真面目過ぎる人が見落としやすいこと


本稿は、「塾」という信者ビジネスに陶酔しやすい方向けに、本来の政治活動の在り方について覚醒されることを想定し書いたもの。

本来、「塾」とは、塾を主宰する言論人を支持する一般人の集いではない。言葉の意味として、ミュージシャンのファンのための交流組織でもない。いつまでも続く、初心者講習会であってもならないし、欠陥だらけのリスキーな政治理論を開陳する場であってもならない。
参加するすべての人に対し、第一義的に、政治的影響力を増すためのスキルや手口・手順を教示する場であるべきである。
ただし、自民党政治塾は、公募枠での出馬選考があり、選挙がらみの塾と位置付けている。

これに対し、拙ブログは、具体的な陳情活動に繋がる情報を配信することを意識する、保守ブログである。以下は、その一例。

―― 参考情報 ――――――――――

ポイ捨て禁止条例に「マスク」を追加すべきです!
https://sokokuhanihon.seesaa.net/article/476643986.html

―――――――――――――――――

上記は、身近な事案で陳情ネタは存在していること、文章様式的に整っていれば、政界・官界にて陳情・要請活動として扱われやすい、ことを示す目的での原稿である。電話で、自治体や議員に対し、ああだこうだと言う前に、この種の要請文書をアチコチに提出することを推奨しているのである。
ただし、この種の陳情・要請活動ノウハウは、第一義的には、政治活動目的を掲げ「塾」なるものを主宰する塾長あるいは塾の事務局関係者が率先して、必須事項扱いで、塾生に教えるべきことである。

が、現実に、塾長と名乗られる方は、高邁な理想を掲げているにしては、いつも(気にいらない)誰かを批判することだけに熱心、政治を変える現実的手段としての提言がなく、陳情書提出やパブリックコメント呼びかけもない。
一体何のための塾なのか?高邁な理想を掲げるなら、塾長たるもの「公に奉ずる精神」を有し、塾生に手本を示す存在でなくてはならないが、昨今は、どこかの英語塾の如く永遠に続く初心者講習会レベルのもの、時勢は変化しているのにもかかわらず同じ主張を続けているもの、タレント化しファンによる支援組織としているケースもあるようだ

いつから、「塾」の言葉の定義が変わってしまったのか、、、

国語辞典的意味での「塾」とはそんな意味だったのか、、、

ここに、真正保守の、政界・官界での政治的影響力が低下している事由を見出すのである。

信者ビジネスからいつまでも抜け出せない信者がいる一方、真面目過ぎる保守主義者たちも存在する。
自ら、真正保守を自称することで真面目な保守主義者であろうと自他共に認めてもらおうとのことなのだろうが、真面目過ぎて?ともすれば批判に走り、日常的な陳情行動を怠ってきたように私には見える。


ここで真面目過ぎるという言葉の意味を解説しておきたい。

保守世界において、真面目過ぎるとは、真正保守であろうとして、真正保守の立場で批判したり、心構えを語ることしか思い浮かばないことである。
真面目過ぎて、国民の一人としてやるべきことが何であるのか、どう提言すべきか、どういう手順なら実現したい事が実現するのか考えが及ばないこともある。

「笑いとユーモア」(織田正吉)という本には、「まじめ」という言葉について、かくユーモア的定義が読める。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

275頁

<まじめ>とは何か
このようなユーモア感覚がもっとも住みにくい場所は、一般に<まじめ>と呼ばれている性格の中です。まじめとは、物ごとの一面しかとらえることのできない、精神の変り身の遅さや不器用さをいい、カーブで曲がることを知らずハンドルを握ったまま直進することしかできない自転車乗りに似ています。精神が当然持ちあわせていねかればならない柔軟性の欠落を、一般に<まじめ>と呼ぶのです。そして、まじめすぎる人は、まじめであることを一つの感覚の欠陥であることに気づかず、むしろ、それをよいことであると信じて疑いません。言葉を変えていえば、柔軟性をうしなったまずしい精神が外見は<まじめ>という道徳的表情を装っているのです。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

