「ザル法」状態が直らない根本原因

本稿は、外国人が係わる犯罪、いじめ問題等において「ザル法」状態が直らない根本原因を見出すことを目的としている。



「タテマエとホンネ」(増原良彦)という本がある。著者は評論家と自称するが、結構踏み込んだ分析をされる方である。学生時代の専攻は、インド哲学。

この本を読んでいくうちに、「ザル法」状態が直らない根本原因が三つあることを発見した。


とりあえず、列挙させていただく。

・日本社会における「契約」の概念が、そもそも西洋社会と異なる
・神仏を拠り所とする日本社会は「契約」を前提としない社会である
・日本社会は、問題が起きる前に想定するよりも、問題が起きてから都度解決するという、(後手を好む?)発想上の問題を抱えている



以下に、「タテマエとホンネ」の本を引用しつつ、「ザル法」状態発生のメカニズムの分析を試みる。


■日本社会における「契約」の概念が、そもそも西洋社会と異なる

「タテマエとホンネ」によると、そもそも契約書にて書くべき概念が西洋と日本では異なるとある。予め想定される事象を網羅した契約書を作成する発想が日本人にはないため、契約書の内容は「ザル」状態となる。

上記「契約書」の文言を「法律」に置き換えれば、法律の条文が「ザル」状態となるのは必然的。

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159頁

日本人の契約はタテマエである
つまり、日本人にとって「契約」とは、一般原則であるにすぎない。一般原則にはずれた、個々
のケースにおける問題点は、あらかじめ予想するこは困難である。また、あらゆるケースを網羅的に前もって想定し、その対応策を決めておくことは、なかなか骨の折れる仕事である。だから、そんな骨の折れる仕事はやめて、問題が起きればその都度解決すればよい……。そのように日本人は考えるのである。日本人がそう考える拝啓には、もちろん一民族・一言語・一文化といった日本の特異性がある。「誰もが同じ人間……」という思い込みがあって、はじめてできることである。
日本人にとっての「契約」は、要するにタテマエである。別段、確認するまでもないーお互い同じ日本人だから、確認する必要がないのであるー一般原則が、日本人にとっても「契約」であり、それはつまりはタテマエを述べたものにすぎない。ホンネの部分は、すなわち一般原則(タテマエ)からはずれたケース・バイ・ケースで処理すべき問題は、それはその都度考えればよいことである。そして、日本人がその都度考えればよいとしているそのホンネの部分が、西洋社会では「契約」と呼ばれているのである。
「契約」概念は、したがって、日本と西洋では、根本的にちがっているわけだ。

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■神仏を拠り所とする日本社会は「契約」を前提としない社会である

西洋、イスラム社会の場合、社会において一人の人間として存在する証は、宗教上、一神教の神と契約することを基本とする。日本には(良いことか悪いことかは別として)それがない。神仏を背景とする日本社会は、契約の存在がない。

すなわち、契約していないのであるから、社会生活全般に、契約違反の概念がないことになる。

西洋社会の常識では、契約に背いた場合、契約違反した場合を当然想定するが、日本社会は、契約を前提としないため、背いた場合の処理、違反した場合の処理を想定しない傾向がある。

「契約」の文言を「法律」に置き換えれば、法律の条文が、法律違犯の状態を想定しないのは必然的となる。

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152頁

「契約」の宗教

西洋社会が「契約」社会である背景には、彼らの宗教がある。キリスト教やイスラム教の母体となったユダヤ教が、神と人間の「契約」にもとづく宗教なのである。


154頁
このように、神が「契約」を結ぶという行為において、人間とのあいだに交わりを持つというのが、『旧約聖書』をつらぬく根本思想である。だから『旧約聖書』には、”契約”といったことばが二八五回も使われている。「契約」思想を抜きにしては、ユダヤ教もキリスト教も、そしてイスラム教だった成立するはずがない。その意味で、いわゆる西洋の宗教は「契約」の宗教であり、東洋の仏教とは根本的にちがっているのである。

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■日本社会は、問題が起きる前に想定するよりも、問題が起きてから都度解決するという、(後手を好む?)発想上の問題を抱えている

宗教上含めて、日常社会のほとんどが契約概念で規定されている外国と比較し、日本社会は契約という概念が希薄であるため、問題が起きる前にすべての問題を想定するよりも、問題が起きてから都度解決する方が効率的と考える傾向がある。法案設計発想として、条文的に(問題が起きてから都度解決する)「ザル」法状態を当然と考えるのである。

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155頁
契約を軽視する日本人
ひるがえって、日本人のあいだでの「契約」はどのようなものであろうか……?
どうも日本人は、契約を軽視する傾向にある。

中略
いままであまりトラブルも発生していないようだから、まあ大丈夫だろう……といったふうに考えてしまう。厄介な問題が生じても、そのときになって話合えばなんとかなる……というのが普通の日本人の考えていることである。
もちろん、こんな考え方は、外国人相手には通用しない。外国人は、自分のほうが少しでも不利になれば、契約条項を楯にとってこちらに闘いを挑んでくる。

158頁
日本人の契約はなくてもかまわないものである。したがって、実際問題としてわざわざ契約書をつくらない場合も多いのである。契約書を作成しなければならないような人間関係を、日本人は「水くさい」と感じている。

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激増する外国人犯罪、いじめ問題の対応、法規制的に後手であることは明らか。これら三つの法律設計発想を直さない限り、外国人犯罪、いじめ問題の対応が後手となることは永遠に続く。
外国人による健康保険制度の悪用等は、法規制設計時点で、さまざまの悪事を事前想定しなかった結果である。

(法律違反ではないが)モラルに反する行為がやったもの勝ち状態が放置されていることを含め、行政機関として、外国人犯罪、いじめ問題に関して、法の抜け穴を徹底的になくす努力が必要である。


以上


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