政治が結果責任であるとするなら、、、

首相は辞任会見にて、結果責任について述べている。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2020/0828kaiken.html

政治においては、最も重要なことは結果を出すことである。私は、政権発足以来、そう申し上げ、この7年8か月、結果を出すために全身全霊を傾けてまいりました。病気と治療を抱え、体力が万全でないという苦痛の中、大切な政治判断を誤ること、結果を出せないことがあってはなりません。国民の皆様の負託に自信を持って応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではないと判断いたしました。
 総理大臣の職を辞することといたします。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


政治において結果責任を負うべきなのは、首相や政権政党に限定されるのか、私は疑問に思っている。

真正保守主義者たちは、首相が在任中に改憲議席を有しているのに、憲法改正実現しなかったことを根拠に、首相の結果責任だとするだろう。

世論調査的に改憲に消極的な世論状況だったとしても、一部の真正保守主義者たちは、改憲に消極的な世論動向を無視し、改憲強行を訴えるだろう。

その場合、次の選挙で自民党は大敗する、、、選挙で大敗することを含め、一部の真正保守主義者たちは、結果責任だとするだろう。


主張が実現しなかったことを、政治家にすべて責任転嫁できるのか、という見方はないのか。
主張した政策について、結末について結果責任を負わないことは道義的に問題ないのか。

同時に、何を以て真正保守だとするのか、定義的に曖昧な部分があることに気がついている。

とりあえず、便宜的に、「真正保守主義者」を「真面目な保守主義者」と言い換え、以降の考察を進めさせていただく。


私なりの論点を示す前に、Suica割さんの指摘を一読したい。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

https://sokokuhanihon.seesaa.net/article/477222541.html#comment

Suica割

批判スキルだけの人はともすれば、価値観、着地点、是正すべき問題点を示せてない場合がある。
負け戦であるがNHK訴訟を私が評価するのは、意図的ミス(解釈の違いや下請けへのミスの転嫁で逃げるだろうが)を明らかにして、そういう事があるという事を世間に知らせた事と訴訟リスクを避けるため、そういう事をし難い風土にしたという事がある。
9条の会は反対ばかりでなぜ強いのか?
それは、9条をそのままにして、米軍と協力して海外に出ていくなという価値観をきちんと伝えているから。
場合によっては、非武装中立まで主張するから。
故にスイスとスウェーデンは、バリバリの徴兵を行う重武装中立国家と日本人が気づき始めてから、それ関係の団体は理想国家として紹介しなくなりました。
保守は価値観の普及が弱いのが問題。
2020年09月06日 22:54
Suica割

コロナ対策に失敗したかに見える安倍政権だが、バランスを取りながらというやり方であったとするなら、それなりにやっているように思える。
国民の自由(特定業種の自粛要請をしない等)、往来の自由(海外との交通)、流通の自由(マスクのネット転売を野放しにしたり等)を軸に対策しない方向に振っておいて、自由の確保を理由にして、野党全体にも責任を擦り付けたり、自由の確保をしてくれたという雰囲気で支持率を下げない方法もあったと考えられる。
中国にクレームつけさせずに列国にそれなりな準拠した対策を取っていた以上、バランスを取ったコロナ対策であったのではなかろうかと思える。
2020年09月06日 23:09

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


私的認識となるが、批判文しか書かない(書けない)自称保守主義者(≒いわゆる真正保守主義と名乗る人たち?)が政権批判(内閣不支持)に転じた以降、内閣支持率は低下し、首相が退陣表明した後、急上昇した。

批判する政治的意味はあったのか?
彼ら保守主義者たちが政権を批判、時に罵倒する中、拙ブログは、(批判を抑制)提言活動を続けた。


その前提に立ち、以下に、五つの論点を示す。


■論点1 政治が結果責任とするなら、結果責任は政治家だけが負わされるべきなのか?

