日米関係史の最重要人物?

ロシア革命のスポンサーは国際金融資本だった。歴史学者の書いた論文には痕跡らしきことは何も書いてなくても、在野の研究者の歴史書にはそう書いてある。歴史学者がなぜそう書かないのか。そう書くと学者になれないか、学者の地位を剥奪されるためであろう。

視点を変え、二度の世界大戦に関し戦争ビジネス的側面でみた場合、第一次大戦については今一つはっきりしない点があるものの、ゲルマン国家対ユダヤ支配国家という見立ては可能だ。


第二次大戦については、日本がなぜ真珠湾攻撃するに至ったか。石油禁輸などの措置などから、日本が開戦決断したとする見方が一般的だ。

当時の一大産油国はアメリカ。そして、石油利権を支配していたのは、あのロックフェラー財閥。石油禁輸の黒幕は独占財閥の関与なしで実現するはずはない。


この時代、ロックフェラーの当主格が3人がいる。日本語wikipediaを参照してみた。

―― 参考情報 ――――――――――

ジョン・ロックフェラー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC
1839年7月8日 - 1937年5月23日

ジョン・ロックフェラー2世
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC2%E4%B8%96
1874年1月29日 - 1960年5月11日

デイヴィッド・ロックフェラー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC
1915年6月12日 - 2017年3月20日

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ジョン・ロックフェラーは、清貧を好み、石油事業の拡大、独占支配を目指した人。ジョン・ロックフェラーは、人柄が良さそうな坊ちゃんタイプ。経緯的にどちらも国際政治に関心があった気配はない。



ロックフェラー3世は実在している。が、日本語のWikipedeiaの記述はない。

―― 参考情報 ――――――――――

Rockefeller, John Davison, 1906-1978
https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00454448

John D. Rockefeller III
https://en.wikipedia.org/wiki/John_D._Rockefeller_III

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ところが、昭和天皇との交流があったことが以下に書かれている。

―― 参考情報 ――――――――――

天皇という力の正体とは?(16)~ロックフェラーと手を結んだ昭和天皇~
http://www.kanekashi.com/blog/2015/06/4231.html

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ここで、英語版のWikipediaの記述を参照しておきたい。

||||| ここから引用開始 ||||||||||||||||||||

https://en.wikipedia.org/wiki/John_D._Rockefeller_III

Institutional positions/activities

John III was the next Rockefeller manager for all family undertakings of social relevance. Since 1929, in total he sat on twenty boards of various institutions, most of which were family-related. The more notable of these were:

Rockefeller University - then the Rockefeller Institute for Medical Research (established by Senior);
Colonial Williamsburg (John Jr., Abby);
Riverside Church (John Jr.);
International House of New York (John Jr.);
General Education Board - later the International Education Board (Senior);
China Medical Board (John Sr., John Jr.);
Bureau of Social Hygiene (John Jr.);
Industrial Relations Counselors (John Jr.).
John III was at one time a member of the Council on Foreign Relations, the Foreign Policy Association and the Institute of Pacific Relations, as well as being on the board of directors of Princeton University. In late 1950, he accompanied secretary of state John Foster Dulles and Douglas MacArthur on a trip to Japan to conclude a peace treaty, during which time he consulted with many Japanese leaders in practically every important sphere of that country's life.[

||||| ここまで引用 ||||||||||||||||||||||||


ダレスを従えての来日との記述から、ロックフェラー3世は、外交、戦前・戦中・戦後の日米関係に深く関与していたと考えられる。

不可解のことだが、この人物は、自動車事故で死亡したとされる。



一方、デイヴィッド・ロックフェラーはどうか。リーマンショック後に日本を訪問したとある。


||||| ここから引用開始 ||||||||||||||||||||

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC

デイヴィッド・ロックフェラー

日本との関係
親日家として知られる[9]。

1972年(昭和47年)、デイビッド・ロックフェラーはオランダ王室にビルダーバーグ会議への日本の参加を打診したが断られたため、ズビグネフ・ブレジンスキーに日本が加わる会議の創設を提案した。宮沢喜一、大来佐武郎らを招待した勉強会が開催され、翌年の1973年10月に「三極委員会」が誕生した[13]。

1978年(昭和53年)に日本文化を伝える非営利団体「ジャパン・ソサエティー」の名誉会長に就任[10]。

1988年(昭和63年)の創設時から1990年(平成2年)まで高松宮殿下記念世界文化賞の国際顧問を務め、その後名誉顧問に転じた[10]。

1989年にロックフェラー家がロックフェラーセンターを三菱地所に売却した際、米国民から批判が巻き起こったが、デイヴィッドがその矢面に立った[9]。

1991年(平成3年)には勲一等瑞宝章を受勲した[10]。

1994年(平成6年)に明仁天皇(現明仁上皇)がニューヨークを訪問した際には自邸に招待した[9]。

2007年(平成19年)に11月に来日、回想録(日本語版)の出版記念会が都内のホテルで催され、出版記念サイン会がMoMA Design Storeにて催された[14]。デイビッド・ロックフェラーの来日はシティグループがサブプライム問題で大きな損失を被ったことと関係があるとする報道が見られた[15]。

新生銀行の社外取締役を勤めた[16]。

||||| ここまで引用 ||||||||||||||||||||||||

金が必要になると日本との関係強化を図ろうとする人物のようである。

ここに、日本の影の支配者に関する情報がある。

―― 参考情報 ――――――――――

日本の影の支配者がわかる画像
http://tsuyoshi6466.hatenablog.com/entry/2016/06/02/191323

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突然、デイヴィッド・ロックフェラーが日本の影の支配者となるはずはない。また、親日家であると思いたくもない。

旧チェース・ナショナル銀行に入行したのが1946年なので、デイビッド・ロックフェラーが
戦前・戦中の日米関係をデザインした訳ではないことは明白。


つまり、John D. Rockefeller IIIが如何なる人物で、政治とりわけ戦前・戦中の日米関係に如何なる関与をしていたのか、見過ごされてきた可能性大である。


この人物こそ、対日包囲網を企図、日本を三国同盟に向かわせ、ルーズベルトが参戦表明するために日本が真珠湾攻撃せざるを得ない様、ルーズベルトを背後で動かし、戦後は、米ソの冷戦構造をデザイン、中国を共産化させ、その後マッカーシーが主導した赤狩りを支援?する一方でヴェノナファイルの後始末?、米中国交正常化を企図したと考えられるからである。

陰謀論の世界では、デイヴィッド・ロックフェラーばかりが注目されているが、その下地を創った人物の追跡調査はまったく行われていないと言いたいのである。


以上

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