どこを戦場に選ぶか 戦略眼の違い

プーチンはウクライナと日本、どちらを戦場に選ぶか比較検討し、ウクライナを選んだとされる。軍事的に不利な状況を打開する目的で、プーチンは戦線拡大し、日本を攻撃するかもしれない。

戦場をどこに選んだかという視点から、山本五十六と蒋介石の違いについて、解説した本がある。

「歴史の教訓」(兼原信克)によると、蒋介石は局地戦では負け戦続きだったが、英米の強力な軍事支援を得た点において、戦略的に勝者だったとしている。

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蒋介石は、ドイツ人ゼークトの力を借りて、上海に塹壕を掘りめぐらせ要塞化していた。戦略的思考に長けた蒋介石は、近代化の遅れた中国軍が日本軍と渡り合うためには、日本がソ連の抑えになっている満州を戦場とするよりも、各国の租界が林立し、国際都市として発展していた上海を主戦場に選ぶべきと考えた。そうすれば英米仏を含む国際社会全体を日本と敵対させ、中国の味方につけることができるからである。外交と軍事を統合した蒋介石の戦略は奏功し、また映像を駆使した優れた宣伝戦も大きな反響を呼び、日本は国際社会の中で一気に孤立していった。蒋介石は知将である。

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対照的に、山本五十六は、真珠湾攻撃を主導、戦術的には成功したものの、アメリカ世論を反日で覚醒・結束させルーズヴェルト大統領の参戦決断を促した点で、真珠湾攻撃は「戦術的に大成功、戦略的に大失敗」だったという趣旨で総括している。私も同意見である。
また、ミッドウェー海戦での大敗北等、連合艦隊司令長官として、このような歴史的評価を受けることは、何を意味するのか。

兼原の山本五十六に関する文章表現に侮辱的表現はない。が、経歴、立場などから、何をやってくれたんだ、この人は!、、、とんでもない決断が相次いだ、、、と言わんばかりの筆致である。

山本五十六自らが発案、ごり押ししたミッドウェー海戦。味方の巨大戦艦が山本五十六を徹底護衛する一方、ミッドウェー島の艦砲射撃を敢行せず、(アメリカの戦闘機と闘う)味方の主力空母護衛が貧弱な中、被弾した敗戦であるので、本来なら、山本五十六はミッドウェー海戦直後に軍法会議にかけるべき事案だった。

山本五十六を司令長官にした海軍人事が歴史的勘違いの原因だったと言わざるをえないのである。

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