鳩山由紀夫と同様、自分が徹底批判される立場になることを想定していない「金持ちのお坊ちゃま」だから、反対意見すべてブロックして当然と考えるのかもしれない。
さて、冷静かつ論理的に振る舞おうとしつつも、私個人も感情を持つ一人の人間である。時に、ブロックしたい気持ちになる。
以下は、私がブロックしたい気持ちになったケースである。
●ケース1 外国の言論人のケース
この外国人は、出入国管理法上は明らかに、在留外国人。思想的には保守的、日本の保守の一翼を担う気があるようだ。しかし、そうではない意見を持つ政治家に対し手厳しい。
憲法改正に取り組まない安倍政権に対し、政権打倒をツイッターで呼びかけたことがあった。私は、この外国人は出入国管理上の在留資格を失ったと考え、ブロックすることにした。
●ケース2 地方議員経験ある言論人のケース
地方議員時代、愛国保守で有名だった人。在野してからの活動は、あれが問題、これが問題という風に、ツイッター界で吠えまくり火を付けて廻る煽動タイプに変貌。自ら率先して法律や行政文書を読み、提言、陳情という雰囲気がまるでない。
ネットでは、本人にとって有難くない称号で呼ばれている。自治体職員に対し、高圧的に振る舞う地方議員が多いが、この議員も議員時代、法律や行政文書を調べ読もうとせず、自治体職員を罵倒したタイプと思われる。
言っていることの方向性が仮に間違っていなくても、根拠資料の提示が不十分な言論人が発する情報は読む必要はない。
●ケース3 そもそも暴言だらけ言論人のケース
最近はそうでもないが、ツイッターで自分の感情を抑えられない、早口でまくしたてる子供みたいなタイプの言論人がいる。中身がまったくない。気にいらない人を罵る行為が目立つ。こんな程度の人が保守の論客でいいはずがない。
かつて、安倍晋三の御意見番だったと言われる三宅氏は、本人に会って話をした事実を語らなかったようだが、首相と会食することをツイッターで吹聴、(間抜けな)帰化中国人もこれを絶賛した。
経験上言えることだが、中身ある会談の場合は会談の事実を伏せるが、中身のない会談なので会談の事実を公表したのではないか。(推定)
他人を感動させる作品によって有名となったからといって、これからも保守の論客扱いしていい人ではない。自己犠牲を語るなら自ら自己犠牲を実践すればいいだけのことである。自己犠牲実践できない人に自己犠牲を語る資格はあるのだろうか、、、
こういうタイプの人の場合、学歴的に中退者が多い。我慢強くコツコツ学び、我慢する時は我慢したという経験がない。だから、一言でも気にいらない状況になると暴言を吐いてしまうのである。要するに精神的に幼稚なのである。
三宅久之さん 安倍総裁決定が最後の“奉公”
https://www.tokyo-sports.co.jp/social/politics/55132/
●ケース4 啓蒙するポジションを選びたがる言論人のケース
古くは、歴史ブログとして、●▼会代表として、知っている人は(そのチョロマカシ癖を?)知っているはずである。つい最近は、日本の心を語ったり、参議院選挙に多数の候補者出馬を準備している新政党のアドバイザーを引き受けているようだ。
私は、この方が、この新政党との係わりがあることを根拠に、この政党について疑問視するポジションを選んでいる。ホームページを見ただけでも改善すべき点がすぐに浮かぶほど。是正を求めるべく何度か電話したが繋がらず現在に至っている。
剽窃やパクリが良くないことを理解していない人に、日本の心を語る資格がそもそもあるはずはない、というのが私の結論である。
●ケース5 評価が分かれる言論人のケース
副島隆彦については評価が分かれる。評価としては3ケース。
①核心を突いているとする評価、②そもそも調べて書いていないのではないか、③商売に繋がるネタ本を隠した言論活動ではないか。
書評を参照したい。
▽▽▽ 引用開始 ▽▽▽
世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち (講談社+α文庫)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A6%87%E6%A8%A9%E5%9B%BD%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%82%92%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%99%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6%E3%81%A8%E7%9F%A5%E8%AD%98%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE-%CE%B1%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%89%AF%E5%B3%B6-%E9%9A%86%E5%BD%A6/dp/4062563347/ref=sr_1_