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「イギリスの王室」
石井美樹子
イギリス王室はなぜ生き延びることができたのか
近代において、共和主義や民主主義の高まりと同時に、ヨーロッパの王室が次々と姿を消してゆくなか、イギリス王室がその動乱の波をくぐり抜け、生き延びることができたのはなぜか。十三世紀のジョン王の時代に、王権を大幅に制限する「マグナ・カルタ」(大憲章)を成立させ、以後、少しずつではあるが、立憲君主制を発達させたことが大いに原因している。だが、それだけではない。イギリスでは、一〇六六年のノルマンディ公爵ウィリアムによる征服よりはるか以前に、アルフレッド大王のような賢者(賢人会議)にょって推挙され、狭隘の戒律を尊重し、万人のために政治を統べき正しき偉大なサクソン王が出現し、その姿がイギリス人の脳裏に刻み込まれていたことを忘れてはならない。イギリスの歴史を通して、理想の王の姿が色褪せんとするまさにその時に、ヘンリー一世、エドワード一世、エドワード三世、、ヘンリー七世、エリザベス一世、ヴィクトリア女王といった君主が出現し、機を逸せず再び理想の王の姿を復活させ、君主の聖なる権威をあらんかぎりの光で、燦然とした輝きを放たせたのだ。
二五歳で即位したエリザベス一世は、結婚して貢献者をもうけるよう議会から要請されると、「君主は私の胎を痛めた子でなくともよい。王の資質に恵まれた者が継げばよい」と答えた。一六世紀において、いや今日でさえ、これほど斬新で革命的な王権論をもつ者がいるであろうか。だから、エリザベス一世の後は、スコットランド王ジェームズ六世がジェームズ一世としてイギリス王を兼ねることになり、スコットランド直系の血統が絶えると、オランダ総督オラニエ公爵ウィレム(ウィリアム三世)を王に迎え、またその直系が絶えると、ドイツのハノーヴァーから君主(ジョージ一世)を迎えた。優れた君主を得なければ国は滅びるーたとえ王が象徴的存在であったとしても。立憲君主制を維持するには、国籍や性別などにかまってはいられないのだ。
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もちろん私は、女系天皇派、女性天皇派ではない。
この本は、書評的には(専門の学者にしては)記述に間違いが多いという評価である。表現的に論理的でない箇所があることも気になる。
著者は論文は書かず、出版活動のウェートが高いようだ。
そういう評価は評価として、上記の一文から、重要なキーワードを拾い出しておきたい。
立憲君主制、万人のために政治、王の資質、、、
イギリスが他国に先駆けて民主主義政治を指向、実現、維持してきた歴史と伝統が、イギリス王室継承できた最大の理由と考える次第である。