さて、感動ものの話、秘話とされているものには、パクリ疑惑がつきまとう、というジンクスがある。
赤穂浪士の討ち入りについて、多くの人が、感動する。私も感動した。
赤穂浪士のテレビドラマのシナリオに関して、専門家に言わせると、後世の創作があちらこちらにあるそうだ。つまり、主君のための仇討ちに至る過程、冷静に眺めると、すべてが感動ものの世界ではないということになる。
ではそれでもなぜ、仇討ちが決行されるのか?ということになる。
主君のためなら、自身の地位、名誉、カネは潔く捨て去ることができる武士が集団として存在していたから実現できたこととなる。
その主君の生き様、実態はどうだったか?磯田道史の本にさりげなく書かれている。現代的価値判断で捉えると、仇討ちするにふさわしい主君の普段の振る舞いであったか否か、ということである。どうも人物的には違う?ようだ。
それでも彼らは、地位、名誉、カネを潔く捨て決行した。
何のために、ということになる。
我々が知る、感動ものの秘話には、(創作を好む)作者にとっては「読者に知られては困る、不都合な事実」が存在しているとうことになる。
さて、感動ものの小説を得意とする、山崎豊子という小説家にはパクリ疑惑が何度も発生している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E8%B1%8A%E5%AD%90
テレビドラマの「大地の子」もパクリ疑惑があった。つまり、オリジナルネタはどうだったのかということになる。山崎豊子の場合は裁判では逃げ切った。つまり、うまくやったということ。
これは、オリジナルで小説を書いたのではなく、読者に感動させるべく、創作した結果である。
創作には、「完全オリジナル」と「オリジナルのリライト」という二つの要素がある。
現実には、感動ものの小説を書いた本は飛ぶように売れる。その販売実績に味をしめ歴史書を書けば、別に読まれるべき重要な歴史書があるのに、はるかそれ以上に売れる。読者層において、劣化本を読まされているという認識はない。(ようだ)
ここで考えておきたいことがある。
当代きっての小説家であり、愛国者と言われた、三島由紀夫は、進んで感動ものの小説を書いたのであろうか?
違うような気がする。少なくとも、感動ネタに飢える、読者のための小説は書いていないはずである。
三島由紀夫が描いた世界、私はすべて読んではいない。が、芸術性は確かにあった。川端康成もしかり。
小説に求められるのは、感動であろうか、それとも芸術性であろうか?私は、芸術として表現したいものがあり、感動はあくまで二次的なものと考える。(私見)
文学は、そもそも人を感動させるために存在しているのか、ということなのである。それは、他の芸術についても当てはまる。
感動を最優先させる小説家は、芸術家としての小説家ではないのではないか、という見方が浮上する。
少なくとも、読者に感動させることよりももっと重要なことについて、愛国的小説家の使命として、三島由紀夫は認識していたと私は考える。
その三島由紀夫が自決した。
自決したということは、地位も、名誉も、カネ以上の存在のためと、普通の保守層なら考える。
三島は、後に続く、愛国小説家(愛国と称する場合を含め)に対し、(突き詰めて考えれば考えるほと、直面するであろう)命題を遺して自決したのである!
