議員に対し多くを望み過ぎないこと

ブログ活動を始めて14年経過した。

ブログというメディアが今はかつてほど注目されなくなった。政治家自ら情報発信する時代にあって、個人が政治について語っても話題にならない情勢にある。

中には、炎上狙いでネタを投下する人がいる。一部皇室関係のブロガー、かつての余命ブログが該当する。しかし、アクセス増は一時的な事象に過ぎない。

では、政治を職業としていないのに、何のために来る日も来る日も政治ネタを考えるのか。

動機というか動機に相当することをいくつか挙げたい。

・マスコミの謀略により民主党への政権交代を二度と起こしてはならないこと
・中川昭一先生の件については(護衛できず)心の底から申し訳ないと思っていること
・誰とは言いたくはないが、与野党の議員、言論人の相当数が国難に際して役に立たないこと(スキル的な面で要求水準に達していない)
・政治家を目指す機会は二、三度あったが、(直属の上司に裏切られたことがあり)政党関係者が仰られることが今一つ信じられず、公募に応募しようと考えなかったこと

私が住む地域は、統一選挙の真っ最中にある。候補者のほとんど全員が心地良い言葉、バラ色の地域社会づくりを街宣車中にて約束しているように一見見える。

しかし、多くは偽善である。絶対に実行しない議員が大半。

たとえば、地域の困りごと案件で実は二度裏切られた気がしている。我慢できず、自民党党本部のとある部会長に嘆願書を提出した。
実行できるスキルがある議員はほんの一握り。それなりの学歴がないと、行政機関の職員を説得することは難しい。たとえ愛国保守の候補者でもFランクの大学卒では要望の実現は難しいと考えるべきだ。(要望書を何通も書いた人なら理解いただけること)

従って、議員に何かをお願いするにしても必要最低限のことしか要望しない。それ以外のことは自分で何とかするというスタンスを選ぶようにしている。

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