アガサ・クリステイの在命期間は、1890~1976年。大英帝国全盛期に符号する。一連の推理ドラマは、戦前の裕福な上流階級が素材。
ところが、アガサ・クリステイが取り上げる殺人事件の、容疑者の犯行動機が、今だけ金だけ自分だけのパターンだらけなのである。
容疑者以外の怪しげな登場人物の心理も大体このパターンに近い。
善意の第三者を演じる人が極端に少ない。大英帝国全盛期時代の欧米社会の上流階級のモラルの低下をアガサ・クリステイの小説を通じて実感しつつある。
今一時楽しければ良い。もっと大金が欲しい。自分だけ得すれば他者などどうなろうと知ったことではない。
日本はどうか。
安倍元首相暗殺犯の場合は、元首相を暗殺することで、世間の統一教会への関心が高まり、自民党と統一教会の関係をやめさせることができると考えた。
せめて、拙ブログをお読み頂いていたなら、暗殺という手段に訴える前に、特定宗教法人に対する規制強化、課税強化を訴える、言論活動上の手段があったことにお気づきのはずである。
実際には、母親や特定宗教法人に対する積もり重なる恨みを晴らそうとして、彼は、言論ではなく、暗殺という手段を選んだ。
中共やロシアとは異なり、言論の自由が徹底的に保証されているのだから、その種の要求は、まず、言論活動の場においてすべきだった。
安倍晋三が首相なら官邸、首相辞任後は安倍事務所に要望書を提出すべきだった。
しかし、残念ながら彼には、要望書を出すことは面倒だったようである。要望書作成スキルがなかったような気がする。
政治活動においては、提言、要望書作成、陳情は必須である。星の数ほどいるとみられる、言論人、評論家にも同じことが当てはまる。
安倍元首相暗殺が、歴史上、伊藤博文レベルの国家的損失であるならば、あの暗殺犯は、今だけ金だけ自分だけの論理で、暗殺行為を正当化しようとし、国家的損失を軽視したことになる。
よって、この種の犯罪を長期的に抑止するには、警備体制強化だけでなく、国民各層における「提言スキル、要望書作成スキル」向上が必須と思う次第である。
以上