1?crid=1RKV5M8VPD7KV&keywords=%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A6%87%E6%A8%A9%E5%9B%BD%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%82%92%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%99%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6%E3%81%A8%E7%9F%A5%E8%AD%98%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1&qid=1653203902&sprefix=%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A6%87%E6%A8%A9%E5%9B%BD%2Caps%2C515&sr=8-1
you_and_me
5つ星のうち4.0 アメリカの複雑な政治思想状況をすっきり整理
2003年12月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アメリカにおける思想の対立構造をわかりやすく解説。①保守かリベラルか、②信仰する宗教・宗派は何か、③どのような人種・民族に属するか、という三つの要素による分類は比較的よく知られているが、「自然法」派対「人定法」派、あるいはバーキアン(バーク主義者)対ベンサマイト(ベンサム主義者)という構図はあまり知られていないものだろう。この対立構図を加えることで、保守内部にもかなり大きな分断線が存在していることがわかる。保守派という一語で一まとめにすることはまず不可能だろう。本書は、この「人定法」派であるリバータリアン(強固な個人主義を貫く自由主義者)に最も重きを置いた解説をしており、著者自身もこのリバータリアンを最も有望視かつ積極的な評価をしている。
個人の最大限の自由を追求するリバータリアンは、ゲイや中絶を容認するにも関わらず、保守派に分類される。このことだけから見ても、日本で一般に使われる保守とリベラルの意味合いとの違いに注意しなければならない。また「自然法」派(バーキアン)対「自然権」派(ロッキアン=ロック主義者)の対立も、現在まで続いているものであるが、これも実は保守主義内部の対立であって、「自然権」派から派生した「人権」派が日本で一般にイメージされるリベラル派に相当する。本書内で用いられるこれらの対立構図によって、複雑なアメリカ国内の思想状況がある程度すっきりとする。
ただし、これは分類や理論に常につきまとう問題だが、これの分類にぴったりと当てはまる人物というのはほとんどいない。例えば本書内でリバータリアンに分類されている、ラジオのトークショーでおなじみのラッシュ・リンボーは、「反税金・反福祉」という点ではリバータリアンだが、中絶には反対している。現実との乖離を認識した上でこうした分析枠組みを使う必要があるのは言うまでもないことだろう。
富澤矩広
5つ星のうち4.0 キヲツケロ キヲツケロ
2003年5月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
良書。しかし……手放しで絶賛はできません。全面的には信用することなかれ。
私は大学時代にゲーム理論(経済学)を専攻し、プログラマになりました。最初は「素晴らしい本だな、アメリカの思想家を見直した」と思って読んでいたのですが、フォン・ノイマンの記述のところに来てビックリ。ノイマンの著書「ゲームの理論と経済行動」がコンピュータに関する本のように読める!あの~、ぜんぜん関係ないんですけど。(ちなみに、続くコンピュータの説明穴だらけ。通読して--アメリカ経済学であれほど流行って実用化されているゲーム理論に関する記述がほとんどない!)
深刻な疑問がわきあがります。ここで挙げられている書籍ことごとくに副島氏は本当に目を通しているのだろうか?
要するに「ガイドブックとして使用し一次資料に必ず当たる」ことをオススメします。ただし--これは明らかに筆者の非常な怠慢ですが、リファレンスとしては活用できません。だって参考図書一覧が存在しないのですから(紙面が足りない?いいわけ無駄無駄無駄)。書名が出てきたら、こつこつチェックするしかありません。
△△△ 引用終了 △△△
そもそも出典の記述がない文献は、学術論文に該当しない。学術論文の場合は、先行研究を調査、自身の論文内で剽窃の疑いを持たれることを防ぐために、文献の存在をきちんと表示することは研究者の世界では常識。Wikipedeiaにて紹介される職業は作家、評論家となっているが、明らかに、専門の学者みたいに振舞っている?関係で出典明記は言論活動上の最低限の義務と思う。
よって、副島隆彦に関する、とりあえずの私の評価は、他に類似文献ない場合のみ参考とさせていただく、方針である。
以上