読書感想文という問題

本稿は、教育界に組み込まれ、長年維持されてきた読書感想文システムに係わる問題提起。


最近、ネット界で読書感想文に関するちょっとした議論があった。

―― 参考情報 ――――――――――

【Twitter】「読書感想文は必要か?」国語教師の問いかけが議論呼ぶ…「強制がよくない」「自分の意見を持つ訓練になる」
http://fxya.blog129.fc2.com/blog-entry-62652.html

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私は、どちらかと言うと、教育界主導の読書感想文について、批判的。学校主導でコンクール提出までする必要を認めない。

―― 参考情報 ――――――――――

読書感想文全国コンクール公式サイト
https://www.dokusyokansoubun.jp/

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教育目的として掲げられているのは、おそらく学習指導要領に記述あるとおり?、作文スキルを磨くこと。しかし、社会人になって、読書感想文などを必要とするはずはない。

社会で必要としない感想文作成スキルを教育界が必要とする理由が理解できない。

変な話だ!社会で必要としないものをなぜ後生大事に継続するのか?
仕事上、読書感想文作成を求められたことがあるだろうか、、、

教師が生徒を評価するため、あるいはコンクール組織を維持、ひょっとするとコンクール表彰に係わる文科省天下りを食わせるためであろう。
教師からみて好ましい生徒は、もっともらしい作文を書いて提出する習性がある。同級生の女の子数人がそうだった。大人でも書けないのではないかと思われるほどの見事な文章力だった。当然、見事コンクール表彰対象!

健闘され、見事表彰された方々には、素直におめでとう、と私は言いたい。



しかし、感想文は所詮感想文。大人の社会では不要!?


で、数十年後に、コンクール優勝者?が政治ブログを始めると何が起きるのか?

政治に係わる目先の騒動について、延々と感想を述べるのである。(本当に実在しているかどうか確認できていないので、推論)
なんとかの独り言みたいなタイトルの、感想文タイプの政治ブログが大流行した時代もあった。


対して、社会活動分類的に、政治ブログとは政治活動の範疇。政治目標達成するために政治ブログは存在している。この点について疑問の余地はない。

仮に、政治ブログ活動を、「政治上の目標を設定し、シナリオ、手順を見出し、一つ一つ実現を試みる、ネット上の文章表現活動」と定義すると、感想文の入り込む余地はあるのか?


一方、感想文を書こうとすると、必要となるスキルは、批判スキルだけ。説明するまでもない。

本気で政治活動しようとすると、①現状分析、②問題となっている原因の特定、③対策検討、④最終目標の設定、⑤実現プロセスの検討、⑥行動計画書作成及び実施、、、いろいろ現実に消化しなければならない作業が続出。

それだけではない。昨今は、外部環境激変の事態が相次いでおり、今までのような政治感覚で日本が乗り切れるとは思えない。深入りすればするほど、政治思想や歴史を勉強しなければならないし、外部環境の変化にも追従しなくてはならない。

政治ブログの目的は、批判スキルを駆使して感想を述べることなのか。
それとも、政治的に実現したいことがあって、その目標達成のためにあるのか。


見方を変えたい。
こんな見方もできるかもしれない。


読書感想文に、文章としての価値はそもそもあるのか?

読書感想文コピペサイトを参照したい。

―― 参考情報 ――――――――――

まるまるパクれちゃえる読書感想文サイト
https://matome.naver.jp/odai/2138906904617386701

自由に使える読書感想文は学校提出目的に限り著作権フリーです
http://www2k.biglobe.ne.jp/~onda/

読書感想文はコピペで済ませよう!そのまま使える例文を一挙20件公開
http://jukennsei.com/2016/08/dokusyokannsoubun/

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このようなサイトがあるせいで、感想文コンクールの表彰選定を担当される方々が、上記で例示されるパクリ文が含まれているかどうかチェックせざるを得ない、難儀な時代になった、と同情する。


