正攻法の限界を知らなくていいのか

本稿は、明治維新以降、わが国が採用し続けた、(武士道精神的)正攻法の限界について歴史的経緯に基づき説明することを狙いとしている。

国際的に、日本人は謙虚で誠実、嘘をつかない民族と思われている。
明治時代は、武士の国、道義国家と呼ばれていた時代があった。


日露戦争勝利後、ロシア軍代表に帯剣を許して会談、日本側は武士の国の美徳として喧伝したものの、ロシア側は、大東亜戦争末期以降、恩を仇で返す結果となった。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%85%E9%A0%86%E6%94%BB%E5%9B%B2%E6%88%A6

ロシア軍はそれまで203高地攻防などで予備兵力が枯渇し、コンドラチェンコ少将が戦死した中でも抗戦意志を捨てていなかった。しかし東北面の主要保塁(望台)が落ちたことで旅順要塞司令官ステッセリは遂に抗戦を断念し、1月1日16時半に日本軍へ降伏を申し入れた[110]。

5日に旅順要塞司令官ステッセリと乃木は旅順近郊の水師営で会見し、互いの武勇や防備を称え合い、ステッセリは乃木の2人の息子の戦死を悼んだ。また、乃木将軍は武士道精神に則り降伏したロシア将兵への帯剣を許した。この様子は後に文部省唱歌「水師営の会見」として広く歌われた。こうして旅順攻囲戦は終了した。日本軍の投入兵力は延べ13万名、死傷者は約6万名に達した。

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ロシア史的に旅順での降伏、特に帯剣許可をどう捉えているのか、(共産主義者でない)ロシア人が本音で書いた歴史書を読みたいところである。


その日本は、明治維新を乗り越え、近代国家に向い、外交力を増し、日露戦争、第一次世界大戦、勝利の美酒に酔いしれ、正攻法=武士道精神で世渡りができると考えた時代が続いた。

歯車が狂い始めたのは、満州事変あたりから。停戦協定は成立しても次々と反故にされた。これには、日本と国民党を戦わせ、漁夫の利を得ようと企む中国共産党の工作があったとされる。


一連の停戦協定反故、数々の謀略工作の黒幕はあの周恩来とみなくてはなるまい。

―― 参考情報 ――――――――――

通州事件の黒幕は周恩来?
http://gendaishi.jugem.jp/?eid=1240

戦後の日本を嵌めたのは周恩来?
http://gendaishi.jugem.jp/?eid=1238

周恩来が示した「三つのスパイの極意」
http://gendaishi.jugem.jp/?eid=1231

周恩来配下の四人の有能なスパイたち
http://gendaishi.jugem.jp/?eid=1228

周恩来の正体
http://gendaishi.jugem.jp/?eid=1226

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日中国交回復後、日本の政財界が周恩来を高潔な人物であるかのように、こぞって喧伝した時代があったことを忘れてはならない。周恩来は高笑いしたことであろう。


正攻法で考えれば、停戦協定は破られるものではないはず。それが何度も破られた。従って、正攻法、武士道精神に基づく国民党との対応は初めから無理があったということ。

そして最終的に、時の政権は、国連脱退を決断。

では日本はどうすべきだったか?
正攻法に固執せず、国連を脱退せず、プロパガンダに注力する中で時間稼ぎすべきだった?ように思う。

さらに、フライングタイガー配置など、国民党のスポンサーとなったとみられるアメリカから度重なる制裁を受け、日本は対米開戦を決意。しかし、日本は、作戦戦術的に、正攻法にこだわり、真珠湾攻撃では敵の主力軍艦攻撃に注力。

総力化した近代戦争において、敵の攻撃地点の最大の弱点を狙うのは必然。ハワイの軍事基地の最大の弱点は石油と整備施設ではなかったか。
真珠湾攻撃で、石油タンク、整備工場を真っ先に攻撃するだけで、ハワイは占領せずともアメリカ太平洋艦隊全体を無力化できたのに、(ゴリ押しまでして決裁したと言われる)当初作戦計画書にあったとおり?石油タンク攻撃を徹底しなかったのは、問題ではないのか。