言論界では、政治が結果だとする記事で溢れている。

―― 参考情報 ――――――――――

政治は結果 安倍総理大臣のレガシー(前編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12621037066.html

「政治は結果責任」責任を取るつもりがない時の決め台詞
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/270058

政治は結果論の世界である――渡部昇一教授
https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/cee9503b6efb1b515bd1dce3a994846a

―――――――――――――――――

憲法改正について述べると、一部の真正保守主義者たちは、政権が憲法改正できなかった責任を、首相にあるとするだろう。しかし、それは見方として正しいのか。野党が憲法審査会での協議に応じないなら、支持する真正保守層が主導する保守系団体は、憲法審査会での審議に応じない野党についての制裁法案(審議拒否する野党議員の給与等引下げ法案など)や、野党幹部が与党議員から国会質問できるようにする国会法の改正等について提言、陳情、請願することなどにより、野党に政治的圧力をかけることを検討すべきだったのではなかったか。

一度でも政権支持を表明した政権と政治目標を共有した保守系言論人、政権と深くかかわった言論人は、結果責任を(道義的に)負うべき当事者として扱われるべきではないか。
万年野党支持の言論人たちは、政権が選択した政策を最初から最後まで、極論するとすべての政策を否定ないし批判してきた。テレビ出演する(三流)学者・言論人が該当する。
部分肯定・部分批判する立場なら、道理として批判文だけで済まない。政権が執る政策を補強する提言も必要となる。
ゆえに、批判文や感想文程度しか書けない(書かない)保守系言論人は道理として存在自体が不要となるのである。


■論点2 現実の政治について述べる文書は「論文」なのか?

関係者が雑誌寄稿文について、論文として扱っているケースでの、意見交換サイトを見つけた。

―― 参考情報 ――――――――――

「令和2年「正論」7月号」への22件のフィードバック
https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2588

―――――――――――――――――

本来、「論文」とは、「当該学術分野(理論)に関して客観的視点から考察・分析等を扱うもの」であって、安倍政権や安倍首相の評価に係わるものについてまで論文なのか?
タイトルや内容からして、「論文」として扱うことが妥当なのか。
「客観性が完全に担保されていない論文」なら、あの山口二郎の書いたものと同類に見えてしまう、、、
当該言論雑誌は、「学術的視点から政治分野の論文を扱う研究者向けの専門誌」でないことは明らかである。


■論点3 そもそも思想的に根無し草でいいのか?保守主義のルーツと定義はどうなっているのか

マルクス主義者の場合、思想的な根源は、特定の書物であることは明白である。しかし、保守主義の場合はそうはいかない。

福田恒存、中川八洋など、思想哲学的な本を読み、中川八洋の本に書いてある記述を参考とすると、日本で保守主義の考えられている思想哲学は、未翻訳のものを含め、学術的に整理された状態とはなっていない。(以下の中川八洋の本の説による)

・『正統の哲学 異端の思想 「人権」「平等」「民主」の禍毒』(徳間書店, 1996年)
・『保守主義の哲学 知の巨星たちは何を語ったか』(PHP研究所, 2004年)

ということは、自ら保守主義者と主張される言論人たち(たとえば、西尾幹二?)は、思想哲学的に根無し草であると暗に認めているに等しいことになる。

まじめな保守主義者なら、当然思想的な見極めを終えたうえで、真正保守主義者であると語ることになるはずだが、(思想哲学上の座標軸等を示すなどの)手続きを省略している可能性を指摘せざるを得ない。

―― 参考情報 ――――――――――

「まじめ」の基準
http://www.nitta-seiun.ed.jp/sottakublog/1486911600

西尾幹二
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B0%BE%E5%B9%B9%E4%BA%8C#%E5%8D%98%E8%91%97

―――――――――――――――――

西尾幹二はドイツ思想・哲学に係わる全集ものを刊行している。Wikipedeiaを読むと、自身を文学者としたいようだ。専攻がドイツ哲学、ドイツ思想であるにしては、、、いささか違和感ある自己紹介と言わなくてはなるまい。

