―― 参考情報 ――――――――――
自衛隊装備、ODAで初供与 来年度 比軍に人命救助器材
https://www.sankei.com/politics/news/190923/plt1909230015-n1.html
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手続き上は、8月に行われた、日・フィリピン外相会談で最終確認されている。
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https://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sea2/ph/page4_005174.html
日・フィリピン外相夕食会
2 両大臣は,6月に行われた日フィリピン外務・防衛当局間(PM)協議及び海洋協議において実りある対話が行われたことを歓迎し,防衛装備品の移転や共同訓練などを含む安全保障協力を進めていくことで一致しました。
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ここで、なぜ、フイリピンが自衛隊装備品を欲したか?
アメリカ製でなく、日本の自衛隊のものであることを求めたかについて、歴史的経緯と関連づけて分析を試みる。
そもそも、アメリカがフイリピン植民地化したのは、ハワイ併合を急ぐためであったとの説がある。
―― 参考情報 ――――――――――
アメリカのフイリピン植民地化の動機
http://nihonshitanbou.blog.fc2.com/blog-entry-674.html
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当時のアメリカ政府がやったことは、倫理的に許されることではない。キリスト教原理主義とは、このような政策を是認するのであろうか?
加えて、スペインとの戦争の講和条約にて、フィリピンの領有権を約2000万ドルでアメリカが購入した事実がある。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%AE%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89#米比戦争
米比戦争
エミリオ・アギナルドはフィリピン革命政府代表としてフェリペ・アゴンシリョをアメリカ合衆国に派遣し、アゴンシリョは1898年10月1日に非公式にウィリアム・マッキンリーアメリカ合衆国大統領と会談したが、奔走の努力は実らず、同年12月10日にアメリカ合衆国とスペインの間に結ばれたパリ講和条約によって、スペインはアメリカにフィリピンの領有権を約2000万ドルで譲渡することを認め、翌1899年2月6日にアメリカ合衆国上院はパリ条約を批准したのであった[32]。アメリカ合衆国上院は民主党議員を中心に2月4日までモンロー主義に基づいて植民地を持つことに反対する観点からパリ条約批准に反対する雰囲気があったものの、2月4日夜のフィリピン革命軍とアメリカ軍のサンファン橋発砲事件が2月5日のサンフランシスコの新聞に報道されたことが契機となり、2月6日の批准が実現したのであった[33]。時のアメリカ大統領ウィリアム・マッキンリーは「フィリピン群諸島は合衆国の自由なる旗のもとに置かれなければならない」とする声明を発表した。当時のアメリカ海軍はマハンの大海軍主義の影響を受けており、更に共和党のマッキンリーはマニフェスト・デスティニーの名の下にフィリピン領有を欲していたのである[34]。
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ふざけた話である。こんなことされれば、民族派が立ち上がるのは当然。
その後、フイリピン憲法に、戦争放棄条項が盛り込まれることとなった。
「大東亜戦争の正体」(清水馨八郎)から、フイリピン旧憲法の一部を転載する。
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179頁
フイリピン旧憲法 一九三五年制定
前文
フイリピン人民は、正義、自由および民主主義の政体の下に、その理想を実現し、国民の世襲財産を保存開発し、一般の福祉を増進し、並びに自己およびその子孫に対し独立の幸福を保証する政府を樹立せんがため、天佑を祈願しつつ、ここに本憲法を制定し、これを発布する。
第一条 第一節
フイリピンは一八九八年十二月十日、合衆国・スペイン国間に締結せられたるパリ条約により合衆国に譲渡せられ、右条約・第三条に境界の規定せられる一切の地域、一九○○年十一月七日、ワシントンにおいて合衆国・スペイン国間に締結せられたる条約、および一九三○年一月二日、合衆国・大英帝国間に締結せれたる一切の島嶼、並びに現フイリピン諸国政府が管轄権を行使しつつある一切の地域よりなる。
第二条 第二節
国防は政府の主要なる任務にしてこの任務の遂行ためには、一切の市民は、文武の公役に服することを、法律を以て要求せられることあるべし。
第二条 第三節
フイリピンは、国策の具としての戦争を抛棄し、一般に承認せられおる国際法上の原則を国法の一部として採用す。
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自国の都合で、他国を勝手に植民地支配し、その国の憲法に戦争放棄条項をもぐりこませる。フイリピン旧憲法の全文と戦争放棄条項は、日本国憲法のモデルとして認識されるべきものである。
マッカーサーは、フイリピン植民地支配モデルをGHQ占領に適用したのである。
大東亜戦争戦争開戦時の日本政府・軍関係者が戦争犯罪人であるならば、アメリカ政府には、百人くらいの戦争犯罪人が存在する?のかもしれない。
それだけではない。マッカーサーは、日本軍との戦闘に際し、フイリピン人戦闘員を差別的に扱い、自分だけ無事逃亡したことが知られている。
―― 参考情報 ――――――――――
フイリピン時代のマッカーサーは人種差別的な卑怯な軍人だった?
http://nihonshitanbou.blog.fc2.com/blog-entry-132.html
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マッカーサーは、かくも卑劣で卑怯な人物なのである。渡部昇一は、マッカーサーを議会証言したことで大東亜戦争を日本の自衛目的の戦争だったと評価したが、軍人としては恥じるべきことをしたと評価可能である。
これらの史実から、フイリピンにおいてアメリカという国、アメリカ軍、アメリカ人は、フイリピンの安全保障上、信頼されるにふさわしい存在なのであろうか。
疑問を持たざるを得ないのである。
日本で布教活動されている、モ○モン教関係者(アメリカ人)に対し、布教活動よりも先に、アメリカが諸外国でやってきた負の歴史を勉強すべきである、とつい説教したくなってしまうのである。
フイリピン政府は、身勝手なアメリカとの、かような歴史的経緯を踏まえ、自衛隊とフイリピン軍の絆を深めることなどを狙いとし、自衛隊の装備品を所望するに至ったと考えるのである。
以上
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