ドナルド・キーンは本当に「日本文学と日本文化研究の第一人者」なのか?

Wikipediaには、ドナルド・キーンは「日本文学と日本文化研究の第一人者」と書いてあるが、本稿はそれを否定する目的で出稿したもの。



先日、ドナルド・キーンが死去した。
私は、もともとドナルド・キーンについては好意的なポジションだったが、沖縄でのリベラルな発言を知り、評価を変えた。

―― 参考情報 ――――――――――

アメリカ兵の残虐行為(対日戦)について
http://nihonshitanbou.blog.fc2.com/blog-entry-129.html

―――――――――――――――――

彼は、戦後レジーム維持派の人物であろうとみている。




何冊かドナルド・キーンの本を読んだ結果であるが、ドナルド・キーンは、日本を知る文化人としては一流ではないと思っている。
占領期に仕込んだネタで本を書いたような印象がある。自ら調べ分析したレベルの(専門家としての)深み、独創性を感じないのである。




ドナルド・キーンについて、こういう評価がある。情報として覚えておく価値はあるだろう。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/502.html

05. 2011年4月28日 18:41:27: uBx0ZtljjI
このドナルド・キーンというホモ男は、第二次大戦中より、対日諜報工作員として活動し、戦後も一貫してCIAの要員として、今も尚アメリカに情報を垂れ流し続けている、世界白人侵略勢力の一員であることは、既に広く知られている。
ジャニーズがホモ集団で、メディアを使い日本人男子の代表=ひ弱なホモ男として、洗脳してきたのは、米国による、日本フニャフニャ弱体化計画。

ドナルド・キーン=米CIA、ジャニー喜田川=米軍事顧問、共にホモ。日本=ホモであると、日本国内と世界に広めているのは、米政府による、アジア侵略政策による、キチンとした計画によるものであるのも、周知の事実。

彼が今頃になって、わざわざ日本に帰化する目的は、以下である。

①、白人崇拝を維持する為(ノーベル賞と全く同じ、いわば日本人の”ご機嫌取り”)
②、アジア侵略の影響力(痕跡)を残す為(墓を日本に残すことで、白人の影響力を、永世残す企て。米国に墓があれば、何れ忘れ去られるだけである)
③、白人の存在誇示(だがそれは、老いてもうじき死ぬので、放射能など全く怖くないので、人生最後のゴミカス切符を日本で使い切ってしまおうと)

白人による、世界侵略は、今も尚継続中である。

そのカタチの一つが、このキーンのような、帰化=キメラ化である。

今後も”彼ら”は、世界中で、貨幣操作、金融操作、情報操作、紙幣による政府&企業買収を、平然と行い、最終的に戦争を引き起こさせ、悪夢の資本独占支配社会を樹立するだろう。

白人私有資産血縁崇拝=資本主義とは、このような、キチガイ集団なのである。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||



ドナルド・キーンが90歳になって帰化した理由、いろいろ考えたが、上記ならフィットする。




あの山本正の後釜がドナルド・キーンであることはあり得る話だ。

―― 参考情報 ――――――――――

グローバルな悪事とその使者たち(年次改革要望書の場合)
https://nihonnococoro.at.webry.info/201601/article_10.html

―――――――――――――――――



山本正がなくなったのは2012年。ドナルド・キーンが帰化を決断したのは、2011年の東日本大震災直後。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://www.jcie.or.jp/japan/tym.html

山 本  正 (1936-2012)

当センター ファウンダーの山本正(2012年4月15日逝去)は、1970年に日本国際交流センターを創設し、日本における国際知的交流の先駆者として、生涯をかけて米国、アジア、ヨーロッパ、アフリカなど、日本と世界の橋渡し役として活躍いたしました。
山本の逝去に際し、各種メディアやブログなどに、長年ともに仕事をしてきた世界中の方々から、追悼の記事が発表されました。いくつかの記事を以下にご紹介させていただきます。

http://www.jcie.or.jp/japan/others/release/2012/release20121204.html

故・山本正日本国際交流センター前理事長に韓国政府が修交勲章を追賞
2012年12月4日
日韓フォーラムをはじめとした故・山本正前理事長による韓国と日本の相互理解と協力関係の促進への貢献を称え、この度韓国政府から修交勲章興仁章(The Order of Diplomatic Service Merit)が贈られました。
伝授式は2012年12月4日、東京の韓国大使館にて行われ、シン・ガクス韓国大使から山本前理事長の三男、山本三郎氏に勲章が伝授されました。


||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

ロックフェラーやキッシンジャーと親しい、山本正が、最晩年、病床にあったと仮定すれば、ドナルド・キーンの帰化は、キッシンジャーに示唆されたものと考えられなくもない。