ちなみに、中川八洋は、思想哲学のみならず、皇室関係を扱った、著作を出している。これらの分野については、最近の新刊書と比較しても、内容的に中川八洋の方が重厚かつ有用なものと思っている。

―――――――――――――――――

中川八洋の著作

・『正統の憲法 バークの哲学』(中央公論新社[中公叢書], 2002年)
・『新・日本国憲法草案 “国家”日本の新生』(山手書房新社, 1991年)
・『地政学の論理 拡大するハートランドと日本の戦略』(徳間書店, 2009年)


・『国が亡びる 教育・家族・国家の自壊』(徳間書店, 1997年)
・『教育を救う保守の哲学 教育思想(イデオロギー)の禍毒から日本を守れ』(徳間書店, 2003年)
(渡部昇一との共著)

・『悠仁天皇と皇室典範』(清流出版, 2007年)
・『皇室消滅』(ビジネス社, 2006年)(渡部昇一との共著)
・『これがジェンダー・フリーの正体だ』(日本政策研究センター, 2003年)

―――――――――――――――――

中川八洋は、航空工学がそもそも専攻。第二の人生的立場で、文系学問と係わりを深めた。本職の西洋哲学者が、思想哲学的に座標軸を定めず、未定義なままでいいはずはない、、、


■論点4 態度的に真面目な保守主義者であれば、実質的に何もしなくても問題ないのか?

世の中、真面目過ぎて、いいことばかりではない。

―― 参考情報 ――――――――――

真面目な男性がモテない理由とは?
https://whitekey.co.jp/wp/1785/

真面目な人の特徴11個とは? | 生活百科
https://seikatsu-hyakka.com/archives/7312

【真面目な人】ってどんな人?性格や特徴、陥りがちな失敗や悩み〈まとめ〉
https://domani.shogakukan.co.jp/290297

―――――――――――――――――

世渡り、恋愛、出世、とかく真面目な人は、理想が高過ぎ、妥協したくないため、人間関係で損しやすく、ともすれば生きにくい、、、
内申書評価的には、授業態度的に真面目な生徒は高評価となることは疑いないことであるが、政治が結果責任であるなら、同一の目標を共有した、政治に関わる人すべてが、たとえば、政治家、政党関係者、政治活動家が結果責任を負うべきだ。

そういう感覚からすると、提言なし、実績なしの保守系団体は、当該期間政治活動したとは言えない。

保守系言論人も同様。政権がコロナ騒動下で、休日を取得しない状態で時に寝ずに対応しているのに、(同一の政治目標を共有している、保守系言論人が)いつまでも安全な居場所に隠れ、フリーハンドの立場かつ評論家感覚で活動することが道義的に許されるべきことか、、、

さらに、真面目な保守主義者が、批判だけして、求める政治状態に近づくのであろうか、、、真面目な保守主義者であろうとするなら、なおさら、保守系政治家に決断と行動を促す、提言・陳情・請願・パブリックコメントに参加すべきであろう。



■論点5 敢えて「真正保守」を標榜する必要はあるのか

私が、知り得た何人かの真正保守主義者たちの特徴は、ビジネススキル的に今一つ、、、文章で何かまとめても批判文、感想文程度の類のものが多いような印象。

そういうこともあり、スキル的な視点からの、原稿出稿の必要性を痛感している。

提言したことがなく、陳情書を出したこともなく、請願したこともなし、パブリックコメント参加経験なしで、真面目な保守(真正保守)であると自己紹介する、必要と価値は一体どこにあるのか?

むしろ、政治的に中立な立場であるものの、政治的目標を定め、目標に対し提言・陳情・請願・パブリックコメントをそこそここなす「在野のご意見番」を目指す方が、結果を出すことに繋がるのではないのか?




