現状打破のための「理論構築」

本稿は、保守派の弱点とみられる理論構築スキルについて、私見を述べたもの。

―― 参考情報 ――――――――――

保守派の二つの弱点
https://sokokuhanihon.seesaa.net/article/481227204.html

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まず、拙ブログのスタンスについて説明したい。
基本的には、保守、革新、特定の政治思想などのイデオロギーに過度にとらわれることなく、国益、國體、公序良俗、道理の視点から、状況を分析、現実を見据え、対策立案、あるべき論を示そうとしてきた。

これは、官界稟議書での決裁を想定した結果である。はっきり言えることは、官界の稟議書において、「保守だから、愛国だから、、、することを決定する」と書かれることはない。稟議書を一回でも起案した人ならわかる話である。

しかし、現実の陳情・要望書においては、保守政権なら、、、であるべきだみたいな書きぶりが多い。(ような気がする。)


この現象をどうみるか。

「現実を変えるための、理論構築を政権に丸投げした主張」と私はみる。


二つの政治テーマについて考えてみたい。

旭川で起きたいじめ事案について、保守だから、愛国だから、、、すべきだみたいな論理展開なるだろうか。ちょっと考えればわかることだ。なるはずはない。

尖閣問題はどうか。保守なら、愛国なら、、、すべきだみたいな論理展開の団体関係者がいたような気がする。保守ならデモに参加すべきだ、署名すべきだ、寄付すべきだ、大同団結すべきだみたいな主張だったような気がする。私は、私で、尖閣問題の深刻さについて気がついている。しかし、保守なら、、、愛国なら、、、すべきだみたいな論理展開は、気持ちとしてはわかるが、説得性と論理に乏しい。


たとえとして男と女の関係の次元で説明したい。

結婚する理由に関して三つのケースがあったとする。

①好きだから結婚したい
②好きだし、いつまでも一緒にいたいので結婚したい
③好きだし、いつまでも一緒にいたいし、うまく行きそうだから結婚したい

①と②は気持ちが先走っているように思う。
これに対し、③は現実を考えた判断が含まれる。


保守なら、、、すべきだ、愛国なら、、、すべきだという主張は、気持ちとしてはわかるが、自分の「気持ち」だけで他人を説得しようとする主張に近い。


決定的なこととなるが、「気持ち」と「論理」は異なる。


なお、私は、好きな女性に対しては、好きだとか愛しているとはあまり言わず、別の方法でシグナルを送るようにしている。世の中には、「好きだ」と言って欲しい女性はたくさんいる。しかし、私は敢えて言わないようにしている。
また、「好きであれば、、、」と「保守主義者なら、、、」がついダブって映ってしまうこともある。



さて、弁護士徳永信一氏は一歩踏み込んで、左翼が得意とするタテマエの理論構築と対抗、保守派も独自の視点から理論構築すべきと主張している。

―― 参考情報 ――――――――――

人権と憲法を語る保守派のスタイルを確立する必要性について
https://note.com/tokushin_note/n/n177dad58b40a

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重要な箇所は以下。

||||| ここから引用開始 ||||||||||||||||||||

保守派は、サヨクが語る「人権」と「憲法」が有する伝統や道徳に対する破壊的な力を懸念し、これらの言葉を否定的、消極的なものとして捉え、自らの主張を、この言葉に盛り込んで主張を展開する努力を怠ってきたように思います。

これまで、保守派がその心情において国民の多数の支持を得ながらも、公論においてその論理を明快かつ説得的に展開してこれなかった理由の大半は、そのことにあるように考えてきました。 

「人権」という言葉が国際的影響力を持つこと、国内的にも広範な国民運動を構築するには、「人権」という言葉が不可欠であり、地方行政を含め、積極的に政策提言していくには、「人権」に結びつけて論じることが必要だということは、保守派の間においても拉致問題などでを通じて広く認識されてきています。

||||| ここまで引用 ||||||||||||||||||||||||

徳永信一氏は、保守派を裁判の場にて支援する(有能な)弁護士として知られている。理論構築について誰よりも深く考えているのは、特定の政治テーマ・課題に関して、左翼が構築済の理論を駆使、裁判の場で縦横無尽に使いこなしてきたことを実体験として深刻に受け止めた結果と思う。