さらに、攻撃中、特段の事情の変化がないにもかかわらず、当初作戦計画どおりの軍事作戦を貫徹しないのを作戦計画と言うのか。
連合艦隊司令長官、第一航空艦隊司令長官それぞれは、決裁された作戦計画と実行された作戦の差異をどう説明するのか。
戦史ものの歴史書には書かれていないことだが、真珠湾攻撃については、明らかな作戦違反が発生、本来なら軍法会議ものだった?可能性はないのか。


とにもかくにも、真珠湾攻撃は、敵国の海軍力の主力軍艦を叩くという正攻法に沿ったものであり、それ以外の戦術にて敵国艦隊全体を無力化することは、正攻法とはみなさなず、軍事作戦上は邪道と考えたのかもしれない。
一方、大東亜戦争期間中は、潜水艦が敵国商船を攻撃するのは武士道精神に反する?ので敢えてしなかったとする説がある。この点について分析する戦史ものの歴史書を読んだ方ならご存じであろう。


時代は変わり、第一次安倍政権発足時、安倍首相は、「戦後レジーム完全脱却」を国際社会に向けて発信。振り返ってみると、正攻法的なやり方である。
外交的には、アメリカ訪問よりも先に中共詣出。これに対し、アメリカは違和感を以て敏感に反応した。


アメリカ外交の大番頭格かつ侮日派としてのキッシンジャーは当時、健在。日本が再び立ち上がることがないよう、米中密約はじめ、さまざまの謀略を差配し続けたようだ。さらに、アメリカの歴史学界は、リベラル的な戦勝史観が支配。

―― 参考情報 ――――――――――

・アメリカの歴史学者たちの異常な実態と日本の歴史学者に及ぼす影響について
http://gendaishi.jugem.jp/?eid=615

・アメリカ史の歴史学者たちは歴史の真実を知らないのではないか
http://gendaishi.jugem.jp/?eid=580

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国連には敵国条項も残置されたまま。

アメリカ議会で慰安婦決議等もなされ、対応する形で、日本の保守派によるワシントン・ポストへの意見広告が出された。

しかし、アメリカ政界の反応は、(正攻法で話せばわかると考える)日本の保守派が予想したものではなかった。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E4%B8%8B%E9%99%A2121%E5%8F%B7%E6%B1%BA%E8%AD%B0

第1次安倍内閣が慰安婦について「狭義の強制の証拠はなかった」と閣議決定した事に対して、米国では反感が強まっていた。国家安全保障会議上級アジア部長であったマイケル・グリーンは「強制連行されたかどうかは関係ない。・・・・問題は慰安婦が悲惨な目に遭ったという事であり、永田町の政治家たちはこの事実を忘れている」と述べている[14]。

この広告に対ししんぶん赤旗は、ディック・チェイニー合衆国副大統領が「このような意見広告が何故掲載されたのか」と不快感を示したと報じた[15][16]。

日本側はこの広告によって日米同盟の重要性が再認識され決議案可決の流れが止まることを期待していた[17]。しかしながら外交委員長のトム・ラントスは採決に当たり、この広告に日本の国会議員が名を連ねたことについて、「慰安婦制度の中で生き残った人々を中傷するものだ」と批判した[18]。

ただし決議案は原案から修正され、「日本国首相の公式の声明としての謝罪」を「首相が公式な声明として謝罪すれば、これまでの声明の誠意に関して繰り返される疑問を晴らすのに役立つだろう」に修正して、日米同盟の重要性を指摘する文章も追加された[18]。

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ともすれば、日本の保守派は、正攻法で正面突破することを好む傾向がある。自分だけ安全な岩陰に隠れ、政権が中央突破しないのを見て、政権批判する言論人もいる。