下記の記事を読むと、キッシンジャーとドナルド・キーンはつながっている可能性大なのである。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://www.senju-museum.jp/news/1307/

千住博、NY日本商工会議所の年次晩餐会で 日米特別功労賞を受賞
2018.7.3

米国ニューヨーク日本商工会議所(JCCI)は、本年10月末に開催する第34回年次晩餐会で、日本画家・千住博に日米特別功労賞(イーグル・オン・ザ・ワールド・アワード)を授与することを発表いたしました。本賞は、日米友好に寄与した文化人や財界人、政治家などを対象に、その功績を讃えるもので、同時受賞は、世界的俳優であり、活動家や作家としての顔も持つジョージ・タケイ氏。過去には、エドウィン・ライシャワー元駐日大使、ヘンリー・キッシンジャー氏、中曽根康弘元総理、ドナルド・キーン氏、谷口吉生氏、小澤征爾氏、坂本龍一氏など錚々たる顔ぶれが受賞しています。また、ニューヨークにおける日本食文化の普及に貢献し、今年1月に亡くなった倉岡伸欣氏には特別記念賞が贈られます。(


||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||




また、ドナルド・キーンは三島由紀夫と親交があったとしている。
が、リベラルな沖縄などでのドナルド・キーンの一面を知ると、ドナルド・キーンは、三島由紀夫のノーベル文学賞受賞を妨害した可能性がある。

次の一文を読んでおきたい。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

私自身も他の文学愛好者の多分に漏れず、当時、ノーベル文学賞とは文学にとっての絶対的権威であり、川端康成以来の受賞者が我が国に再び現れることが日本文学の地位を高めるとナイーブに信じていた。個人的には大江の文学に共感することは少なかったが、安部と遠藤の作品については高校時代から熱心な読者であった。そのことはおくとしても、日本国民としてというより文学ファンとして、日本人に文学の絶対権威であるノーベル文学賞が授与されるのではとドキドキした気持ちで発表を待ったものである。だが、その私のノーベル文学賞崇拝を以後ばったりと止める一冊の本があらわれる。古本屋で手に入れた、ドナルド・キーンと徳岡孝夫による三島由紀夫についての追悼の本『悼友紀行』である。
 
 1960年代後半、川端康成と三島由紀夫の二人がノーベル文学賞の受賞を最後まで争い、結局、川端に決するその裏の具体的事情について明かす『悼友紀行』の徳岡の次のような文章を読んで、私はノーベル文学賞への崇拝的な感情がいっぺんに消し飛んだのをよくおぼえている。

  ノーベル文学賞の順番が日本にまわってきたとき、川端康成と三島由紀夫の名前が出た。どちらに与えても不都合はない、という判断だった。ところが、最終的な決定を下すスウェーデンに、日本文学の専門家がいない。いきおい、英訳、独訳から推測するほかない。さいわい、あるいは不幸にも、1957年のペンクラブ大会で日本に来て2週間ほど滞在したスウェーデンの文学者がいた。ほかにエキスパートがいないものだから、彼はノーベル賞委員会に対して重要な助言をする役目を与えられた。もちろん、2週間の日本滞在で、日本の作家の比較や評価ができるはずがなかった。ところが、その人物は、キーンさんが訳した『宴のあと』読んでいた。『宴のあと』は都知事選に取材したもので、登場人物は革新党の候補である。そんなところから『宴のあと』は政治小説で、書いたミシマ・ユキオはきっと「左翼」だろうということになった。
 彼の助言をいれて、ノーベル賞はより穏健で日本的な美を書いた作家、川端康成が受賞することになっ
た。                   
                                      徳岡孝夫・ドナルドキーン『悼友紀行』 
                                          
 

 三島由紀夫を「左翼」と誤認したこともさることながら、選考委員会は一人の選考委員が読んだ『宴のあと』の感想でもって三島という文学者への総合的評価をくだす、という信じがたい短絡を平気でおかしていたのである。