国語辞典にも本来、このような記述があってもいいのかもしれない。
ともすれば、国語辞典編纂者の言葉の定義も真面目過ぎて読んでいて疲れるものばかりだ。

まず、真面目過ぎる言論人について、指摘されなくてはならないことは、変わり身の遅さか不器用さから来るものなのか、外部環境の変化に無関心であることだ。外部環境変化に無関心なことは、そもそも情勢分析スキルが皆無であることを意味する。

情勢分析は、言論活動の基本中の基本であるにもかかわらず、、、

要するに、真面目過ぎる人は、全体が見えず、情勢分析が不得意なので先が読めず、キッシンジャーのような妖怪が支配する国際政界において、バランスのとれた判断・行動ができていない、可能性があるのだ。

真正保守だと自覚すればするほど、オールマイテイな存在となるべく、スキル向上を目指さなくてどうするのか!!!

政治的に真面目に保守、愛国であること、と、国民の一人としてやるべきことは無関係であると私は考えている。
「保守ならば、愛国ならば、、、、であるべきだ、、、」、とか「私は保守なので、愛国なので、、、、であるべきだ」という類の主張は、政治的主張として本筋ではない。真面目過ぎる人の視野狭窄的かつ教条主義的論理か、糞真面目な保守層を騙すゴマカシの論理であるとみている。

国家的に危機だとするなら、政治的立ち位置に関係なく、国民の一人としてやるべきことをやることだ。

世の中には、いい加減な政治屋が多いのと同様、いい加減な言論人も多いということ。
嘆かわしいことに、いい加減な言論人であればあるほど、信者ビジネスモデルを巧みに操り維持する術に長けているということである。



以上

この記事へのコメント

  • 西

    そもそも、政治の世界で「真面目さ」がそんなに必要なものなのだろうか、と思いますね。

    「ヤクザ」という「裏社会」ともつながらなければならず(そもそも「政治力学」の観点から、社会的な「汚れ仕事」を担っている「裏社会」の存在を否定するのは不可能)、「あくどさ」が日常茶飯事の「政界」で、「真面目さ」を貫くは不可能に近いわけで、そもそも日本の歴史の中で、武家の時代を含めて、「くそ真面目」な「政治」を行ってきた自体があったのだろうか、と思いますね。

    自分は、日常生活の「道徳規範」を政治の世界にも直接適用するのは間違っていると思いますね。

    一般人が勘違いしがちなのが、そもそも「汚れ仕事」は「嫌われるもの」でありながらも、「社会的」には「認めざるを得ない」という事を理解していないところだと思いますね。

    一般人が、こうした「汚れ仕事」の存在を否定し、所謂「理想主義(汚れ仕事が無い世界)」を掲げるのは勝手なのかもしれませんが、少なくとも政治の世界では「タブー」に近い事である事を、政治家(特に野党)、選挙民(ヤクザを嫌う一般人は多いのですが、政治の世界では無くてはならない存在である事を理解していない)ともども理解しなければならないと思いますね。

    政治の世界では、「くそ真面目さ」は、逆に「政治的、国家的自殺」を招く事もあるという事を理解していない人が多すぎるんですよね。

    「あくどい手法」であったとしても、「国家」と「国民」を守る事ができるのであれば、認めるべきだろうと思いますね。

    2020年08月09日 02:37
  • 西

    そもそも、保守系を含めた大多数の国民が、政治というのは、本来「やりたくはない」ものであるが、「やらざるを得ない」ものである事を理解できていないように思いますね。

    村社会的な「ご近所との親密な付き合い」やら「牧歌的自由」を求める割に、一方で「都合の悪い現実」は「勝手に自分たちの責任」だと思い込んでしまう節がありますね。

    朝鮮人が過去の日本の「歴史認識」に関して「謝罪」を求めてきたとしても、本来、両国間の認識の相違というのは、落としどころが存在しないので(どちらかに都合の良い歴史観を互いに唱えるため)我々は「無視」をするべきですし、むしろ、そういった問題は、内政干渉として提起すべきではないかと思っていますが、それが多くの国民が理解できていないところなんですね。こちらが「謝罪」すれば、勝手に退くものだと勘違いしているわけですね。

