そもそも毒親だった!?

安倍元首相暗殺の家庭環境に関するマスコミ報道で意図的に抜けている点が二つある。


・父親が、母は統一教会入信する以前に実践倫理宏正会という団体の活動に入れ込み、その傾倒が理由でノイローゼ状態になり自殺したこと
・実践倫理宏正会という団体の活動に入れ込んだ時期に育児放棄があったこと



【独自】安倍元総理射殺事件 「山上容疑者」父の自殺の背景にあった“もうひとつの団体”の名
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/07131131/?all=1


【ガチ毒親】統一教会信者の母親にネグレクトされていた山上徹也容疑者の人生がエグすぎると話題に…母親が統一教会に寄付した額は1億数千万円
http://ponytailsokuhou.com/2022/07/13/%E3%80%90%E3%82%AC%E3%83%81%E6%AF%92%E8%A6%AA%E3%80%91%E7%B5%B1%E4%B8%80%E6%95%99%E4%BC%9A%E4%BF%A1%E8%80%85%E3%81%AE%E6%AF%8D%E8%A6%AA%E3%81%AB%E3%83%8D%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%81%95/

山上徹也母親の顔「徹ちゃんがそんなこと」
https://enoshima-west.net/yamagamitetuya/yamagamitetuya_mother/




マスコミは、山上容疑者の供述を無条件で信じ、統一教会が悪いとしている。
しかし、母親は、統一教会入信以前に、別の宗教に入れ込み、そのせいで夫が自殺、育児放棄もあった。

母親は、たまたま統一教会の信者になることを選んだだけであって、どの宗教に入信しようと、嵌り、育児放棄したのではないか。

つまり、世間でいう、宗教にはまりやすい毒親?ということになる。

水島広子の「毒親の正体」という本に、子どもより宗教を優先する親が毒親のパターンの一つとして紹介されている。


▽▽▽ 引用開始 ▽▽▽

子供より「宗教」を優先
もちろん誰にでも信教の自由はあるのですが、親が特定の宗教にのめり込むことが健康な日常生活とのバランスを欠いてしまうと、「毒親」が作り出されてしまいます。この場合、その宗教コミュニティも含めての話になりますから、話はさらに難しくなります。その宗教が「国教」と言われるようなものであれば、健康な日常生活との整合性はとりやすくなるでしょう。しかし、日本においてそのようなものはありません。
最もわかりやすい例が、カルトと言われるものだと思います。カルトに取り込まれた親のもとで育った子供が、どれほど不安定な愛着スタイルを持ち、どれほど癒しが難しいか、ということはすでに報告されていますし、想像に難くないと思います。私の患者さんでも、カルトそのものに疑問を抱きながらも、その環境で生まれ育ったため、まるで「自分の血に流れているもの」のように、訣別するのがとても難しいのです。救いを求めて治療に来ても、結局脱落してしまう人が少なくありません。
一般社会では「おかしい」と思われる協議が何よりも優先されてしまうため、子どもは安定した愛着スタイルを身につけることもできませんし、成長の過程で、自分が信じてきたことが「おかしい」と感じることができるようになっても、では何を信じたらよいのかわからなくなってしまうのです。いつまでも、教義に引き戻されてしまう子どもたちを、私は診てきました。

カルトとまでは呼べるものでなくても、親が子供よりも宗教を優先してしまう場合には、やはり「毒親」化してしまいます。
本来宗教とは幸せのため、心の平和のために求められるものだと思いますし、その中にはよりよい親になるため、ということも含まれるはずです。しかし、子どもを犠牲にしてでも宗教にのめり込んでしまう人は、もともと「不安型」の愛着スタイルを持っていたり、トラウマがあったりして、何かしら「拠り所」となるものを求めている場合が多いのです。特に「複雑性
PTSD」の人には「救済者願望」が強いと言われています。あまりに無力化されているため、誰かしっかりした、「完璧に正しい」人に、自分を救ってほしいと思うのです。それが宗教家に向けられる場合もあります

△△△ 引用終了 △△△


水島氏の分析に従うと、山上容疑者の母親は、子どもよりも宗教を優先した「毒親」だったのではないか。
母親の行動が、夫をノイローゼにさせるなど、家族全員を不幸にさせる要因となったのではないか。

山上容疑者が過酷な幼児期、少年期を過ごしたことは同情するが、精神科医の見立てに従うと、そもそも「毒親」だったとすれば、(私は統一教会がカルト、とんでもない宗教だとは思っているが)、統一教会だけを悪者?にはできない気がしているところである。

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