倉山満が、古代史の歴史学者大山誠一の学説について、疑問を呈している箇所を読み、習近平の来日、その後の国家主席就任、任期制限撤廃による権力強化等とリンクしているのではないかとの視点から、シナリオ化してみた。
倉山満の本にて、当該箇所を参照したい。
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世界の歴史はウソばかり
倉山満
236~238頁
愚かな「聖徳太子不在説」
近年、古代史の専門家である大山誠一氏が「聖徳太子不在説」を唱えています。美術史家からの反論に対しても、「聖徳太子の実在性を示す史料を提示した人もいない」「頑なな迷信とそれにもとづく感情的な反発だけ」(大山誠一編『日本書紀の謎と聖徳太子』平凡社、二○一一年、大山誠一著の序章、七頁)と述べています。が、この表現自体が感情的な反発に他なりません。
必死で聖徳太子の存在を否定したい歴史学界の人はいったいどこを向いているのでしょうか。もちろん、「一度に十人の話を聞き分けた」とか、「生まれてすぐに七歩歩いた」式の”聖徳太子伝説”が史実だなどと主張する人は一人もいません。しかし、厩所皇子の実在は大山氏を含めて認めています。大山氏は、「厩所皇子は実在したが、聖徳太子は実在しなかった」と主張していますが、ならば「ジョージ・ワシントンは実在したが、アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンは実在しなかった」と同時に主張してもらいましょう。理由は第四章のとおりです。大山氏の理屈が正しければ、通るのであれば、北条早雲不在説も通ります。「伊勢新九郎は実在したが、北条早雲は実在しなかた」とでも言うのでしょうか。
はっきり言いますが、大山誠一が唱えた聖徳太子不在拙ブログは論破されています。
史料が少ない古代史や中世史で近代史のような「絶対確実な事実」だけを厳選すれば、桶狭間の戦いや川中島の戦いなど数行で終了です。前近現代史は、絶対ではないけれども五~九割の可能性の事実の積み重ねです。極めて仮説性が高い学問なのです。
聖徳太子不在説など、学問の何たるかを心得ない不届き者の詭弁にすぎません。
では、死後千四百年もたって、なぜ聖徳太子は目の敵にされるのでしょうか。中華帝国に対して主権国家としての立場を堂々と主張し認めさせた(少なくとも隋は否定できなかった)からであり、国民国家日本の礎を築いた偉大な人物だからです。
神道とあらゆる仏教宗派が一致できる点が、「聖徳太子は偉い」です。太子の時代に蘇我・物部の神仏の抗争がありましたが、外国のような宗教戦争にはなりませんでした。日本は七世紀に宗教問題を解決した稀有な国です。だから、難なく「国民」としてまとまれるのです。
二○一七年二月には「聖徳太子」の名前が教科書から消えるのではないかという騒ぎがありました。また、「北京の中国歴史博物館には、阿部仲麻呂や鑑真和上、そして空海の事績は示されているにもかかわらず、中国と日本の外交関係の立役者である聖徳太子の事績が一切展示されていません。その理由をある人が博物館関係者に聞いたところ、「太子が皇室の出身だからだ」という答えが返って来たそうです。皇室は日中戦争の侵略者である日本の象徴だから展示できないというのです。このように、中国でも、すでに政治的な意図から聖徳太子は抹殺されている」とのことです(田中英道『聖徳太子 本当は何がすごいのか』(扶桑社BOOKS)
第二次世界大戦で敗戦したとき、連合国軍のアメリカやソ連が考えたことも、皇室を潰すことでした。
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ここで、習近平訪日・天皇謁見と聖徳太子抹殺問題はリンクしていると仮説を立て、時系列で眺めてみたい。
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・大山誠一 聖徳太子不在説発表 1996年
・習近平 国家副主席として来日・天皇謁見 2009年
・大山誠一 「日本書紀の謎と聖徳太子」刊行 2011年
・習近平 国家主席に就任 2013年
・北京の中国歴史博物館から皇室関係情報を抹殺 2013~2017年?
・教科書騒動(聖徳太子の名前が教科書から消える) 2017年
・中国政権による、ウイグル人の強制収容所虐殺本格化 2017年?