しかし、上述のような正攻法で話せばわかる式の保守派の対応を続ければ続けるほど、日本の政治外交的立ち位置は危うくなる。

正論を掲げる保守系言論人は、この時点で、「戦勝史観の永続、自国の国益優先」する(狡猾かつ手段を択ばない)アメリカ政界、アメリカ歴史学界の動きを学ぶべきだった。


結局、第一次安倍政権は、対米外交不調?、反日マスコミの総攻撃、自民党内部の離反、年金問題に係わる官公労?の謀略、首相自身の体調不良も重なり、崩壊。


つまり、正攻法で「戦後レジーム完全脱却」を国際社会に向けて発信するにしては、時期尚早ないし準備不足だったということになる。

それから数年間、政治家安倍晋三は、国際社会での正攻法の限界を悟り、歴史書を読み漁り、心ある言論人と語り、政治家として己の進むべき道を模索、その成果を第二次安倍政権の外交に反映させたと考える。

拙ブログが論評した、第二次安倍政権でオバマ政権との間で行われたとする数々の「和解の儀式」とは、戦後レジーム脱却のための準備措置とみなすことができよう。


ポイントは、第一次安倍政権崩壊直後の安倍晋三に、国際社会における正攻法の限界を説いた、言論人が居たのか、居なかったのかにある。
おそらく、居なかったのではないかと考えるのである。

以上

この記事へのコメント

  • Suica割

    敵国条項適用国を増やす提案をしてみるのもいいかもしれませんね。
    イラクを生贄に引きづりこむことで、デッドロックをかけてみるのです。
    2020年06月04日 12:10
  • 市井の人



    >Suica割さん
    >
    >敵国条項適用国を増やす提案をしてみるのもいいかもしれませんね。
    >イラクを生贄に引きづりこむことで、デッドロックをかけてみるのです。
    >

    奇手ですね。
    河野太郎ならやったかもしれません。
    2020年06月04日 16:33
  • Suica割

    リベラル的な奇手もあることはある。
    財があるか、人を集め、実行出来る力があればやってみたいことは、各国、各民族の従軍慰安婦的なモニュメントを建てるスペースの提供ですね。
    戦争に付随する愚行や非人道的行為の記憶を残す。
    人類が行った好ましからざる行為の記憶を残す。
    その事をもって、将来の人類への教訓となす。
    そういう目的でスペースの提供をします。
    従軍慰安婦の支援者が求めたら、人道的愚行という名目で快く建てさせておいて、後から、様々な勢力に建てさせるわけです。
    カチンの森から、ライダイハン問題、アメリカのネイティブアメリカンへの仕打ちからなにから、恨みつらみを披露する場所にしてやるのです。
    アメリカが慰安婦は人道的問題であるから反省しろと日本を責めるなら、同じ穴の狢であることを思い出させてあげましょう。
    日本だけ沈まされる今の状況よりはましに思います。
    火消が上手くいかないなら、開き直って、ガソリンばら蒔いて、ダイナマイトを周囲に投げまくったような策です。
    2020年06月04日 17:12
  • 市井の人



    >Suica割さん
    >
    >リベラル的な奇手もあることはある。
    >財があるか、人を集め、実行出来る力があればやってみたいことは、各国、各民族の従軍慰安婦的なモニュメントを建てるスペースの提供ですね。
    >戦争に付随する愚行や非人道的行為の記憶を残す。
    >人類が行った好ましからざる行為の記憶を残す。
    >その事をもって、将来の人類への教訓となす。
    >そういう目的でスペースの提供をします。
    >従軍慰安婦の支援者が求めたら、人道的愚行という名目で快く建てさせておいて、後から、様々な勢力に建てさせるわけです。
    >カチンの森から、ライダイハン問題、アメリカのネイティブアメリカンへの仕打ちからなにから、恨みつらみを披露する場所にしてやるのです。
    >アメリカが慰安婦は人道的問題であるから反省しろと日本を責めるなら、同じ穴の狢であることを思い出させてあげましょう。
    >日本だけ沈まされる今の状況よりはましに思います。
    >火消が上手くいかないなら、開き直って、ガソリンばら蒔いて、ダイナマイトを周囲に投げまくったような策です。


