なぜ彼らは反安倍・護憲なのか

野党、護憲勢力の不可解な発言が気になっている。

―― 参考情報 ――――――――――

共産・志位「安倍首相に憲法を語る資格などない。安倍政治にサヨナラの審判を下す」
https://hosyusokuhou.jp/archives/48849080.html

立憲民主・阿部知子「たまたま天皇の場合男系で来た。こだわらなきゃいけない理由はない。」(動画)
https://hosyusokuhou.jp/archives/48849165.html

元NHK・永田浩三氏「安倍君、憲法をいじるのはやめろ」
https://www.sankei.com/politics/news/190503/plt1905030028-n1.html

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一体どういう思考回路でこう語るのか。若い世代になればなるほど、今時の年寄(特に団塊世代)は何を考えているのか?とお考えのことと思う。



私自身も、この世代の存在を問題視している。

共通していることは、特に敗戦後、幼少時から「日本が悪い」と刷り込まれた世代である。特攻散華した世代に対し、敬意を払わない感じである。彼ら世代にとっては特攻は犬死なのである。
自己犠牲を極端に嫌う、自分さえ良ければいい、そんな感じである。これは左翼だけでなく、この世代の保守系言論人にも当てはまる。



それだけではない。もっと致命的な問題があるのだ。
次の一文をお読みいただきたい。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

安倍晋三の真実
谷口智彦

138~140頁

では年齢の高い層は、なぜ安倍嫌いなのか・
「バブル(泡)」というと、日本ではいつも金融と関連し、資産価格が実態から大きく離れ、正当化できないくらい高い値段をつけてしまうことを指します。いつでもパチンと弾けてしまいかねない、というわけです。
でも英語で「イン・ザ・バブル(in the bubble)というと、その一つの意味合いとして、自分を風船玉の中に閉じ込めて、外の世界は膜がかかったみたいにぼやけて見えている状態、外で何が起きているか気にせずやっていける状態をいう場合があります。

日本の高度成長は、1973年の第一次石油危機で終わりを告げました。かたやベトナム戦争は、サイゴンが陥落、完全に終結するのは75年の4月ですが、73年には、すでにパリを舞台にベトナム和平協定の調印が終わっていました。

他方、高度成長が始まったのは1950年から53年まで続いた朝鮮戦争がもたらした、米軍による日本経済に対する「朝鮮特需」がきっかけでした。
してみると、日本が高度成長を初めて終わるまでの期間きっかりまるまる、米国は初め朝鮮の凍土の上に、後にはインドシナの泥土に兵士を惜しみなく送り込んで、ひっきりなしに共産勢力と血なまぐさい戦いを戦っていたことになります。
そのせいで共産勢力は陸上に張り付けられ、海に押し出ることなどできませんでした。
その間日本は、海は安全と思い込んだうえ、インドから鉄鉱石、中東から石油、天然ガス、オーストラリアからも鉄鉱石、粘結炭、天然ガスなど資源を自由に輸入し、最終製品はもっぱら米国で売り捌くという、成長の図式を享受できたのです。

この期間の最後、大学紛争の時代に、「授業はありませんから)デモに行くか、さもなければ麻雀屋、パチンコ屋に行くかしていた男子学生と、彼らのようにデモに行きたくても履いていく靴がなく、ズボンもなくて、よしんばあっても密集体形をとって腰だめで隊列を組むジグザグなデモにはかえって邪魔だから入れないせいで、指をくわえて見るしかなかった女子学生たち、就職や親の目を気にして、要するにデモが怖かった人たち。

彼ら彼女らは今ちょうど60代半ば以上。先般物故した俳人・金子兜太の墨蹟になる「アベ政治を許さない」という文句をプリントアウトしたのをもって、官邸前にやってくる人々です。形相は必死。でも捕まる心配はなく、安全な行為です。

高度成長と自らの成長を見事に同期させた彼らくらい、「バブル」の中で大きくなった世代もありません。平和とは、生まれたときから空気のようにそこにあるもので、米国が日本の代わりに守ってくれているものだなどとは、一度も思ったことがないでしょう。

米国が朝鮮やベトナムで流した血は、いわゆる米国内軍産複合体の利益のため、日本を支配し続けるため、かつまた米国定刻主義をアジアに押しつけるためだと、当時の知識人たちが言うのを、さして異とせず聞いた世代です。
自分たちの国をいい国だと吹聴したり、国旗を仰視し、国歌を斉唱したりするのはやってはいけないことだと思い込んでいる彼らにあるのは、自分が日本人であることへの根深い羞恥心です。

日本とは、一度世界を的に回して破滅するまでする暴挙を犯した国なのだから、いつまたそうなるかもわからない。
ほんの少しでもナショナリズムを掻き立てるような動きがあるなら、早いうちに摘んでおかなければ、自分たちは過去の過ちをまた繰り返してしまうのじゃないかと、おおかたそんなふうに思っているのでしょう。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||



一言で言うと、「当事者意識の欠如」である。自分たちが何もしなくても誰かがちゃんとやってくれる、中共やソ連が日本を占領しても同じ共産主義者同士仲良くやれるはずだと錯覚しているような感じである。

さらに、この世代の管理職のほとんどに共通していることがある。自分がやらなくても、上司や部下がやってくれると思い込んでいるようなのである。自分が処理能力がなくても、である。
要領良く立ち回ろうとする者は、部下には辛く当たり、上司にはゴマをする。そして、高度成長期時代にあったので、年功序列で、無能な学卒もそれなりに出世できた時代なのである。

植木等の映画にあるのは、ほとんど真実なのである。

―― 参考情報 ――――――――――

植木等 映画「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ」
https://www.youtube.com/watch?v=cixsnYn58ls

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我が社においては、ポン大での学卒は、これを実践してめでたく退職。楽しくかつ無責任な第二の人生を生きているはずだ。

話は飛ぶが、批判文以外書けない言論人は、この世代の人たちと同様、当事者として、原因追求はおろか再発防止対策すら考えたこともなく、オピニオン・リーダーとしての責務と認識したことがないということになるのである。

以上

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