    正しい政治的手法は、「朝鮮」から「手を引く事」、および不毛な歴史認識論争を政治問題化しないように「牽制」しておくことですね。

    決して、朝鮮半島に対して「謝罪」やら「賠償」やらをしてはいけませんし、国内外にそのような動きがある場合は、「スパイ防止法」などで処罰しなければならないという事ですね。
    2020年08月09日 02:45
  • 市井の人



    >西さん
    >
    >そもそも、政治の世界で「真面目さ」がそんなに必要なものなのだろうか、と思いますね。
    >
    >「ヤクザ」という「裏社会」ともつながらなければならず(そもそも「政治力学」の観点から、社会的な「汚れ仕事」を担っている「裏社会」の存在を否定するのは不可能)、「あくどさ」が日常茶飯事の「政界」で、「真面目さ」を貫くは不可能に近いわけで、そもそも日本の歴史の中で、武家の時代を含めて、「くそ真面目」な「政治」を行ってきた自体があったのだろうか、と思いますね。
    >
    >自分は、日常生活の「道徳規範」を政治の世界にも直接適用するのは間違っていると思いますね。
    >
    >一般人が勘違いしがちなのが、そもそも「汚れ仕事」は「嫌われるもの」でありながらも、「社会的」には「認めざるを得ない」という事を理解していないところだと思いますね。
    >
    >一般人が、こうした「汚れ仕事」の存在を否定し、所謂「理想主義(汚れ仕事が無い世界)」を掲げるのは勝手なのかもしれませんが、少なくとも政治の世界では「タブー」に近い事である事を、政治家(特に野党)、選挙民(ヤクザを嫌う一般人は多いのですが、政治の世界では無くてはならない存在である事を理解していない)ともども理解しなければならないと思いますね。
    >
    >政治の世界では、「くそ真面目さ」は、逆に「政治的、国家的自殺」を招く事もあるという事を理解していない人が多すぎるんですよね。
    >
    >「あくどい手法」であったとしても、「国家」と「国民」を守る事ができるのであれば、認めるべきだろうと思いますね。
    >
    >

    官庁においても企業においても汚れ仕事は存在します。汚れ仕事をやることで出世の道は閉ざされます。
    政治の世界も綺麗ごとでは済まないことも知らない、保守層がおられることは残念なことと言わざるを得ません。
    2020年08月10日 15:13
  • 市井の人



    >西さん
    >
    >そもそも、保守系を含めた大多数の国民が、政治というのは、本来「やりたくはない」ものであるが、「やらざるを得ない」ものである事を理解できていないように思いますね。
    >
    >村社会的な「ご近所との親密な付き合い」やら「牧歌的自由」を求める割に、一方で「都合の悪い現実」は「勝手に自分たちの責任」だと思い込んでしまう節がありますね。
    >
    >朝鮮人が過去の日本の「歴史認識」に関して「謝罪」を求めてきたとしても、本来、両国間の認識の相違というのは、落としどころが存在しないので(どちらかに都合の良い歴史観を互いに唱えるため)我々は「無視」をするべきですし、むしろ、そういった問題は、内政干渉として提起すべきではないかと思っていますが、それが多くの国民が理解できていないところなんですね。こちらが「謝罪」すれば、勝手に退くものだと勘違いしているわけですね。
    >
    >正しい政治的手法は、「朝鮮」から「手を引く事」、および不毛な歴史認識論争を政治問題化しないように「牽制」しておくことですね。
    >
    >決して、朝鮮半島に対して「謝罪」やら「賠償」やらをしてはいけませんし、国内外にそのような動きがある場合は、「スパイ防止法」などで処罰しなければならないという事ですね。


    日本人は民族としてみるならば、世界のどの民族よりも真面目なのではないかと思えてなりません。真面目さと優秀さゆえに、白人からみて扱いにくい民族、ゆえに、謀略工作を仕掛けられやすいのでしょう。
    2020年08月10日 15:15

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