しかし、本来、「絆」とは後付けで使われる性格の言葉ではない。
後付けで使うとすれば、その言葉を使うことに伴う効果を期待する意図が別にあることになる。
実は、EU諸国民を繋ぐ、共通文化的な「絆」が底流として存在していることについてご存じであろうか。
それは、「ケルト」である。ケルトには国家という概念がない、言葉がないとされる。それでも今日、ヨーロッパ各国でケルトの伝承、遺跡等の存在が確認される。
名著「ケルトの造像力 歴史・神話・芸術」(鶴岡真弓)から引用させていただく。
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現代のヨーロッパで「ケルト文化」の伝統をもつ国や地域は、アイルランドやスコットランド、ウェールズ、マン島、コーンウォール、そしてブルターニュである。その言語や神話、遺跡や音楽、ダンスまでを愛好する現代のケルト・マニアが世界中に広がっている。
しかしヨーロッパにおける「ケルト意識」や「ケルト文明の再発見」は、極西の「周縁」だけに起こったのかといえばそうではない。鉄器時代以来花ひらいた基層としての「ケルト文明」は、実は今日、「ヨーロッパの遺産」としてEU諸国に共有されている。
中略
考古学や地名学や神話から蘇る「幻の版図」は、東は小アジアから西はアイルランドまでに広がる「ドナウ」「ライン」「セーヌ」「アルプス」などヨーロッパの重要な河川や山の名称はケルト語から来ている。「ボヘミア」の地名もケルトのボイイ族、「ベルギー」の国名はベルガエ族の名前から。「ウイスキー」はケルト語の「水(イシュケ)」から来ている。「ケルト」はいたるところで「ヨーロッパ」の礎を形作ってきた。
2.「EU結束」とヴェネツィアの「ケルト展」ー最初のヨーロッパ
新しい統合と均衡を模索する現在のヨーロッパの人々に、またヨーロッパ文明から多くを学んできた我々に、いまその歴史を古層から照らし始めた「ケルト」は、新しい「ヨーロッパ像」の構築を促している。
ベルリンの壁崩壊後のわずか二年後に彼らが実現した、この気迫の「ヴェネツィアの祭典」。そこには、諸国がケルト・コレクションの出展によって「EU(ヨーロッパ連合)する」という、ヨーロッパの未来にかかわる問題が託されていたのであった。
△△△ 引用終了 △△△
日本はどうか。国家・国民的伝統遺産・文化の中に共有できる存在はどれか。
「絆」としてのケルトを肯定する場合、政治的に保守であろうとなかろうと、神道、神話、万葉集が該当することは明らかだ。
歴史書では、古事記、日本書紀もそういう扱いとされるべきだろう。戦後歴史学会を支配した歴史学者たちは何をみていたのか。歴史をイデオロギー的視点で扱った歴史学者の論文など、、、と言いたい。
戦後教育にて、国家・国民の「絆」としての教育は軽視されてきたが、中高年世代に広がる昨今の御朱印ブームは、戦後教育において教育上の対象として扱われることがなかった神道に対する、国民各層側からの「絆」を求める(自然な形での)行動の現れであろうと思う次第である。