合祀と分祀

靖国神社でのA級戦犯の合祀は、神道である日本人からみて実態としてあまり差がないような気がするが、諸外国の人からみると合祀は奇異に映るものであるようだ。

靖国神社(島田裕巳)から引用させていただく。


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国立の追悼施設の建設では、「靖国問題」の解決がはかれないとしたら、後に残された策は、A級戦犯の分祀というやり方である。
中国が首相の靖国神社参拝を非難したのは、中曽根首相による昭和60年の「公式参拝」のときだった。国内的には、公式参拝の方が問題にされたが、中国が問題視したのはA級戦犯が合祀されている靖国神社に日本を代表する首相が参拝したということだった。それ以来、A級戦犯の合祀にこぎ着けるまでには多大な時間を要した。厚生省(引揚)援護局の側は積極的だったが、靖国神社の方は慎重な姿勢を崩さず、先延ばしにしていた。

靖国神社には戦没者を祀るということからすれば、戦後、死刑に処せられたり、獄死したA級戦犯を合祀するということは、基準から逸脱する面をもっている。軍人であればまだしも、そのなかには政府の要職にあったとは言え、軍人ではない政治家も含まれていた。昭和天皇や宮内庁の側が、A級戦犯合祀に難色を示したのも、軍人ではない政治家が含まれていたことが大きい。
そこでA級戦犯を分祀するという考え方が生まれてくるわけである。そうなれば、中国などからの批判を受けることはなくなる。自民党の衆議院議員で日本遺族会の会長をつとめた古賀誠でさえ、平成19年には三重県遺族会の会合で講演し、A級戦犯分祀の議論を行う必要があることを表明している。

こうした声があがるなかで、靖国神社の側は、そもそも分祀はできないという立場をとってきた。その際に持ち出されるのは、魂はロウソクの火のようなもので、火をいくら分けても元の火が残るので分けられないとか、水がめの水から一部を選び出して取り出すことはできないといった説明である。

比喩でしか主張を展開できないところに、神道には教義がない、あるいは靖国神社の合祀が必ずしも教義的な裏付けをもっていないことが示されている。

靖国神社の合祀のやり方は、第3章でも見たように、かなり特殊なもので、事実上、靖国神社のみに見られる方法である。その点で、靖国神社が独自に生み出した方法とも言えるわけで、分祀も可能だと考えれば、それは実現される。そう考えると、A級戦犯の分祀は決して不可能ではない。
だが、靖国神社の側に分祀の意志がない以上、それを外側から強制することは難しい。

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戦前の硬直した政府の外交対応方針、陸軍と海軍の確執みたいな論理を靖国神社の対応に見出す。

保守言論界では、靖国公式参拝を取りやめた中曽根首相の弱腰対応に注目が集まったが、国際世論に配慮しなかった靖国神社の対応(とりあえず分祀にしてから合祀に移すことをしなかったこと)に問題はなかったのかと島田氏は言いたかったと解するのである。

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