子供の成人の時期から、皇室について徐々に関心を持ち始めた。
一言で言うと、徐々にである。
無関心、ノンポリであって、共産主義者たちのように、天皇制を否定する考えや皇室を激しく批判するアイデアもなく批判活動したこともない。
ただ、雅子様は、宮中祭祀、公務をしない点からして、皇族としては問題だろうという程度である。
もちろん、何だこれはという風に、皇族となられた方を批判する気はなかった。
ネット上では、特定の皇族のケースについて、激しく罵り、存在を否定するような批判的言動を見かける。が、私は、このような行為を二つの点から、訝しく眺めるようになった。
①生前譲位が行われること、皇太子が即位することについて、ネット活動だけでは何も変わらないのは明らかなのに、敢えて過激な言動を続けるケースがある
②拙ブログは、一部批判的な言動をすることはあっても、具体的根拠を示し、自身の思想経歴、職務的な経験なども紹介するように努めているが、批判一辺倒のものの中に思想経歴、職務的な経験についてほとんど言及しないケースがある
某国の工作員かどうか、見分ける方が一つある。
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某国の工作員を疑うケース
日本人を煽るだけ煽って、皇室解体派の日本人を増やすべく言論活動している中で、自身の思想経歴、職務的な経験などについてはまったく言及しないケース
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拙ブログが、差し障りのない程度で、思想経歴、職務的な経験等を書いてきたのは、普通の日本人であることをご理解いただくために付加される手続きの一種と位置づけるからなのである。
たとえば、古参ブロガーの「よもぎねこ」さんは、自身の生活環境と関連づけて言論活動を続けている。
―― 参考情報 ――――――――――
近畿財務局の「安倍事案」 赤旗さん有難う
http://yomouni.blog.fc2.com/blog-entry-6248.html
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中杉弘氏も同様。自身の経歴、経験について紹介しつつ政治的主張を続けている。
皇室批判者に係わる一文を参照しよう。
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https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12362341461.html
皇室批判は朝鮮工作員の仕業!
最近の皇太子殿下の風評がすごいのです。僕のコメント欄でも随分悪口を言っている人がいます。「皇太子だけは天皇になってもらいたくない」とデビ夫人も言っています。「雅子妃が妃殿下になったら日本は終わる」と言うのです。そんなことは余分なことです。
デビ夫人は皇室批判です。よく北朝鮮にいきます。何故、そんな批判が起きるのはわかっています。庶民と皇室は、住む世界が違うのですから、皇室批判はするべきではありません。それがわかっていないから、庶民が悪口を言っているのです。
天皇と我々は違います。天皇のことに庶民が口出しをしてはならないのです。皇室のことは庶民にはわかりませんから、本当は悪口など言えないのです。それをなぜ庶民の物差しで、皇室を測ろうとするのでしょうか? そんなことができるわけがありません。
天皇の存在そのものが尊いです。存在の何が尊いのかというと、血の流れが尊いのです。どうして尊いのかというと、万世一系の統治の原理をもっているからです。それでよいのです。天皇は、つくられたものではありません。だから「天皇制」というのは、間違っています。
「天皇制」とは、「天皇という制度をつくった」ということです。天皇はつくられたものではありません。GHQは「天皇制は統治の方法として残したほうがよい。でも、天皇が力をつけてはいけない。力を弱めましょう」と思ったのです。
我々が大事にするのは、天皇制ではありません。天皇を大事にするのです。ここのところを間違えるとおかしなことになってしまいます。左翼、朝鮮人どもは、それを全く理解しないで、天皇を「天皇制」として批判するようなやり方をしているのです。
これが外国人の思想であり、日本人は絶対に受けつけてはいけません。
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どうやら某国の工作員の皇室批判は、素性を隠す(=思想経歴や職務上の経験を書かない)一方で、度が過ぎる傾向にあるとみなくてはならないかもしれない。
中杉弘は、「庶民と皇室は住む世界が違うので、皇室批判はすべきではない。皇室のことは庶民にはわかりませんから、本当は悪口など言えないのです。」としている。一理あると思う。
この論理に従えば、庶民の論理で皇室批判するのは、思想的には無自覚な共和制主義者?、共産主義者ということになるだろう。
もちろん、私は、雅子様含めては、皇太子即位後は、フルセットで公務、宮中祭祀を義務付けられるべきだと考える。できないことが確定した時点で、皇室会議にてしかるべき措置をお決めになるべきだとのスタンス。
視点を変えたい。
男から見て、住む世界が違う、血筋がいいな、品がいいと思った女性がいたとする。
その人の先祖に係わる情報がネットで検索できた。結果はこうなった。本家は、200年以上にわたる有力な地場企業、室町時代くらいまで遡れそうな家系図と一族のお墓があるようだった。一族由来の地域では、地名、藩名、城の名、苗字が同じ名称だったりすることもある。
これは、別格の存在だと直観した女性のケースである。直観はそのとおりだったのである。
私は、その女性のことをどう思っていたか。これ以上書かずとも何を言いたいかおわかりいただけるだろう。
電車などで、ひと目見て、雰囲気、顔の特徴、服装などで、おそらくそうだろうと思う方を見かけることがある。確率的には100人に一人いるかいないか。
では、目の前に、明らかに別格で、皇族みたいな雰囲気の女性が現れたとして、その女性を好きになり目出度く結婚に至るのであろうか?
私の答は、おそらく無理だ。
住む世界が違い過ぎる。
周囲の理解があり、仮に結婚できたとして、住む世界が違う人と同じ価値観で生計維持できるのか?そして、同じ価値観で行動を共有できるのか。
私は無理だと思う。
それゆえ、秋篠宮家の眞子様のケースについては、眞子様がお悩みであることは理解しつつも、単に好きだという理由ではなく、住む世界を共有できる人と結ばれるべきだろうと考える。
住む世界を共有化できることは互いに何を話ししても生涯気軽な相手であるということだ。
結婚する相手とは、平均寿命が延びた今、50年は一緒に生活するのであるから、互いにとって、何一つ遠慮しなくて済む、気軽な相手=手頃な存在、でなくては続かない。
生活が続かないのは会話が続かないということである。
この「何一つ遠慮しなくて済む」というのがポイントなのである。
たとえ相思相愛でも、住む世界が違う女性とは、どちらか一方がどんなに頑張ろうが、所詮無理なことなのだ。
眞子様におかれては、賢明なご判断を為されることをご祈念申し上げる次第である。
―― 参考情報 ――――――――――
眞子さま結婚延期 続報 27 小室圭さんの今後を握る「借金返済シナリオ」
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/5346689.html
佳代さん凄いです!元婚約者とは24年前からの知り合い
http://koredeii.com/?p=6312
小室さん母の元婚約者は同じマンションに住む人だった
http://www.ootapaper.com/entry/2018/02/12/175508
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以上
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