・正統の哲学 異端の思想 ―「人権」「平等」「民主」の禍毒
・保守主義の哲学
宗教の世界では、統一教会だけが禍毒の様に扱われている。文系学問の世界では、禍毒が支配している。リベラル思想が該当する。
中川八洋は、航空工学分野の学者である。それがなぜか哲学の世界に入れ込んだ。中川八洋が調査した結果によれば、日本語に未翻訳の正統な保守主義に関する文献が多数存在しているとしている。
「正統の哲学 異端の思想」の中の1頁は、保守層にとって羅針盤となる貴重な情報である。
※西尾幹二が扱っているショーペンハウアーを善玉と分類し、ニーチェの名前がないことに注目
こういう情報を知ると、西洋哲学専攻、著作集まで刊行している西尾幹二はこれまで何をやっていたのかと考えるに至る。
一方で、三島由紀夫、福田恆存との交流、ショーペンハウエル、ニーチェを扱ってきたことなど、華麗な経歴であることを知る人は少ない。
西尾幹二
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B0%BE%E5%B9%B9%E4%BA%8C
なぜ中川八洋があのように名指しで西尾幹二批判を続けるのか。批判の原因はふわふわしたモノの言い方だけではないようだ。中川八洋流に考えると、立場的に西尾幹二は西洋哲学の禍毒の系譜に気づいていて当然ではないか。
みずから保守だと名乗るなら、学問的業績として、禍毒の系譜と正統な系譜の区別くらい著作集の中で述べる義務があったのではないか。
カテゴリー: 天皇制廃止狂の西尾幹二
https://nakagawayatsuhiro.com/?cat=10
西尾幹二の主張は冗長なものが多い。提言は皆無、批判中心。自分は保守だと言っているが、その系譜ははっきりしない。
対照的に中川八洋の主張は明確。批判は強烈だが、提言箇所は参考とすべき点が多々ある。
どちらの主張が正統だろうか。どちらの主張が国益的にためになるのか。
保守だと名乗るなら、立場的に西洋哲学の権威だとするなら、中川八洋のように、保守思想の系譜を調べ、未翻訳の正統な哲学について発掘、言及すべきだったはずではないか。
有名書店に行けば、西尾幹二著作集を見つけることはできる。対照的に中川八洋の本を見つけることは難しい。学問的には西尾幹二は実績ある学者なのかもしれないが、保守層にとっては中川八洋の本の方に時代を超えた価値を見出すのである。