ひょっとすると、上記サイトの管理人たちは、教育上課題設定され、提出を強制される読書感想文の(文学的?)価値などあるはずがないので、著作権フリーで良いとし、こんなつまらない作業で時間を費やすならもっと有意義な勉強に時間を使って欲しいと考えているのではないか。

そう考えると、読書感想文とは、一時的に「良い子」になり、その「良い子」が教師に気に入られるための作文でしかない。読書感想文コンクール組織、国語教育を担当する教育委員会や現場教師のために、読書感想文システムは今後も維持されるべきなのであろうか。

かくいう私は、正直に書くと、小学生時代、著作権という法律を知らず、できるなら、誰かの読書感想文を丸ごとパクリたいと思ったことが何度もあった。



小学生に作文させるなら、かつ文章力向上目的で作文させるのであれば、テーマ設定的に、読書感想文に限定するのではなく、夏休みにやったスポーツ・旅行・勉強・自由研究なども選べるようにするなど、テーマの選択肢を広げるべきと思う。

さらに、社会に関心を持たせるなら、(政治的に中立であることを担保できる条件で)、道徳や社会科みたいな科目での作文提出の授業が増えてもいいと思う。

要するに、生徒に作文させる科目を、国語に固定しようとするから、国語という教科の範疇の中で読書感想文というテーマのみが抽出され、拙ブログが取り上げたような変な議論?に発展することになると言いたい。

「学校授業、課題提出としての読書感想文」と「読書感想文コンクール」を切り離すべきなのである!そうすれば、教師の負担も減る。


―― 参考情報 ――――――――――

締切・問合せ先 学校の先生へ
https://www.dokusyokansoubun.jp/limit_02.html

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次に、生産性の視点でのべさせていただく。

日本は、産業構造的にホワイトカラーの生産性が低いと言われてきた。要員が多数いる割に、アウトプットが少ないということである。文系学者を中心に、大学教官による論文発表が諸外国と比較して極端に少ないとする情報もある。

なぜこんなことになるのか?

ホワイトカラーの職務上、目標設定された事案について、最終的に文書として作成することを求められれば対応するのは、職責上の義務である。
皮肉を込めて「たとえ」として書くと、小学生時代読書感想文コンクールで優勝した生徒がめでたく大学の教官となったものの、職責上求められる論文一つ書けないことと同義ととれる。

論文を書かず(書けず)、他の大学教官の噂話だけは時間を忘れて話し込み、感想文だけはいくらでも書ける学者だらけでいいのか?


政治ブログの場合は、どうか。冒頭で書いたが、残念ながら(政治目標達成ではなく)目先騒動事案の感想文中心の記事が多いと書かざるを得ない。
直近で起きたことを振り返ると、コロナウイルス問題に係わる政権対応について、不満を表明、政権に対し(批判だけ、分析なし、具体提言せず、良きに計らえ式の)、知恵を絞り対応を求める趣旨の、感想レベルの記事で果たして良かったのか、、、ということなのである。



自省を込めて自覚しない限り、小学生時代に「感想文」作成を強制されたため、その弊害から下手をすると生涯逃れられないかもしれないのである!


以上

この記事へのコメント

  • Suica割

    これが困っているからなんとかしてくれ形式だろうが、政治家や官僚も動くときは動くが、これをこう変えてくれと来る方がよりフットワーク軽く動いてくれる。
    批判文形式は問題意識の醸成までは役に立つが解決にはそう威力がない。
    ある程度、叩き台がないと、忙しい方々は動いてくれない。
    その意味で提言出来ない言論人は、一般人に影響力があっても、それが、国政的に効率良く生かされる存在とは言えない。
    忙しい方々が求めるのは、叩き台であったり、自分達が思いつかない思考パターンの分析だったり、詳細な説明(細かく分析して、きちんとわかるように文を書ける方は少ない。)であったりであって、批判ではないことを理解していかないと、非常に動かすのは難しい。
    批判だけでなく、その上で提言なり、シナリオなりないとそういう動きがあるのねという概略理解しか得られない。
    批判しても、じゃあ、何がどう悪いの?どうすればいいの?と聞かれて、しどろもどろになる評論家ばかりなように思います。
    それを考えるのはあなたでしょう?では、官僚や政治家もふざけるなと思いたくなるでしょう。
    2020年07月02日 20:45
  • Suica割

