ここに、謹んでご冥福をお祈りいたします。
李登輝閣下は長きに亘り、本国台湾の発展だけでなく、日本と台湾の良好な外交関係構築を導き、さらに日本の将来を誰よりも憂うる「日本の保守層の精神的支柱」の一人でもあった。
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李登輝元総統「今こそ日本人は、自信と誇りを取り戻さなくてはなりません」 2014年来日時講演より
https://hosyusokuhou.jp/archives/48883673.html
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日台関係に係わったすべての保守層にとって、李登輝閣下は父であり、かつ重要な意味を持つ政治的バトンを誠心誠意差配、日台の堅い絆を日台の次世代にバトンパスされた恩人である。
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バトンパス練習 デモンストレーション 日本代表女子(市川→宮澤) 2015バトンをつなげ!400mリレーフェスティバル
https://www.youtube.com/watch?v=mAoe8Z2iwWk
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ここで、自分という存在を、世代を越えて眺めるとどう映るのか?三つの例で示したい。
前走の走者が一生懸命走り、後続の人に託す。後続の人は、そのバトンを時間ロスなく受け取り、後続の走者に繋ぐ。
実は、私は、自分のことを愛国者とか保守主義者とは思っていない。ただし、私から見て、この人は愛国者、この人は保守主義者と思われる人に何人も遭遇した。
普通の人は(記憶)しないことだが、特に印象に残っている方、私にとって政治的意味を持つ方々の顔の表情、口癖、得意とする話題で話す時の姿勢は忘れないようにしてきた。
1人目は、40歳くらい年上の、支那事変当時の戦車隊長だった、小学校教師。卒業式、運動会などで君が代を学校内で一番の大声で歌い、国語が得意科目だった。大学合格した直後、実家に立ち寄られ、上機嫌で何事か語って帰られた。明らかに託されている気がした。
2人目は、実家が神社の神主、万葉集の研究に没頭する中学国語教師。古典の見方について独自の視点で解説された名物教師だった。
3人目は、戦時中の国産初のジェット戦闘機の試作機開発責任者だった方。東大に負けるなが口癖、「日本は技術で戦争に負けたのではない」という一言は強烈だった。
4人目は、戦時中に学徒出陣で、中島飛行機の戦闘機エンジンのチューニング専門だった方。理論よりも実践を重んじた方だった。
5人目は、早稲田大学法学部・雄弁会出身の上司。話が長いという欠点のせいでほとんどの部下に嫌われたが、私とは不思議とウマが合った。この上司は、岡崎久彦流の「公開情報から環境の変化を読み解く」こと、読み解いたことを「流れとしての概念的変化」として認識、その流れの変化にフィットする「適切なキーワード」を探り当て、据わりの良い表現に仕立て直し、最終的に重役会議や稟議書にて「新たな社内造語」として採用、意思決定、社内周知に持ち込むことに長けた方だった。
「公開情報から環境の変化を読み解く」
⇒「流れとしての概念的変化」の文章化
⇒変化にフィットする「適切なキーワード」を探り当てる
⇒最終的に据わりの良い表現とし重役会議や稟議書にて「新たな社内造語」として採用
⇒意思決定、社内周知
一連の流れは、企業活動の有り様を規定する、ビジョン策定作業そのものである。
同様のことは、政治の世界にも当てはまることではないかと考え、政治ブロガーとして、上司から学んだビジネススキルについて、政治の世界に転用できるはずと思い続けてきた。
この上司が他界され10年近く経過。会社の同僚たちはこの上司のことを忘却の彼方の存在にしてしまっているが、私は、この上司から授かった「知恵」を、ブログ活動を通じて誰かに託そうとしている。
二つ目の例について述べたい。
私は、30歳くらいから、意識していろんな分野の本を読むようになった。冊数では、渡部昇一、岡崎久彦の本が多い。その中で、「保守主義的思想」に関する本で印象に残ったのは以下の二冊の本。
・【「武士道」解題】(李登輝)
・「台湾人と日本精神」(蔡焜燦)
私を含め、敗戦ショックなどから根無し草状態にあった日本の保守層の多くは、古き良き日本を愛した二人の言論人の「力強い言葉」に励まされたはずである。上記の二冊は、戦後生まれの日本の保守層のバイブル、時代は変わっても、政治的覚醒を促す名著と思う。
また、李登輝閣下は、困難な時代の台湾を支え、今日の台湾の発展の礎を創られた方。
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【李登輝氏死去】戦後台湾の象徴 「22歳までは日本人だった」
https://www.sankei.com/world/news/200730/wor2007300018-n1.html
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三つ目の例について述べたい。
私の岳父(故人)は、台湾生まれ台湾育ち、終戦時は特攻隊配属で台湾にて終戦。戦後は自衛隊と密接な関係ある議会関係の仕事を担当。亡くなれた後、海戦史に係わる戦史書を大量に貰い受けた。その後、(立場上入手容易なはずの?)戦史叢書を一冊も読んだ形跡がないことに気がつき、当時の日本軍は敗戦するために手抜きしたのではないか?と思うようになり、ライフワークとして歴史研究することを思い立った。
先人との出会い、読書経験、岳父の残した戦史書から、導かれることは何か、、、
これらは、「知恵のバトンパス」そのものではないか?
我々は、政治的に、保守、愛国を意識するしないにかかわらず、かような「知恵のバトンパス」の中にあるのではないか。
別に保守とか愛国とか名乗らずとも、前走者から受けたバトンを次の(ふさわしい)走者にバトンパスするまで、無我夢中で駆け抜けるだけのことではないか?
一言で言うと、政治活動はバトンパスの世界そのものではないのか。
中でも、戦後保守政治(思想)の支柱となり、日本人の一人として、李登輝閣下に励まされた恩は、忘れてはならないことと思う。
以上
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