■結論

五つの論点を参考に、活動上の新たな視点を示したい。

・政治に関する結果責任は、政権を担当する保守系政治家だけでなく、政治的目標を共有し、政権支持を表明した在野で政治活動(言論活動を含む)する人たちも問われるべきではないか?
・政治活動上の文書は、そもそも(論文ではなく)提言書と位置付けるものではないのか?
・思想的な座標軸が定まらず、かつ学術的な定義が未完状態なら、敢えて保守主義者と名乗らなくても良いのではないか?
・態度的に真面目な保守主義者であらんとするよりも、具体的政治目標に対し結果を出すことを意識した言論活動、すなわち、提言、陳情、請願、パブリックコメントに政治活動の軸足を移すべきではないか?
・実質的な肩書として、「在野のご意見番」で十分ではないのか?



いかがであろうか?



真面目な保守主義者であらんとする気持ちはわかる。
しかし、結果と責任を考えたら、「実態的に、態度的に真面目な保守主義者」である意味はあるのか。

下手をすると、思想的座標軸が根無し草であること、活動論的に提言・陳情・請願・パブリックコメントに無関係、スキル的な未熟さなどが気になるなら、敢えて「真正保守」と名乗らず、「在野のご意見番」とした方が、道義的な意味での結果責任を問われることはないと考える。

それゆえ、私自身は、敢えて真正保守主義者であると名乗らないようにしているところである。


以上






この記事へのコメント

  • Suica割

    結果責任を問うなら、在特会が最低のパフォーマンスを発揮してますね。
    責めるべき論点を間違え、責める対象を間違え、相手にダメージを与えられず、良く調べもせずにデマを含んだ内容を拡散してしまったせいで、ヘイトスピーチ防止法の立法根拠を与えてしまった。
    動かない方がマシなマヌケ団体であった。
    そういった意味のない事はしてはいけない反面教師です。
    むしろ、真面目な実証史学の専門家等に活動資金を集めて配分する活動をしたほうがナンボもマシでした。
    2020年09月08日 22:43
  • Suica割

    私は保守とも愛国者とも名乗れませんね。
    日本が本当に残虐な事をやっていたら、謝罪しなくてはならないと思ってはいますが、真偽不明なことや明らかに間違いなことで責められるのは我慢できないし、それで賠償や謝罪をすることは全く受け入れられない人間です。
    だから、バリバリの左にも右にも嫌われる。
    2020年09月08日 22:50
  • Suica割


    ・思想的な座標軸が定まらず、かつ学術的な定義が未完状態なら、敢えて保守主義者と名乗らなくても良いのではないか?

    >私の場合、思想的な座標軸があるとしたら、人道主義、因果応報という価値観、法の不可訴求、実証主義というものがないまぜになったものだろう。
    故に敗戦国は、言われた通りなんでも謝れという価値観が大嫌いだし、東京裁判等の平和への罪などただの言いがかりとしか思ってない。
    しかしながら、ヒトラーを無罪にしろとまでは言わないし、罰したければ、他の罪で罰しろと考える。(ユダヤ人を監禁致死、或いは教唆による殺人等、問うべき罪状はたくさんある。)
    人道主義に基づき、虐殺者として、大いに道義的に批判しても良いとさえ思っている。
    西洋的法価値概念(最大に妥協して米英法のそれで構わない)に基づく、戦犯の見直しが将来的に図られるべきであると思っている。
    2020年09月08日 23:45
  • 市井の人



    >Suica割さん
    >
    >結果責任を問うなら、在特会が最低のパフォーマンスを発揮してますね。
    >責めるべき論点を間違え、責める対象を間違え、相手にダメージを与えられず、良く調べもせずにデマを含んだ内容を拡散してしまったせいで、ヘイトスピーチ防止法の立法根拠を与えてしまった。
    >動かない方がマシなマヌケ団体であった。
    >そういった意味のない事はしてはいけない反面教師です。
    >むしろ、真面目な実証史学の専門家等に活動資金を集めて配分する活動をしたほうがナンボもマシでした。

    他人のミスや失敗は咎めても、自分のミスや失敗をきちんと検証、再発防止対策を考えない限り、結果を出すことは難しいでしょう。
    批判だけ、感想程度、心構えの披露程度の言論活動では話になりません。
    2020年09月09日 16:48
  • 市井の人



