「劣化本」が活動論的に存在価値がない理由

本稿は、劣化版の嫌韓本、歴史書の刊行が増えている現象について、警鐘を鳴らす目的で出稿するもの。



ある有名ブロガーは、歴史学会が左翼系に支配され、文科省がその言いなりになっているとする構図があるとしている。

―― 参考情報 ――――――――――

日本は断じて侵略国家ではない 令和元年5月29日(水)
http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-1216.html

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この状況で、出典を示さない(愛国者?が書いた)歴史書はどんな意味があるのか?

何を書こうが、歴史が左翼系の歴史学会に支配されている状況を変えることにはつながらない。



なぜか?



出典がないために、歴史学者たちへの説得力がまるでないのである。何を書こうが、先行研究の成果を示さないため、書いた文章すべて根拠なき妄言と扱われるからである。在野の研究者の先行研究の一つでも出典を紹介すれば、まだ意味がある。「歴史学的記述」は結構厳密なのである。
出典を記すことは、歴史論文の作法上、非常に重要である。出典を記さないことは、出来が良い場合でも歴史書を読みこなす人にとっては「以前書かれた歴史書の劣化版」、以前書いた歴史書の著者から見ると「パクリ本」、歴史学会所属の学者からみれば「妄言の類」として扱われることを意味する。
歴史論文と小説は対極に位置しているのである。つまり、小説家の感覚で歴史論文は書けるはずがないのである!



読んだ中で、歴史学の入門書として役立ちそうな本を紹介させていただく。

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・歴史とはなにか 岡田英弘
・現代史を学ぶ 渓内謙
・歴史学の研究法 丸山二郎、児玉幸多
・歴史学研究法 今井登志喜
・歴史を考えるヒント 網野善彦
・日本史の基礎知識 杉原壮介他編
・新しい史学概論 望田幸男他
・六国史  遠藤慶太
・歴史の愉しみ方 磯田道史
・近現代日本を史料で読む 御厨貴編

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これらの本を読んだ人なら気がつくはずのことであるが、あの数十万部売れたベストセラーの通史本を書いた人、監修した人、編集者は、歴史学の基本を知らず、売れるという理由で出版活動しているのではないか。



歴史認識問題で中韓が外交攻勢に出ていた時期、政権中枢における歴史認識実態はこうだった。(ようだ)

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-1216.html

政治家もまるで勉強しない、マスコミから質問されると「歴史の専門家の議論に任せる」といって逃げてきました。その歴史の専門家がマルクス主義左翼に完全に毒されて、明らかに人民を搾取し抑圧している「悪の帝国」である北京政府に気兼ねをして、真実の歴史を捻じ曲げて国民を指導してきま
した。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

政治家がこのような状況で、出典がない歴史書は、政治的にどういう意味を持つのかというと、政治家にとってはまったく役に立たない代物ということになる。



では、政治家が読んでいる本を公開する理由はなぜかということになる。

ここでは、「無視できない知人」から本か政治献金を貰ったお礼、あるいは、その政治家の歴史学的認識の程度がその程度と推測させていただく。



これに対し、心ある言論人たちは、根拠に基づく歴史書を書いてきた。出典を示しつつ歴史書を書き、国内の反日勢力(マスコミ、歴史学者など)を黙らせてきたということ。
出典を示しつつ、なんとか黙らせてきた中で、味方サイドで出典を示さない本が蔓延るとどうなるか?
出典を示さない歴史捏造本が再び蔓延る遠因となるのだ。歴史捏造本の根拠が怪しいと批判しても、味方サイドの歴史本が根拠が書かれていないので、追及が甘くなってしまうことが避けられないのである。追及してきた正義の言論人にとっては、せっかく、根拠にこだわって、歴史捏造者(学者、新聞社)を追い詰めつつあったのに、「出典を示さない本が増える現象」は情報戦の包囲網を解くのと同じ効果があるのだ。


出典を示さない「歴史書」は、かように、情報戦において罪深い存在なのである。


その中で、水間政憲は特異的存在。渡部昇一は歴史書を何冊も書きまくってきたのに対し、水間政憲は決定的証拠情報にこだわった。また、水間政憲は、国会議員への情報提供という立場を敢えて選び、黒子に徹してきた。本人から直接聞いたことだが、過去十年以上に亘って、南京虐殺、百人斬り訴訟、遺棄化学兵器、慰安婦問題等、国会議員の質問の根拠資料を提供してきたそうだ。


言論人の中で、かような長期間、黒子に徹してきた人はいるのか?



これに対し、やれ塾だの、やれテレビ放映だの、やれ講演だの、やれメルマガだの、やれ出版案件だの、金目事案だらけの言論人がおられる。たまにサイト訪問しても、やたら恰好つけたがるような、もったいぶった文章が多い。
中川八洋のように、思っていることすべてぶちまければいいものを!保守層を金ヅルとしか捉えていないから、かようにもったいぶるのかもしれない。

さらに、保守層の資金的限界の問題もある。
左翼系が労組資金やパチンコマネーが潤沢に使えることと比較すれば、保守層の資金力は限られている。一部結構な資金力を有するスポンサー(医者、経営者など)がいることはいるが、劣化版の歴史書の購入のために、その資金が消失するのは残念でならない。



拙ブログは、戦後レジームを一歩でも脱却するために提言を旨としている。時々は批判はするが、くだらない同士討ちに係わるつもりはない。まったく意味がない言論活動、目標を定めず戦略を示さないリアルの活動に係わるつもりもない。
同時に、有名な言論人が共感を得ようと?日々せっせとリツイートしているのをみると、吐き気がする。言論人たるもの常にオピニオン・リーダーであるべきであり、リーダーというものは分野は異なっても常に孤独なものだ。ツイートすることで一般人(初心者信者)の関心を引こうとする行為は、言論活動上何か後ろめたいことがあって、(藁をも掴む気持ちで)味方が欲しい心理状態の裏返しであろう。



私は、水間政憲を絶賛しているのではない。彼は彼なりに考えてやっている。保守ビジネス的取組みもあれば、自己犠牲的取組みもある。水間政憲がブログ上、コメント欄を設置せず、メールアドレスを晒さないのは、国会質疑の情報提供元として、身の安全を考えてのこと。(彼は中共工作員に狙われているはずである。)



水間政憲を批判される言論人は、水間政憲がやったような、(国益のために黒子に徹した)自己犠牲実績を手本として示されるべきであろう!

私には、何も知らない信者に対しもったいぶって塾長を名乗る言論人よりも、公園でゴミ拾いしている元プロボクサーの方が、数段立派な人間に見えるのである。

―― 参考情報 ――――――――――

女性「急に話しかけてきた知らないおじさんが元世界チャンピオンだった」
http://www.scienceplus2ch.com/archives/5645617.html

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以上





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