RCAの社長になった人物の簡単な伝記があるので一読したい。
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放送界の傑物 サーノフ
サーノフの生涯は、文字通り徒手空拳から巨富を得た成功譚の古典といえよう。
しかし、とりわけ人々の興味を惹くのは、ラジオ、テレビという二十世紀前半の最先端事業を切り開いたこの人物が、実は、中世的な迷妄を色濃く宿した白ロシアのユダヤ人集落から出現し、ユダヤ教立法に深く育まれた精神の持ち主であったという事実であった。
彼は七歳の頃に、ラビである大叔父のもとに預けられ、週に六日間、日の出から日没までの間、ヘブライ語古典の学習を日課とする生活を四年間送ったと言われる。
この間の学習体験がその後の彼の人生にいかなる影響を及ぼしたのか、それはわからない。
しかし、少なくとも、これにより、抜群の記憶力と集中力が養われ、天性の感受性がさらに磨きをかけられたということは間違いあるまい。
一九〇〇年に一語の英語もわからぬ移民として渡米した彼は、早くも十歳の時に重病の父に代わり、一家を支えるために新聞売り子として働き始めた。
一九〇六年に電信会社に給仕として採用されるや、彼は独学で無線通信技術を習得した。
一九一二年四月に、タイタニック号が発した救難信号を最初に傍受し、三日三晩不眠不休で更新を続けて世間の注目をあびた出来事は、若き日のサーノフにまつわる有名なエピソードであった。
NBCに入社後、卓越した働きぶりにより、社内の昇進の楷梯を一気に駆け上ったサーノフに、一九三〇年一月、大きな好機が訪れた。
経営手腕をみこまれて親会社である電気メーカーのRCAの社長も兼ねることになったのだ。この後、RCAの発展にサーノフは決定的な力を及ぼした。
中略
経営者としての枯葉、生涯の大半において、他人の目からは「不可能」と思われた目標に没頭していた。それは例えば、テレビ放送の開発であった。一九三九年に全米で最初のテレビによる定時放送を開始したのは、彼の会社、RCAであった。
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こんなに頑張れるユダヤ人を私は批判する気にはなれない。
恐ろしいほど優秀であると評価せざるを得ないのである。