    >Suica割さん
    >
    >私は保守とも愛国者とも名乗れませんね。
    >日本が本当に残虐な事をやっていたら、謝罪しなくてはならないと思ってはいますが、真偽不明なことや明らかに間違いなことで責められるのは我慢できないし、それで賠償や謝罪をすることは全く受け入れられない人間です。
    >だから、バリバリの左にも右にも嫌われる。

    バリバリだと思われている右向き集団が、最近、右に見えなくなってきているところです。
    2020年09月09日 16:50
  • 市井の人



    >Suica割さん
    >
    >・思想的な座標軸が定まらず、かつ学術的な定義が未完状態なら、敢えて保守主義者と名乗らなくても良いのではないか?
    >
    >>私の場合、思想的な座標軸があるとしたら、人道主義、因果応報という価値観、法の不可訴求、実証主義というものがないまぜになったものだろう。
    >故に敗戦国は、言われた通りなんでも謝れという価値観が大嫌いだし、東京裁判等の平和への罪などただの言いがかりとしか思ってない。
    >しかしながら、ヒトラーを無罪にしろとまでは言わないし、罰したければ、他の罪で罰しろと考える。(ユダヤ人を監禁致死、或いは教唆による殺人等、問うべき罪状はたくさんある。)
    >人道主義に基づき、虐殺者として、大いに道義的に批判しても良いとさえ思っている。
    >西洋的法価値概念(最大に妥協して米英法のそれで構わない)に基づく、戦犯の見直しが将来的に図られるべきであると思っている。

    ずっと理系でしたが哲学書は読んでおりました。Suica割さんのように、私は、明確に自分の思想的な座標軸を定義できる状態ではないこともあり、中川八洋的概念での保守主義者と名乗ることを躊躇っております。
    2020年09月09日 16:53
  • 西

    「歴史は勝者に都合の良いように書き換えられる」という「ジンクス」がある限り、歴史学者は常に「中立」でなければ「研究」ができない側面はあると思いますね。

    実際に、歴史学者による「考証」で、一般に語られている話と全く違う歴史上の人物も多くいますからね(マリーアントワネット、徳川綱吉など)。彼らと権力闘争の関係にあった人物(フランス貴族、新井白石など)が彼らの評価を下げるために宣伝した「デマ」である可能性が高いと思っていますが、だからと言って、別に、政治体制まで変えろとまでは思っていません(マリーアントワネットが歴史学的に不当な評価を受けている(これはフランスの歴史学者も主張している)からといって、王朝を転覆させて成立したフランス共和政が不当であるという評価にはならない。マリーアントワネットの処刑の妥当性と政体の変更は関係がないため)。

    ただ、歴史上の不当な評価に関しては抵抗せざるを得ないと思っているだけです。
    2020年09月13日 01:10
  • 市井の人



    >西さん
    >
    >「歴史は勝者に都合の良いように書き換えられる」という「ジンクス」がある限り、歴史学者は常に「中立」でなければ「研究」ができない側面はあると思いますね。
    >
    >実際に、歴史学者による「考証」で、一般に語られている話と全く違う歴史上の人物も多くいますからね(マリーアントワネット、徳川綱吉など)。彼らと権力闘争の関係にあった人物(フランス貴族、新井白石など)が彼らの評価を下げるために宣伝した「デマ」である可能性が高いと思っていますが、だからと言って、別に、政治体制まで変えろとまでは思っていません(マリーアントワネットが歴史学的に不当な評価を受けている(これはフランスの歴史学者も主張している)からといって、王朝を転覆させて成立したフランス共和政が不当であるという評価にはならない。マリーアントワネットの処刑の妥当性と政体の変更は関係がないため)。
    >
    >ただ、歴史上の不当な評価に関しては抵抗せざるを得ないと思っているだけです。


    教科書の記述については、検定手法含めて改善陳情等行う必要があると思います。〇〇〇会はそれをすべきです。
    2020年09月14日 08:16

人気記事