    テキサス親父あたりに相談すると反応ありそうな気がします。
    2020年06月05日 12:03
  • Suica割

    日露戦争勝利後、ロシア軍代表に帯剣を許して会談、日本側は武士の国の美徳として喧伝したものの、ロシア側は、大東亜戦争末期以降、恩を仇で返す結果となった。


    >ポツダム宣言には、速やかな復員を掲げていたにも関わらずそれを無視したシベリア抑留は条約違反であるとともに、道義的な違反行為とも言える。

    帝政ロシアとソビエトは、意識断絶があったこと。
    日本はロシア国民も苦しめられた事を鑑みて、遺体の収容への協力や国としての正式な謝罪等をもって、和解をなしたとする。
    賠償金や領土の割譲は求めない。
    そういうやり方ならば、ロシアも乗ってくる可能性がないこともない。
    2020年06月05日 12:41
  • 西

    戦前ならば、満州事変時は「石原莞爾」などが機転を利かせて危機を乗り越えていましたし、降伏後のソ連の北海道侵攻なども、樋口季一郎陸軍中将などの英断などもあって、北方四島の略奪だけで済む(北海道全土にまで侵攻はされなかった)など、政治機関が機能停止していたような状況であっても「現場の責任」で乗り越えていましたが、官僚(文官)や政治学者などはこのあたりの事情をよく理解できていないようなところがありましたね。

    本来、満州事変などは「非難声明」などを出すべきだったと思いますが、国内外の動きがよく分からず、混乱をきたしていたり、戦後でも敗戦処理に手間を取られていた隙を突かれた為か、動揺が広がっていたところもありましたね。

    どうも現場は優秀でも文官がどうしようもない、逆ならば「政治的な対応」はうまくできると思うのですが、ソ連の北海道侵攻の際の日本側の対応への非難も、「米国」の采配でソ連の要求を拒絶してくれましたからね。

    戦後でも、イラン・イラク戦争時の邦人救出もトルコが本来ならば義務はありません(本来、自国政府が自国民の救出を優先するのは当然で、実際、英国は自国民を優先的に救出していましたから)でしたが、トルコの大統領は政治生命を絶たれる可能性もあったにもかかわらず、自国民よりも優先して、代理で救出してくれたこともありましたが、日本の官僚機構(特に外務省)はトルコに対して謝辞の言葉を述べる事も無かったそうで、20年近く経ってから、小泉政権時に謝辞の言葉を述べたそうで、その時には救出に当たったトルコの大統領は他界していましたから、遅すぎると思いましたね(それでもそのまま放置するよりは良かったと思いますが)。

    どうも、肝心な時に外国を頼るところはありますけど、敵意があるわけでもない相手に紛争をけしかけたりするのは言語同断だったと思いますし、そういった工作に気が付かないなども問題で、逆に紛争当事国や無関係な国に助けられているのは、本当に情けない話だと思いますね。

    2020年06月07日 02:28
  • 市井の人



    >Suica割さん
    >
    >日露戦争勝利後、ロシア軍代表に帯剣を許して会談、日本側は武士の国の美徳として喧伝したものの、ロシア側は、大東亜戦争末期以降、恩を仇で返す結果となった。
    >
    >
    >>ポツダム宣言には、速やかな復員を掲げていたにも関わらずそれを無視したシベリア抑留は条約違反であるとともに、道義的な違反行為とも言える。
    >
    >帝政ロシアとソビエトは、意識断絶があったこと。
    >日本はロシア国民も苦しめられた事を鑑みて、遺体の収容への協力や国としての正式な謝罪等をもって、和解をなしたとする。
    >賠償金や領土の割譲は求めない。
    >そういうやり方ならば、ロシアも乗ってくる可能性がないこともない。
    >


    シベリア出兵時代の、ロシア・ソ連との外交史、調べ直す必要がありそうです。
    2020年06月07日 04:07

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