教育界のデタラメ?

つくる会が大臣宛てに公開質問状を出したそうだ。

―― 参考情報 ――――――――――

教科書不合格「文科省が不正検定」 つくる会が公開質問状
https://www.sankei.com/life/news/200525/lif2005250032-n1.html

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これを機に、つくる会は、文科省についてやることなすことすべて監視、教育行政に文句あるなら提言・陳情する組織に変貌することを期待したい。

そうなるためには、誰かが言論ビジネスを諦めなくてはならないが、それができるかどうかがポイント。



つくる会と関係することであるが、歴史学者たちはどうであろうか?

たとえば、(歴史は科学であると語る)歴史学者たちは科学を知っていて、「歴史は科学である」と語っているのであろうか?

ロビン・ジョージ・コリングウッドの本を読まれている方なら、(科学の本質を知っているとは思われない?)歴史学者が「歴史は科学である」と語っていることに気づくはずである。

―― 参考情報 ――――――――――

歴史家である前に科学、哲学を理解する必要性
http://gendaishi.jugem.jp/?eid=1237

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科学の世界とは、かように奥が深いのである。数学だけでなく、物理、化学、そして哲学を学ぶことを避けてきた?歴史学者に、「科学」という文字を使う資格はあるのだろうか、、、



話題を変えたい。

教育界では多くのデタラメ?が定説としてまかり通っているのだそうだ。

「教育直言」を書いた川内時男氏はかく述べている。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

教育に科学を取り入れ、根拠なき定説を排除​せよ

32、教育に科学を取り入れ、根拠なき定説を排除せよ(拡散希望!)
(最初にお断りしておきます。ここで述べている教育論は義務教育段階の子供に関してであり、
高校生以上については必ずしも当てはまるものではありません)
教育界には根拠のない定説がたくさんあります。
例えば「詰め込み教育は子供の創造性を失わせる」は教育界だけでなく、世間でも広く信じられています。
しかし私はその確たる根拠は見たことも聞いたこともありません。
IT技術は最も創造性が要求される分野ですが、そのIT技術でトップレベルのインドは詰め込み教育で有名です。
「画一教育は子供の個性を埋没させる」も広く信じられている根拠なき定説です。
「個性の伸長」「個性の尊重」が叫ばれ始めたのは半世紀ほど前からですが、
現代の子供が昔の子供に比べて個性豊かになったとは思えません。
また、今の大人が個性豊かになったとも思えません。
老人の懐古趣味で言うのではありませんが、むしろ画一教育全盛だった昔の方が大人も子供も個性豊かだったように思います。
 根拠なき定説はこれ以外にもたくさんあります。
「丸暗記は無意味」「教え込む教育では考える力が育たない」「受験勉強に追われるとストレスで非行が増える」などです。
これらはほとんどの国民がいささかの疑いもなく信じている定説です。
 しかし一度立ち止まって考えてみて下さい。本当にそうか。そのことを信じるに足るだけの根拠やエビデンスはあるのかと。
何の根拠もなく、ただ信じているだけでないのか。根拠もなく信じるのは宗教であり科学ではありません(宗教を批判しているのではありません)。
 私は長い教師生活の中で、これらの定説が間違っているのではないかと言う疑問を持ち続けていました。
そして動物行動学や脳科学などの先端科学を聞きかじったり、エビデンスをもとに考察したりしました。
それほど深く研究したわけでもなく、また決して博学でもない私ですが、教師の嗅覚として「これは間違っている」と確信しました。
私の嗅覚が正しく、これらの定説が間違っているとするなら、これら教育界の定説は「迷信」でしかないと言うことになります。
 だとすれば恐ろしい話ではありませんか。
「教育は国の礎」と言いながら、その大事な教育を「迷信」に頼っているのですから、とんでもない話です。
しかし私から見て「迷信」であっても、学者先生やマスコミはじめ、多くの国民もこれを正しいと信じているのですから始末に負えません。
これらの定説が迷信であることを明らかにするには、科学の視点で検証する必要があります。
私が何度も「教育に科学を」「教育の近代化を」と訴えているのはこのためです。
私はこの「根拠なき定説」を教育界から一掃するため、どこまでも真実を世に訴え、戦うつもりです。
しかし対する相手は名だたる学者先生はじめ、強力な発信手段を持つマスコミ、そしてこちらは何の肩書きもない年老いた一介の元教師です。
とても歯が立ちません。時折上京し、首相官邸近くでチラシを配ったり、政治家に働きかけたり、全国の都道府県知事や都道府県議会議長、PTA連合会に資料を送ったりしましたが、教育界は微動だにしません(郵送料だけでウン万円、年金暮らしの財布にはこたえました)。
そこで始めたのがフェイスブックです。
これならチラシを配るより遙かに効率的です。
かつての教え子達の手ほどきを受けながら、たどたどしい手つきで発信しています。

