以下はその一例。
分断が進行していると言われる社会で、本当に分断されているものはなんなのか
https://comemo.nikkei.com/n/n572395615f5d
何気なく使われている言葉だが、意味することは、社会全体で共有できる概念が失われる現象を意味している。
キリスト教社会の場合はどうだろうか。
キリスト教は、歴史の推移とともに宗派数が増え、救い主イエス・キリストの信仰そのもが全世界的に細分化されつつある。
歴史的にみて、キリスト教信者たちの教義的連帯感が分断されつつあると言える。
私は宗教の存在は否定しない。
統一教会は、かつてはキリスト教の一派であると布教活動していた時代がある。しかし、教義的には明らかに、、、国内の大半もキリスト教会も政治活動的に上部団体の言いなりになっている点で明らかに、、、
マクロ的にみて、国内的には、キリスト教信者たちは分断されているとみていい。
実際、いろんな宗派を渡り歩く信者がいる。熱心な信者になればなるほど青い鳥を探し求めるようだ。実際そういう人たちが存在する。
真面目な人であればあるほど嵌りやすい傾向にある。経典に真実があると考えてしまうため、青い鳥を探し求めてしまうのである。
対して、神道はどうか。
幸いにしてそうはなっていない。
キリスト教や仏教には経典はあるが、神道にはない。
ひょっとすると神道に経典がないことで日本社会は「分断」されずに済んだいるのかもしれない。
つまり、日本社会においてアイデンティティがなんとか共有化されているのは、神道が共有化される概念として機能、継承されてきたためと考えるのである。
以上