▽▽▽ 引用開始 ▽▽▽
第5章 心のゆがんだ人々 裁判官の精神構造の病理
(1)一枚岩の世界、内面性の欠如、内面のもろさ
(2)エゴイズム、自己中心性、他者の不在、共感と想像力の欠如
(3)慢心、虚栄
(4)嫉妬
(5)人格的な未熟さ、幼児性
(6)建前論、表の顔と裏の顔の使い分け
(7)自己規制、抑圧
(8)知的怠慢
(9)家庭の価値意識
△△△ 引用終了 △△△
すべてに賛同する訳ではないが、部分的に当てはまりそうな気がする。
中学時代、国家公務員官舎、警察官舎、自治体官舎、自衛隊官舎、高専官舎に住む同級生たちがクラスの3分の1くらいを占めていた。官舎が異常に多かった地域に私は居たことになる。民間では電力会社や電通の社宅があった。
この中で、警察、自治体、自衛隊出身の同級生とは仲良くできたが、地裁勤務とみられる国家公務員の同級生は、いささか様子が異なった。親が警察の子供とは、なんとなく馴染めず距離を置いた。
親が地裁関係者とみられる子供は、顔の表情からして、他の生徒と異なったのである。
思い返してみて、「(2)エゴイズム、自己中心性、他者の不在、共感と想像力の欠如」が該当していると確信した。それは、「(5)人格的な未熟さ、幼児性」とリンクしている。
「絶望の裁判所」(瀬木比呂志)にはこう書いてある。
▽▽▽ 引用開始 ▽▽▽
(2)エゴイズム、自己中心性、他者の不在、共感と想像力の欠如
裁判官の、むき出しの、無邪気ともいえるほどのエゴイズム、天動説的な自己中心性には、本当に驚かされることが多かった。他社の存在というものが、まったくみえていないのである。
自分だけがかわいく、自分にはいいことがあって当然、そして、いいことが自分を差し置いてほかの人にあることは許せない、というタイプが非常に多い。したがって、特別な好意でしてあげたことについても、まったく感謝せず、当然と思っていることが多い。
中略
(5)人格的な未熟さ、幼児性
裁判官の場合は、そうではない。ただ単に人格的に小山内のであり、聞き分けのないむら気でエゴイスティックな幼児性なのである。
感情のコントロールができず、すぐに顔色を変えることが、その一つの現れである。
中略
また、裁判官によくある、異常にぶしつけな行動も、こうした幼児性の現れである。人の人事について、親しい間柄でもないのに根堀り葉掘りうるさく尋ねてきたり、初対面として紹介された直後に、それも電車の中という人が聞いている場所で、プライヴァシーにわたるような事柄をやはり尋問区長で矢継ぎ早に尋ねてきたりする、たとえばそうした例である。なお、これも先輩とは限らない。こうした人物の共通の特徴は、キャリアシステムにおける自分の地位に異常ともいえる執着をもっており、価値観が一面的で視野が非常に狭く、自分とは異質のものを理解する能力には全く欠けているといったことである。
△△△ 引用終了 △△△
子を見れば親がわかると言うが、遭遇した裁判官の子供の挙動は親のコピーそのものだったのではないかと、振り返って思う次第である。
以上