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※こちらもお読みください。非常に参考になります。

川内時男著 「教育直言」 時事評論社
http://100prs.info/katudoukiroku/nakama/R2-1-17kawauti/top.htm

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||



(滅多に読む機会がない)問題提起、読まさせていただいた。テレビ出演する、なんとかママとかいう評論家は本当に、本当に、有能なのだろうか。



拙ブログは、問題だー、問題だーと語る言論人を小馬鹿にしてきたが、この水準の問題提起は、一読する価値がある。

文科省、教育界、デタラメ状態が改まるのは、いつのことになるのか、、、


以上

この記事へのコメント

  • 西

    詰め込み教育自体、そこまで大きな問題があったのだろうか、と思いますね。

    確かに、ゆとり教育(個性尊重教育)が実施された後は、一昔前の入試でよく出題されていた難問奇問の類(重箱の隅を突くような知識、文学作品の鑑賞の仕方など、そもそもその場で答えるのが難しいと思われる問題など)は、そもそも受験生や学校側が対応しようと思っても対応しきれるようなものでは無かったですし、そういった類の問題は、公平性の観点からしても、受験の問題として相応しくないので、排除されるべきとして教育(入試)改革は行われてきたはずなので、その点では評価されるべきだったと思います。

    しかし、それは「詰め込み方(漢字や英単語の暗記のみに時間を費やし過ぎる、無駄と思われる応用の利かない知識や受験生の時点で到底分からないような哲学用語の詰め込み)」に問題があったのであって、「ゆとり教育」のように、各教科(各学問)で、必須とされる「知識」そのものを「敬遠」すると、思考力を養えないという別の問題を引き起こしてしまったのではないかと思います。

    要するに、手段と目的を履き違えてはいけないという事です。漢字の学習なども最終的には文章の読み書き(論文の読み書き)が目的なのですから、いつまでも暗記し続けるのではなく(漢字は無数にあり、キリが無いため)、ある一定の時点から新書などを積極的に読むようにしていくべきだったのではないかと思います。

    数学なども公式の使い方を理解するのが目的なので、公式を覚えて問題を解くというのは間違っていないものの、正しくはありません。この辺りを履き違えている人がいかに多いか。

    教育には絶対的な正解は無くとも、少なくとも「正しくない手法」というのはあります。

    それをいかに排除できるかが最大の課題だったと思うのですが、多くの人が手段と目的を履き違えているのが残念だと思いますね。




    2020年05月29日 02:23
  • 市井の人



    >西さん
    >
    >詰め込み教育自体、そこまで大きな問題があったのだろうか、と思いますね。
    >
    >確かに、ゆとり教育(個性尊重教育)が実施された後は、一昔前の入試でよく出題されていた難問奇問の類(重箱の隅を突くような知識、文学作品の鑑賞の仕方など、そもそもその場で答えるのが難しいと思われる問題など)は、そもそも受験生や学校側が対応しようと思っても対応しきれるようなものでは無かったですし、そういった類の問題は、公平性の観点からしても、受験の問題として相応しくないので、排除されるべきとして教育(入試)改革は行われてきたはずなので、その点では評価されるべきだったと思います。
    >
    >しかし、それは「詰め込み方(漢字や英単語の暗記のみに時間を費やし過ぎる、無駄と思われる応用の利かない知識や受験生の時点で到底分からないような哲学用語の詰め込み)」に問題があったのであって、「ゆとり教育」のように、各教科(各学問)で、必須とされる「知識」そのものを「敬遠」すると、思考力を養えないという別の問題を引き起こしてしまったのではないかと思います。
    >
    >要するに、手段と目的を履き違えてはいけないという事です。漢字の学習なども最終的には文章の読み書き(論文の読み書き)が目的なのですから、いつまでも暗記し続けるのではなく(漢字は無数にあり、キリが無いため)、ある一定の時点から新書などを積極的に読むようにしていくべきだったのではないかと思います。
    >
    >数学なども公式の使い方を理解するのが目的なので、公式を覚えて問題を解くというのは間違っていないものの、正しくはありません。この辺りを履き違えている人がいかに多いか。
    >
    >教育には絶対的な正解は無くとも、少なくとも「正しくない手法」というのはあります。
    >
    >それをいかに排除できるかが最大の課題だったと思うのですが、多くの人が手段と目的を履き違えているのが残念だと思いますね。
    >
    >
    >


    詰め込みについて問題視する向きがありますが、そもそも教科書がしかるべき執筆者が書き、しかるべき内容なのか、その辺から教育界の問題にアプローチしたいと考えています。
    2020年05月30日 08:58

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