対して、保守系団体は、理論構築作業を面倒臭がる。
気持ちが先走り、ホンネで語り過ぎて、タテマエの理論構築を省略する傾向がある。
保守系団体の主張実態はどうかというと、批判と否定が大半、提言部分がほとんどない主張が多い
気がする。唯一の例外は、外国人参政権反対運動くらい。あのサイトは、今は存在しないが、保守派の理論上の拠点だった。

これまで、一部保守系団体は、ともすれば、保守主義者なら、、、愛国者なら、、、と語ってきた。同志を手っ取り早く説得、行動に駆り立てるために、であろう。


一方で、陳情書やパブリックコメントの意見提出に伴う呼びかけはまったくない。


なぜか。


政府の対応方針見直しに繋がる次元での意見提出しようとすると、その都度、法律を読み、現実を分析し、論点整理、独自の理論構築が必要となるからである。(経験談)

面倒臭い作業が伴うことを避けたがるのは、世の常である。
未熟な初心者をターゲットに派手に、、、していた方が、、、ということ。

一部活動家において、「陳情やパブリックコメントの論理的根拠として、保守主義者として、愛国者としてかくあるべきと説く活動家」、「自身が主張する政治テーマに関し、、、しない政治家は保守ではない、愛国ではないとする活動家」がいるように思う。それでいて、自分たちは、誰よりも保守主義者で愛国者であると主張する傾向がある。
この主張は、一見まともな主張のように見えるが、「理論構築を省略」しているような気がする。彼らは、手っ取り早く説得、仲間を増やすために、そう主張しているのではないか。少なくとも、保守、愛国というキーワード(イデオロギー?)にとらわれ過ぎている。これは私の見立てである。


真の愛国者とは、どんな困難な局面において、左翼勢力が支配する世界(人権、男女共同企画など)にて、保守側が死守すべき前線にたった一人で留まり、徳永信一氏の如く、誰も考えつかなかった大逆転シナリオに繋がる理論構築に挑み、その理論を自分の言葉で語り、行動で示すことではないのか。

少なくとも団体として組織化、寄付を呼びかけるなら、理論構築を怠るべきではないと考えるのである。

以上



この記事へのコメント

  • Suica割

    >これは、官界稟議書での決裁を想定した結果である。はっきり言えることは、官界の稟議書において、「保守だから、愛国だから、、、することを決定する」と書かれることはない。稟議書を一回でも起案した人ならわかる話である。

    それはその通り。
    一番単純なモデルにすると、
    こういう事があります。それによりこういう問題が起こってます。→この問題はこうすることで解決できます。
    あるいは
    この対策をしなくてはなりません。→なぜなら、こういう事が起こっているからです。
    という作りです。
    愛国心という心構えではなく、事実ベースを基準に仕事を官界は行うので、心構え提案はまず通用しません。
    2021年05月15日 08:16
  • 市井の人



    >Suica割さん
    >
    >>これは、官界稟議書での決裁を想定した結果である。はっきり言えることは、官界の稟議書において、「保守だから、愛国だから、、、することを決定する」と書かれることはない。稟議書を一回でも起案した人ならわかる話である。
    >
    >それはその通り。
    >一番単純なモデルにすると、
    >こういう事があります。それによりこういう問題が起こってます。→この問題はこうすることで解決できます。
    >あるいは
    >この対策をしなくてはなりません。→なぜなら、こういう事が起こっているからです。
    >という作りです。
    >愛国心という心構えではなく、事実ベースを基準に仕事を官界は行うので、心構え提案はまず通用しません。

    陳情書の要件を満たしていない陳情書が相当数あると私はみております。
    2021年05月15日 20:03

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