 しかもこの日本文学の専門家は、その『宴のあと』の作品内容さえ誤読している。『宴のあと』はどこをどう読んでも政治小説ではない。確かに『宴のあと』は都知事選の革新陣営の候補だった元外相の有田八郎の妻を主人公にして描いているが、この妻を通して、中年女性の生きる姿、そのいろいろな過去を鮮やかに描きつくした現代小説であって、「政治」はあくまで舞台提供されただけ、この小説は政治小説ではまったくないのである。この『宴のあと』を政治小説と勘違いするのは、よほどの翻訳ミスがない限り、粗筋しか読まない人間に限られると言わなければならない。

 三島はこの有田からプライバシー侵害で訴えられ、有名な憲法訴訟に発展している。「革新陣営の候補」すなわち左翼陣営の怒りを買って訴えられているのだから、三島が「左翼」であるという判断はますます成立しないはずである。しかし当時日本の文学世界を大きく揺るがしたこの事件に関して、ノーベル文学賞選考委員会はまったく無知なのである。徳岡が語るこのエピソードの時期、すでに三島の『宴のあと』訴訟は日本国内で、有名な事件になっているにもかかわらず、である。

 こう考えると、川端へのノーベル賞受賞は、ある意味、「誤謬」といってよい判断だったと言わなければならないであろう。のみならず、私は日本文学自体が何か侮辱されたような憤りさえ感じた。要するにノーベル賞選考委員会は日本にも、日本文学にも、ほとんど無知な人間たちによって構成され、そしてさまざまな決定をしているのだ、と考えなければならない。私はそう思って、以後、ノーベル文学賞に対する関心をまったく喪失したのである。(続く)

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||



どこかで、三島由紀夫がノーベル賞選考に際して、共産主義者であるとする情報(誤報)がばら撒かれたことを読んだことがある。どうやら、その情報の出所が、上記記事にて判明したようである。



また、上記記事から、ドナルド・キーンは、日本文学研究の第一任者とはとても思えない。戦後レジーム維持の視点から、ノーベル文学賞候補を差し替える?情報を提供したのではないか。

その前提で次の記事を読むと、ドナルド・キーンは、過去の経緯をすり替えるべく、見解を表明した可能性がある。

―― 参考情報 ――――――――――

三島由紀夫がノーベル文学賞を逃した理由
http://histori-ai.net/archives/1403

―――――――――――――――――

私は、ドナルド・キーンは、油断ならない人物とみている。

語ることが掌返し過ぎるのだ。
すぐにポジションを変える習性がある、あの石破茂が手口を見習っていると書きたいくらいである。




そして、ドナルド・キーンが、もし山本正の後釜の日本支配代理人であるならば、田母神逮捕事案がもしキッシンジャーの指示であるならば、ドナルド・キーンが田母神に関するもろもろの情報を提供した可能性があると考えなくてはなるまい。

そして、ドナルド・キーン死亡直後に、日本に帰化する?ないし急にテレビ等で注目度が増すアメリカ系の有名人がもしいたら、そのアメリカ人は、山本正、ドナルド・キーンに続く(油断ならない)日本支配代理人として見なければならないのである!

以上

この記事へのコメント

  • カオル

    TITLE: 引用箇所の誤変換指摘は気が引けますが・・・
    SECRET: 0
    PASS: d33119f70ec4f7dced2ee616cb3a9aba
    「引用元の誤記」につき、筋違いなコメントですが人名なので、一応コメントします。

    ジャニー・喜田川→ジャニー喜多川
    2019年02月25日 09:08
  • 西

    TITLE: 三島の自決が理解できなかった時点で
    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    川端康成、安部公房らは三島の自決をそれなりに「総括」していたようなところがありましたが、ドナルド・キーンには、「三島の自決が理解できなかった」というような趣旨の発言をしていたようで、それならば、氏の長年の三島らとの交流は何だったのか、これで日本文学の第一人者だったと言えるのか、と思うところがありましたね(文学者では無いですが、三島と交流のあった中曽根康弘も保守と言われていましたが、三島の自決に関してはコメントを避けていたところがあった為、馬脚を現した感じがありましたね)。

    外国人でありながら日本の文学に通じていた人物としては、明治期の「ギリシャ生まれの日本育ちの小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)」がいますが(氏は夏目漱石らと交流があったようです)、それを除けば、ドナルド・キーンくらいしか知られていませんでしたが、その中でも「ノーベル文学賞」というのは、日本の「文学界」というのが、外国人から見た場合にどれ程の地位にあり、そしてどれ程の「レベル」に達していたのか、という一種の指標でしたが、こういった事情を鑑みると、文学として十分評価されていた人物であったとしても、何らかの「政治的力」が働いて、「除け者」にされてきたのだろうな、と悲観したくなりますね。