従って、後に続く愛国小説家(愛国と称する場合を含め)が歴史書を出した場合、小説家として同業である関係で、三島の自決について述べないのは、(三島の視点からみて)一種の義務違反?となるとの見方が浮上する。
皆様が最近買われた歴史書において、三島由紀夫の自決が述べられているか否か、ご確認いただきたい。三島由紀夫の自決について述べている歴史書を書いた歴史家は、地位も名誉もカネにこだわらない、ホンモノの愛国者である。(私見)
田中英道の「日本国史」にはこう書いてある。
||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||
296~297頁
三島由紀夫の死と日本人のあるべき生き方
谷崎潤一郎や川端と比べると、三島由紀夫の小説には、濃密な日本の伝統文化の社会が描かれていません。戦後は特にそうした過去が否定される時代でもありました。三島由紀夫には、自分の小説でそれに代わる新たな世界を構築することは不可能と感じられたのです。そのことが小説家をつづけられないという絶望につながったはずです。その絶望がなければ、これだけの小説家が死を選ぶはずはないのです。
もう一ついえば、戦後の天皇が、人間宣言により神としてではなく一人の人間として見られるようになったことへの失望があったと思います。天皇の神格化によって支えられていた日本がそれを失ったという絶望感が重なっていたと見ることができます。
あらゆるタイプの小説が書かれてしまって、もはや新たな世界をつくれないという小説家の絶望感は、過去の多くの小説を知る知性的な三島には、切実な問題であったはずです。芸術の形式の成熟と没落は、すべての芸術に共通します。ですから、三島がもう小説の時代ではないと自覚したことは正しかったと思います。その根底には、日本の伝統と文化が失われてしまったという嘆きがあったでしょう。伝統と文化が新しい状況に対応して常に変わっていくということに期待をもてなかったのでしょう。
||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
これは、地位、名誉、カネを潔く捨てた、愛国小説家に関する歴史的評価である。
愛国的小説家の場合はかように深刻なのである。田中英道は、同時に、小説の世界において最も重要なものは、「感動」ではないことを暗示している。
愛国(と称する)小説家が、もし歴史書を書き、戦後史の頁において、三島の小説、三島の自決について論評しなかった場合、何を意味するか?ということになる。(私は、該当するすべての本のすべての頁において、三島由紀夫についての記述かあるか否かについてチェックするほど暇ではない)
一言で言うと、地位、名誉、カネにこだわる、愛国を演じるビジネスマンということになるだろう。
ここで、自決された沼山光洋氏の遺書を一読しておきたい。
―― 参考情報 ――――――――――
超拡散宜しく《令和元年5月11日、靖國神社前の路上で最期を遂げられた沼山光洋さんの死を「遺書」と受けとめ、心よりご冥福を御祈り致します》
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-3090.html
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水間政憲が同志から入手したものであろうと推測する。こんなことを書くと怒られるかもしれないが、遺書は淡々とした書きぶりである。
文面から察するに、沼山光洋氏は、普段から、地位、名誉、カネにこだわらない生き方をされたようである。また、普段から、その覚悟があった方であろう。遺書を一早く公開した水間政憲は、過去の活動歴などから(南京虐殺、慰安婦問題、日本軍遺棄化学兵器、長野聖火リレー、売国法案反対活動等)、詳細は語らず「覚悟」ある活動をしてきたことを改めて知った。
「覚悟」という点では、三浦綾子という小説家が書いた「塩狩峠」にて、鉄道員として殉職された長野氏も、普段から「覚悟」ある行動を意識しされた方だったとされる。
感動ものの秘話の有名な小説としては、「ビルマの竪琴」があげられる。小説家は実話ではなく創作だとしたそうだ。一人のモデルが実在しているとの話を聞いたことがある。私は、モデルは一人だけでなく何人か実在、かく実践、その地で生涯を終えたのではないかと推測する。この小説のモデルと同年代の陸軍関係者で、敗戦後ラマ僧となって身を隠し帰国された方が身近におられたことを知っているからだ。地位、名誉、カネにこだわらない人なら、小説に書かれた通り実践していたかもしれない。
小説家だから、(売れるからという理由で)職業的に感動ものの小説を書けばいいということではない。愛国小説家であればあるほど、本来的に、三島由紀夫の後継者として、三島由紀夫が悩んだ次元、絶望したことを共有する意識があってしかるべきだ。
真摯に保守を語る小説家なら、あれほど有能な(東大合格、国家公務員試験上級合格、たくさんの小説・戯曲・エッセイを刊行、小説家としてノーベル賞候補者)三島由紀夫が絶望した意味を理解できない、はずはないのである。
それでも、感動ものの秘話小説に飢えておられる方に申しあげたい。そういう類のフィクションは、自分で創作するに限る。これは書いた人でなければわからない。知人が私の文章を読んで感動したこともあった。
創作としての、真摯な感動は、書いた人の心の世界だけに宿るべきもの、ということである。
少なくとも、カネで買える、安っぽいものではないはずである。「感動」それ自体が、お金で買えない(プライスレスな)存在であるべきなのだ、言いたいのである。
以上
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