    政治に係わる目先の騒動について、延々と感想を述べるのである。(本当に実在しているかどうか確認できていないので、推論)
    なんとかの独り言みたいなタイトルの、感想文タイプの政治ブログが大流行した時代もあった。
    >理知的理論的というより、感性的、感情的な賛同は得られる。

    対して、社会活動分類的に、政治ブログとは政治活動の範疇。政治目標達成するために政治ブログは存在している。この点について疑問の余地はない。

    仮に、政治ブログ活動を、「政治上の目標を設定し、シナリオ、手順を見出し、一つ一つ実現を試みる、ネット上の文章表現活動」と定義すると、感想文の入り込む余地はあるのか?
    >とりあえず、参加してくれる人を増やすという意味で入り込む余地はある。
    一方、感想文を書こうとすると、必要となるスキルは、批判スキルだけ。説明するまでもない。

    本気で政治活動しようとすると、①現状分析、②問題となっている原因の特定、③対策検討、④最終目標の設定、⑤実現プロセスの検討、⑥行動計画書作成及び実施、、、いろいろ現実に消化しなければならない作業が続出。
    >最終目的もないのは、読んでいてある。
    忖度したらわかるけど、書いてくれないと、官僚や政治家は動かない理由にするし、勝手な判断で怒られるのも嫌なので動かない。
    2020年07月02日 21:13
  • Suica割

    読書感想文の教育的な問題点のみを2つ挙げるとする。

    強制してやらせたせいで、読書嫌いを作り出す事がある。
    本を読むことで、情報をインプットする癖を阻害する可能性があり、その点で有害ということが出来る。

    具体的な書き方を教えもせずにやらせる指導法が問題。
    メソッドなしにやらせる非生産性な慣行は、学生生徒に無用な苦痛を与えている。
    教育界隈のブラックな慣行としか言えない。
    感想文なんてセンスと言い切る教師がいたら、無能の極みとしか思えない。
    まだ、塾の小論文対策の方が生産性が高い。
    昨今の本屋には、ライトノベルの作り方なんて本がある位、文の書き方のメソッドが充実している。
    教育界の作文指導は、小説家界隈未満の劣ったものである。
    文章執筆能力向上技術の伝授に関して、教育界は最悪である。
    2020年07月02日 23:50
  • 市井の人



    >Suica割さん
    >
    >これが困っているからなんとかしてくれ形式だろうが、政治家や官僚も動くときは動くが、これをこう変えてくれと来る方がよりフットワーク軽く動いてくれる。
    >批判文形式は問題意識の醸成までは役に立つが解決にはそう威力がない。
    >ある程度、叩き台がないと、忙しい方々は動いてくれない。
    >その意味で提言出来ない言論人は、一般人に影響力があっても、それが、国政的に効率良く生かされる存在とは言えない。
    >忙しい方々が求めるのは、叩き台であったり、自分達が思いつかない思考パターンの分析だったり、詳細な説明(細かく分析して、きちんとわかるように文を書ける方は少ない。)であったりであって、批判ではないことを理解していかないと、非常に動かすのは難しい。
    >批判だけでなく、その上で提言なり、シナリオなりないとそういう動きがあるのねという概略理解しか得られない。
    >批判しても、じゃあ、何がどう悪いの?どうすればいいの?と聞かれて、しどろもどろになる評論家ばかりなように思います。
    >それを考えるのはあなたでしょう?では、官僚や政治家もふざけるなと思いたくなるでしょう。