    一体、それならばいつになったら「戦後レジーム」を終わらせられるのだろうか、三島由紀夫ですら「理不尽」な扱いを受け続けた(嫌がらせ、奴隷的な差別主義に近い)のだから、並大抵のものではないのだろうな、と思いますね。

    米国の対日エージェントと目される、ドナルド・キーンが死去したと言っても、戦後支配を続ける、次の「対日エージェント」が何らかの形で定まっているのでしょうね。

    それが続く限り、我々は「戦後レジーム」を脱却するのは困難であると見た方が良いと思います。
    2019年02月27日 02:08
  • 管理人

    TITLE: Re: 三島の自決が理解できなかった時点で
    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    > 川端康成、安部公房らは三島の自決をそれなりに「総括」していたようなところがありましたが、ドナルド・キーンには、「三島の自決が理解できなかった」というような趣旨の発言をしていたようで、それならば、氏の長年の三島らとの交流は何だったのか、これで日本文学の第一人者だったと言えるのか、と思うところがありましたね(文学者では無いですが、三島と交流のあった中曽根康弘も保守と言われていましたが、三島の自決に関してはコメントを避けていたところがあった為、馬脚を現した感じがありましたね)。
    >
    > 外国人でありながら日本の文学に通じていた人物としては、明治期の「ギリシャ生まれの日本育ちの小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)」がいますが(氏は夏目漱石らと交流があったようです)、それを除けば、ドナルド・キーンくらいしか知られていませんでしたが、その中でも「ノーベル文学賞」というのは、日本の「文学界」というのが、外国人から見た場合にどれ程の地位にあり、そしてどれ程の「レベル」に達していたのか、という一種の指標でしたが、こういった事情を鑑みると、文学として十分評価されていた人物であったとしても、何らかの「政治的力」が働いて、「除け者」にされてきたのだろうな、と悲観したくなりますね。
    >
    > 一体、それならばいつになったら「戦後レジーム」を終わらせられるのだろうか、三島由紀夫ですら「理不尽」な扱いを受け続けた(嫌がらせ、奴隷的な差別主義に近い)のだから、並大抵のものではないのだろうな、と思いますね。
    >
    > 米国の対日エージェントと目される、ドナルド・キーンが死去したと言っても、戦後支配を続ける、次の「対日エージェント」が何らかの形で定まっているのでしょうね。
    >
    > それが続く限り、我々は「戦後レジーム」を脱却するのは困難であると見た方が良いと思います。


    有名な小説家、特に愛国保守を標榜する小説家は、三島由紀夫について積極的に語るべきだと思います。
    2019年02月27日 18:15
  • 新参者

    TITLE: コピペだけで失礼します。
    SECRET: 0
    PASS: 2c7a5a6bfa4b5baee3b981b7803c3747
    宮崎正弘氏のメルマガからの引用です。

    ドナルド・キーン氏は・・

    >三島憂国忌のおりは控え室には来られましたが、何回かお願いしても演壇には立たれませんでした。

    >小生が思いますに、三島さんの思い入れが強かったわりに、キーン氏は、一方で安部公房、大江健三郎を称える人、つまり「文壇政治」と心得た人だった。サイデンステッカー先生がいつぞや呟いておられましたが、キーンさんが展開していることは『政治ですよ』という一言で、殆どが了解できます。

    http://melma.com/backnumber_45206_6792560/
    2019年02月27日 19:57
  • 管理人

    TITLE: Re: コピペだけで失礼します。
    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    > 宮崎正弘氏のメルマガからの引用です。
    >
    > ドナルド・キーン氏は・・
    >
    > >三島憂国忌のおりは控え室には来られましたが、何回かお願いしても演壇には立たれませんでした。
    >
    > >小生が思いますに、三島さんの思い入れが強かったわりに、キーン氏は、一方で安部公房、大江健三郎を称える人、つまり「文壇政治」と心得た人だった。サイデンステッカー先生がいつぞや呟いておられましたが、キーンさんが展開していることは『政治ですよ』という一言で、殆どが了解できます。
    >
    > http://melma.com/backnumber_45206_6792560/

    情報ありがとうございます。
    どういう立ち位置の人物だったのか、気がついている人がいるんですね。
    2019年02月28日 05:03

人気記事