小学校で教えるべきこと、教える必要がないこと

先日、歩道に乗り上げた状態で駐車している車(道交法的には駐車違反状態)を眺めていたところ、その車がそのまま直進、花壇にある丈数十センチの花をなぎ倒した後、車道に移動しつつ走り去った。後でわかったことだが、運転していた人は、小学校低学年の娘さんを持つ母親。
私は、この母親に育てられた娘さんがかわいそうになった。園芸種としての花と雑草の区別がつかないのであろう。

こんな事案もあった。
4人家族、幼児を持つご家庭のご主人、草茫々の敷地の草を整理する際、球根を植えてある箇所まとめて、堀り上げてしまい、植えてある球根のほとんどを台無しにしてしまった。
来年分の球根、私の家の分を進呈すべく、準備中であるであるが、親世代が花というものを知らない根本対策として、「小学校主催で、親子で花を植える、育てる機会(イベント)の確保」を提言する。



話題を変えたい。

近年、小学校教育で話題となるのは、英語教育の必要性の是非だった。

外国語を不得手とする日本人が多く、小学校時代英会話塾通いしたこともあり、英会話を小学校で学ぶことに絶対反対ではない。

むしろ、言葉というものについての扱いに習熟するべく、就学前の家庭内教育、国語教育の内容を充実させるべきと考える。



では、国語教育はどうなっているのか。小学校の国語教育、いまだに読書感想文という課題設定があるようだ。私は、読書感想文については、社会に出てから仕事上、感想文を作成することはないことから、読書感想文そのものの必要性について疑問に思っている。

―― 参考情報 ――――――――――

読書感想文という問題
https://sokokuhanihon.seesaa.net/article/476033612.html

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西さんのコメントを参照しておきたい。

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https://sokokuhanihon.seesaa.net/article/476033612.html#comment

西

小中学校の読書感想文は苦痛なだけで、正直、文章力の向上を目的にしても「模範解答」のような文章を「義務的」に書かされるだけに過ぎないので、正直やる意味があるのかな、と思いますね。

これが自分の意見を「論理的に述べる」小論文等であれば、まだ検討予知はあるのかな、と思うのですが、もう少し年齢的に先の話(高校生くらい)だと思いますし、小中学生くらいの年齢では「客観的、論理的」に意見を述べるよりも、自分以外の他者の存在をそこまで強く意識しているわけでもないので、独りよがりの独善的、感情的な意見を述べる傾向が強い(これはある程度仕方が無いのですが)ので、「意見を述べる」という行為も、幼稚臭いところがあると思いますね。

読書感想文なんかに時間を費やすのであれば、「任意参加」にすればいいと思いますし、主要五教科の「ワーク」のようなものを増やす方が圧倒的にましなのではないかと思いますね。

小中学校であれば、漢字や慣用句などを多く詰め込む方が圧倒的に良いと思いますね。

そして、高校生辺りになったら、論説文を読み書きするトレーニングを積ませるべきだと思いますね。
2020年07月04日 23:12

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||



宿題としての読書感想文は、果たして必要と言えるのか?
そして、学校あげて読書感想文コンクールに参加する必要はあるのか。



在野の政治活動世界、大雑把な特徴として、感想文型言論活動で溢れている。何を具体的にどうして欲しいとは言わず、気にいらない、不満であると述べる、批判スキル依存の政治活動だらけ。
彼ら感想文型保守系言論人(感想文型政治ブログ)は、小学生時代から読書感想文の感覚から抜け出せていない、言い換えると読書感想文の弊害に気がついていないのではないか。


故に小学校にて、宿題としての読書感想文の必要性はないと私は考える。


まとめとして、何よりも大切なことを指摘しておきたい。
花を愛さない(花と雑草の区別がつかない親に育てられた)子供、文章的に読書感想文しか書いた経験がなかった子供が、大人になって、政治の有り様を認識、保守・愛国的視点からきちんと語れるようになるのか。

疑問である。

幸いにして、私は、花多き環境にて育った。
今現在、小学生の子供を持つ親世代には、本稿での問題提起、よくよくお考えいただきたいことである。

以上


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