・国家主席と国家副主席の任期を2期10年とする制限を撤廃 2018年
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こうして大山誠一、習近平に係わる経緯を眺めてみると、習近平は、来日時点において、近い将来、日本支配する意志があり、皇室の権威を剥奪、日本を支配する目的で、天皇陛下謁見を強行したのではないかという疑いが出てきた。
大山誠一については、中国への渡航実績、中国政府職員等との国内外での接触、政治思想等について念のため調査する必要が出てきた。
ちなみに、私が中共工作員と睨んでいる、とあるエコノミストは、中共渡航回数が突出して多かった。
倉山満の本で指摘がある、北京の中国歴史博物館の皇室情報抹殺と大山誠一の歴史研究が連携しているという前提に立てば、大山誠一の中共渡航歴、大山誠一が国内外で会った中国人を調べれば、その正体がわかるように思う。
聖徳太子の歴史研究をするのであるから、中国の政治家や政府関係者に会う必要はないはずである。もし会っていたら、中共を利する意図を以て学説を構築、推進していた証拠として採用できるのである。
以上
この記事へのコメント
Suica割
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聖徳太子不在説が通ったとしても、残さなければならない真実がある。
隋という中国文明の国家と従属関係ではない国家を樹立したこと。
神道と仏教の折り合いをつけ、一種の多宗教国家を作り上げたこと。
この事すら否定するようでは、歴史学者とは、あしき政治学者、曲学阿世の徒と言わざる得ない。
文献を読み解き真実を見つけるという、歴史学者の本分すら否定するプロパガンダニストでしかない。(隋の国史にあるものを否定するということは、客観性の放棄でしかない。)
西
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支那関連では、昔から、日本にはどういうわけか「華夷秩序」を肯定する学者が(左派だけでなく保守系にも)多いのですが、どうも支那由来の思想が問題を大きくしているのではないかと思っています。
この辺が、どうも多くの学者(特に歴史学者と支那文学者)が誤解しているみたいなのですが、「日本」は、「支那」の思想を「学問(主に儒学、四書五経)」として受け入れてはいるものの、「政治体系(朝貢や中華主義)」として受け入れていたわけでは無いという事です。
そもそも、日本は聖徳太子の時代に「主権国家」として独立を主張していますし、歴代の支那皇帝も、清朝までそれを認めてきたのですから、明らかに「属国」、「朝貢国」は可笑しな主張だと思います(支那王朝の外賓に対する対応が隷属国だった朝鮮半島と日本では全く異なることからも明らかです)。
西
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日中戦争についても、当時支那は国家ではありませんし(近代国家体制では無かった上、国民党と共産党の内戦状態だった)、そもそも中共とは戦争していない(国民党にゲリラ戦を仕掛けられましたが)のですから、「侵略」を主張するのもおかしいのですが(国際法上、国際政治学上でも侵略にはならない)、この辺りは東京裁判などでも罪状を問われてはいないはずなので、中共側が主張する「日帝の支那領侵略」の主張の大半が「間違い」である事が分かると思うのですが、歴史学者らがこうした「法的」、「政治的問題」に疎く、専ら「文献主義」、「思想主義」みたいになっているのが問題を大きくしているように思いますね。
西
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更に、法学部についても、東京裁判で議題に上がった問題と上がらなかった問題、および当時の国際法(A級戦犯の冤罪など)、国際政治(ソ連の対日工作など)から「間違い」を主張する事もできると思うのですが、ここも機能していないという問題がありますね。
人文社会系の問題点としては、以上のように、対外的になると全くと言っていいほど「ダメ」になるところだと思います。
現代では、昭和の時代には分からなかったこれらの問題も明らかになってきているのですが、人文社会系の組織的な構造体質のためなのか、未だに「古びた怪しげな学説(すでに破綻しているような学説?)」を未だに崇めているのですから、愚か極まりないと思いますね。
やはり、人文社会系は一旦、見直し、解体が必須になってくるのは間違いないだろうと思いますね。
管理人
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> 聖徳太子不在説が通ったとしても、残さなければならない真実がある。
> 隋という中国文明の国家と従属関係ではない国家を樹立したこと。
> 神道と仏教の折り合いをつけ、一種の多宗教国家を作り上げたこと。
> この事すら否定するようでは、歴史学者とは、あしき政治学者、曲学阿世の徒と言わざる得ない。
>
> 文献を読み解き真実を見つけるという、歴史学者の本分すら否定するプロパガンダニストでしかない。(隋の国史にあるものを否定するということは、客観性の放棄でしかない。)
そのとおりなのですが、我々も歴史学者並に歴史について調査研究する必要がありそうです。
管理人
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> 支那関連では、昔から、日本にはどういうわけか「華夷秩序」を肯定する学者が(左派だけでなく保守系にも)多いのですが、どうも支那由来の思想が問題を大きくしているのではないかと思っています。
>
> この辺が、どうも多くの学者(特に歴史学者と支那文学者)が誤解しているみたいなのですが、「日本」は、「支那」の思想を「学問(主に儒学、四書五経)」として受け入れてはいるものの、「政治体系(朝貢や中華主義)」として受け入れていたわけでは無いという事です。
>
> そもそも、日本は聖徳太子の時代に「主権国家」として独立を主張していますし、歴代の支那皇帝も、清朝までそれを認めてきたのですから、明らかに「属国」、「朝貢国」は可笑しな主張だと思います(支那王朝の外賓に対する対応が隷属国だった朝鮮半島と日本では全く異なることからも明らかです)。
人文社会系の学者たちは、幼稚で馬鹿揃いではないかという仮説を立てて、みる必要がありそうです。
管理人
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> 日中戦争についても、当時支那は国家ではありませんし(近代国家体制では無かった上、国民党と共産党の内戦状態だった)、そもそも中共とは戦争していない(国民党にゲリラ戦を仕掛けられましたが)のですから、「侵略」を主張するのもおかしいのですが(国際法上、国際政治学上でも侵略にはならない)、この辺りは東京裁判などでも罪状を問われてはいないはずなので、中共側が主張する「日帝の支那領侵略」の主張の大半が「間違い」である事が分かると思うのですが、歴史学者らがこうした「法的」、「政治的問題」に疎く、専ら「文献主義」、「思想主義」みたいになっているのが問題を大きくしているように思いますね。
歴史学者が法的、政治的問題に疎いのは、戦後だけのことではなく、ひょっとすると戦前もそうだった可能性はないのでしょうか?
管理人
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> 更に、法学部についても、東京裁判で議題に上がった問題と上がらなかった問題、および当時の国際法(A級戦犯の冤罪など)、国際政治(ソ連の対日工作など)から「間違い」を主張する事もできると思うのですが、ここも機能していないという問題がありますね。
>
> 人文社会系の問題点としては、以上のように、対外的になると全くと言っていいほど「ダメ」になるところだと思います。
>
> 現代では、昭和の時代には分からなかったこれらの問題も明らかになってきているのですが、人文社会系の組織的な構造体質のためなのか、未だに「古びた怪しげな学説(すでに破綻しているような学説?)」を未だに崇めているのですから、愚か極まりないと思いますね。
>
> やはり、人文社会系は一旦、見直し、解体が必須になってくるのは間違いないだろうと思いますね。
人文社会系の解体の一手段として、国立大学文系学部の徹底的なリストラ、合理化が必要と思います。