    なかなか説得力ある主張と思います。
    2020年07月04日 13:26
  • 市井の人



    >Suica割さん
    >
    >政治に係わる目先の騒動について、延々と感想を述べるのである。(本当に実在しているかどうか確認できていないので、推論)
    >なんとかの独り言みたいなタイトルの、感想文タイプの政治ブログが大流行した時代もあった。
    >>理知的理論的というより、感性的、感情的な賛同は得られる。
    >
    >対して、社会活動分類的に、政治ブログとは政治活動の範疇。政治目標達成するために政治ブログは存在している。この点について疑問の余地はない。
    >
    >仮に、政治ブログ活動を、「政治上の目標を設定し、シナリオ、手順を見出し、一つ一つ実現を試みる、ネット上の文章表現活動」と定義すると、感想文の入り込む余地はあるのか?
    >>とりあえず、参加してくれる人を増やすという意味で入り込む余地はある。
    >一方、感想文を書こうとすると、必要となるスキルは、批判スキルだけ。説明するまでもない。
    >
    >本気で政治活動しようとすると、①現状分析、②問題となっている原因の特定、③対策検討、④最終目標の設定、⑤実現プロセスの検討、⑥行動計画書作成及び実施、、、いろいろ現実に消化しなければならない作業が続出。
    >>最終目的もないのは、読んでいてある。
    >忖度したらわかるけど、書いてくれないと、官僚や政治家は動かない理由にするし、勝手な判断で怒られるのも嫌なので動かない。


    大衆紙は感情で動く庶民をターゲットにしていることを参考とすると、保守系感想文型ブログにも一種の大衆紙みたいなものということになります。
    2020年07月04日 13:28
  • 西

    小中学校の読書感想文は苦痛なだけで、正直、文章力の向上を目的にしても「模範解答」のような文章を「義務的」に書かされるだけに過ぎないので、正直やる意味があるのかな、と思いますね。

    これが自分の意見を「論理的に述べる」小論文等であれば、まだ検討予知はあるのかな、と思うのですが、もう少し年齢的に先の話(高校生くらい)だと思いますし、小中学生くらいの年齢では「客観的、論理的」に意見を述べるよりも、自分以外の他者の存在をそこまで強く意識しているわけでもないので、独りよがりの独善的、感情的な意見を述べる傾向が強い(これはある程度仕方が無いのですが)ので、「意見を述べる」という行為も、幼稚臭いところがあると思いますね。

    読書感想文なんかに時間を費やすのであれば、「任意参加」にすればいいと思いますし、主要五教科の「ワーク」のようなものを増やす方が圧倒的にましなのではないかと思いますね。

    小中学校であれば、漢字や慣用句などを多く詰め込む方が圧倒的に良いと思いますね。

    そして、高校生辺りになったら、論説文を読み書きするトレーニングを積ませるべきだと思いますね。
    2020年07月04日 23:12
  • 市井の人



    >西さん
    >
    >小中学校の読書感想文は苦痛なだけで、正直、文章力の向上を目的にしても「模範解答」のような文章を「義務的」に書かされるだけに過ぎないので、正直やる意味があるのかな、と思いますね。
    >
    >これが自分の意見を「論理的に述べる」小論文等であれば、まだ検討予知はあるのかな、と思うのですが、もう少し年齢的に先の話(高校生くらい)だと思いますし、小中学生くらいの年齢では「客観的、論理的」に意見を述べるよりも、自分以外の他者の存在をそこまで強く意識しているわけでもないので、独りよがりの独善的、感情的な意見を述べる傾向が強い(これはある程度仕方が無いのですが)ので、「意見を述べる」という行為も、幼稚臭いところがあると思いますね。
    >
    >読書感想文なんかに時間を費やすのであれば、「任意参加」にすればいいと思いますし、主要五教科の「ワーク」のようなものを増やす方が圧倒的にましなのではないかと思いますね。
    >
    >小中学校であれば、漢字や慣用句などを多く詰め込む方が圧倒的に良いと思いますね。
    >
    >そして、高校生辺りになったら、論説文を読み書きするトレーニングを積ませるべきだと思いますね。

    学習指導要領的に読書感想文をどう位置付けているのか気になるところです。
    ただ、高校ぐらいになると教師よりも優秀な生徒が時たま出現しますので、教師としてはやりづやいことでしょう。
    2020年07月06日 15:21

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