最初はヨーロッパ。フランス、イタリア、イギリスの順、最後の三カ国にアングロサクソン系を選んだのは、重要な意味がある。岸田は正直な政治家だとつくづく思う。
イギリスは第二次安倍政権以降の準同盟国、カナダは対ロ軍事戦略上、アメリカと同様欠かせない国。アメリカを最後の訪問国としたのは妥当なところ。
G7サミットへ地ならし、岸田首相が欧米歴訪出発…バイデン氏との会談で「同盟を強固なものに」
https://www.yomiuri.co.jp/pluralphoto/20230109-OYT1I50008/?from=yhd
ここで、「歴史の教訓」(兼原信克)のある一節を読んでおきたい。
▽▽▽ 引用開始 ▽▽▽
戦後長らく一ドル三百六十円だった為替レートは、一九八〇年代に徐々に上昇して二百五十円程度になっていたが、一九八五年の日米プラザ合意以降、一ドル八十円に跳ね上がった。
今でも百円強ぐらいが相場である。
その結果、日本の消費者にとっては、外国製品が以前の六割引き、七割引きになった。それは消費生活を豊かにした。
中略
その一方、急激な円高で日本の輸出産業は窒息した。同時に対外直接投資が急伸した。ドル換算した資産が三倍になって、日本の製造業は安い労働力、魅力的な投資環境を求めて世界中に飛散した。サプライチェーンが国外にも張り巡らされ、最終製品の組み立て工程はアジアなど国外に拠点を移した。日本国内の製造業は空洞化した。その結果、日本は輸出国であることをやめ、巨大な資金力を持った投資国に変貌したのである。外地に活路を求めた日本企業は、国外で逞しく生き残った。
米国を例にとると、日本の累積投資額は、既にかつての米国の宗主国である英国に匹敵する規模となっている。また、日本企業が直接雇用する米国人数は八十六万人(二〇一九年)を超え、これもトップの英国企業に匹敵する規模である。日本の製造業は滅んだのではなく、日本を出ていっただけだ。
プラザ合意の後、しばらくは日米構造協議や日米自動車協議など貿易摩擦が続いたが、やがて日米経済関係は劇的に好転した。日本の対米輸出が弱り、対米直接投資が急伸したからである。今や全米に日本企業の工場が展開している。日本の直接投資は、日米同盟をより強固なものに変えた。プラザ合意の後、経済産業省の友人たちは「米国にしてやられた」と怒っていたが、敬愛するシニア外交官は「これで対米直接投資が急伸して、日米関係は劇的に好転するよ」と、ホッとした様子で言っていたことが思い出される。
現在、日本の対米直接投資は、日米関係を支える巨柱の一つである。
△△△ 引用終了 △△△
敬愛するシニア外交官とは、兼原の仕事上の師匠、岡崎久彦のことであろう。
米国への日本の累積投資額は、既にかつての米国の宗主国である英国に匹敵する規模であるとの記述がある。
アメリカは陰謀論的にはイギリスの金融資本に支配されているとされる。そのアメリカに日本は戦後ずっと忍従させられてきた。
日米の主従関係を変えるには、対米直接投資増の他に、イギリスとの外交関係を強化することで、アメリカを支配する勢力による日本への直接介入を無力化する必要があることに、岡崎久彦が気がつき、安倍首相に日英外交強化を進言した可能性がある。
実際、第二次安倍政権時代、日英の外交関係は軍事同盟寸前レベルに進化。戦闘機の共同開発計画も進行中である。イタリアの訪問がフランスの後なのは、戦闘機開発計画絡みとみることができるし、イタリアは日本にとって、フランス、ドイツ以上に重要な国となりつつある。
日英伊3ヵ国による次期戦闘機の共同開発について
https://www.mhi.com/jp/news/221209.html
なお、前述の著者兼原は、この本の「おわりに」にて、岡崎久彦(1930~2014)が亡くなる日に電話があったこと紹介されている。先輩、後輩の間での仕事上のやりとりだけでなく、人間的な付き合いもあったことが書きぶりから伺われる。安倍元首相が故人となられ、岡崎久彦もこの世の人ではないが、第二次安倍政権を支え日本の国際的地位を高めた、安全保障外交思想がかくして引き継がれたことを、この本を読んで確信、安堵するのである。