるのであれば、本来の男系男子継承に戻すタイミングを考慮、宮家復活を検討すべき時に来ている。
従って、男系男子宮家復活は、本来の皇室を取り戻す?ために避けて通れないという位置づけとなる。
このことは、同時に、「歴史研究のタブーは誰にとってタブーなのか?」ということを意味する。
「明治維新前後での天皇のすり替え」がもし本当だとすれば、それは長州一派によるものは明らかだ。ただ、皇族と遠戚関係にある政治家は、そういう類の歴史研究を正統なものとして扱うはずはないだろう。
つまり、皇室に係わる近現代史は、現歴史学会、現皇族、現政治家にとって、タブーとして扱われるのである。
ともすれば、ウヤムヤにされてきた皇室近現代史がなぜそういう扱いとなるのか?
単に、真実追及義務とか興味本位ではなく、良心ある研究者ならば、日本という国のかたち、國體の有り様を見据え、取り組む必要があることを指摘し、本稿を終える。
以上
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