キリスト教系文学に対する私見

本稿は、読書の秋ということで、キリスト教文学を読む予定の方に対する読書案内の位置づけ。

最近、知人から読んだ本の読書感想メモを頂戴する機会が増えたが、一つ一つについて返事することについては気が重い。
キリスト教の教義をテーマとするその小説の内容について、真面目に議論するテーマとしてふさわしいかどうか、疑問を持っている。

国内的には、遠藤周作「沈黙」、三浦綾子「塩狩峠」あたりはキリスト教文学の傑作として評価されている。


私個人は、これら名作について若い頃に読み、あるいはテレビなどを通じ、少なからず影響を受けた。
しかし、ある時期、あるきっかけから、キリスト教の教義とキリスト教会の実相が乖離していることを知るに至った。

そのきっかけとは、日本にあるほとんどのキリスト教会が半島宗教化、牧師・宣教師の大半が半島系?であろうと確信したことにあった。特に、宗教施設内で政治活動が常態化していることと問題視している。
以下は、見聞し記憶した情報から、半島化したキリスト教会とそうでないキリスト教会の見分け方について記した記事である。


キリスト教会の政治活動問題
https://jisedainonihon.exblog.jp/32175051/


一言で言うと、上部機関の住所が西早稲田2-3-18にあるキリスト教会は、ほとんどすべて政治活動団体化している。(とみていい)
末端の教会は無条件で服従する立場にあることは明らか。服従しないと、、、される組織の可能性もある。(朝鮮総連はそういう性格の組織)

新宿区西早稲田2-3-18に集結する反日組織一覧表(随時更新)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1937916191&owner_id=34202227


日本で布教活動している他宗派のキリスト教関係者(路上で布教活動するモルモン教関係者等)にこの問題について指摘したことがある。私は、政治的に汚染されているキリスト教会は、キリスト教界として業界レベルの自主ルールにて、問題宗派の追放・解散措置を要求できるようにすべきであると主張した。が、彼らは自分たちは無関係との見解だった。
信教の自由は保証されているが、異端レベルの政治活動実態にあるキリスト教会がそこら中にあろうと他宗派が無関心でいいことなのであろうか。

ローマ教皇の発言は、韓国系キリスト教への警告ととれる。


ローマ法王の発言の意味(韓国セウォル号沈没事故に対する)
https://nihonsinwa.com/page/752.html

ローマ法王が韓国民にお説教? 「倫理的に生まれ変わるよう望む」
https://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140501/frn1405011140001-n1.htm


さらに致命的なことを述べたい。
熱心なクリスチャン小説家として知られる、あの有名小説家が通っていたキリスト教会も実は、その地域の有力な反日政治活動の拠点だった。

熱心なクリスチャン小説家たちは、キリスト教の教義に沿った事項をテーマに選定するなど、読者に考えさせ信仰に導く導火線となりえるレベルの小説を書き上げるスキルに秀でている。

しかし、有名小説家が信者として通うキリスト教会の実相はどうだったか?

牧師自ら強制連行問題を説教の場で堂々と語り、説教後は、やれ神社訴訟、やれ靖国訴訟、やれ慰安問題、、、昨今は徴用工問題にも???

こういう実態を知ると、キリスト教に関心を持つことが馬鹿々々しくなる。

キリスト教の教義を一般人に説く前にやるべきことがあるだろうと言いたくなる。

定年退職後、読書する時間が確保できたことをきっかけに、真面目に人生を考えよう、自分を見つめ直そう、学び直そう、その手段としてキリスト教文学を選ぶ、、、その真面目な読書態度を否定するものではないが、酸いも甘い経験した人なら、有名小説家が通うキリスト教会の実相くらい、定年退職前に知っておくべきではなかったか、とつい一言言いたくなってしまうのである。

以上

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