イギリスである。
イギリスは国家として、一言で言うと戦争好き。また、戦時において、イギリス国民は耐乏生活を積極的に受け入れることで知られている。
渡辺惣樹の本の秀逸な書評を見つけたので一読したい。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)9月16日(土曜日)
通巻第7913号
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(読者の声2)渡邊惣樹氏の一連の著作は「日本開国」以来ほとんど拝読しましたが、今度は「英国の闇チャーチル」をわきに置きつつ、貴誌が7890号にてご紹介くださった「虚像のロシア革命」(徳間書店)を読みました。
渡邊氏の著作は「これまでの歴史本」とどこが、そして何故違うのだろう? とおもいつつ読んだのですが、336pに渡邊氏が「歴史のIFを可能な限り忠実に基づいて考察しないのであれば、歴史は価値なき学問となる。・・・それがあればこそ、現在直面する難題の対処、よりよい将来のための判断に歴史の知恵が生きる」
と喝破されている事から、それは何かが分かってきたような気になりました。
私が得たその答えとは「プロトタイプとしての人間(=人工人間)を前提としたものではなく、必ず特定の『生の人間(=天然人間)』が渡邊氏の歴史では必ず読者の目の前に登場するからだ」と云う事。
つまり既存の歴史書では生の人間が(極端に云えば)登場せず、「プロトタイプ的人工人間の一人」が歴史を動かしているがごとく語られているが、渡邊氏の歴史に登場する人物は、両親・祖父母・兄弟・友人・知人なども含めた生い立ちや性格、そして価値観にも丁寧に考察・検証を深め、それらを重視したうえで歴史を紡いでおられる。
我田引水となりますが、これは私が今までの経済学は、「本来は人間の価値(天然価値~人工価値まで)から出発すべきであるにも関わらず、人工価値の領域だけを貨幣・通貨のみで論じてきていることに誤りの発端がある」とし、これからの経済学に「価値論の重視」を主張して来た事と、「歴史も個々の登場人物の人工価値の世界に留まらず、(経済同様に)天然価値の世界(つまり精神構造)にも踏み込まねば、歴史を正確に紡ぎだすことは出来ない。
生の人間(=天然人間)の行いが歴史の主体者であり、意識と感覚の両方で動く天然人間(生の人間)の振る舞いが歴史の基盤となって居なくてはならない」とする渡邊氏の歴史に対峙する出発点が、ぴったりと平仄があっているような気がしたのです。
所で「英国の闇チャーチル」や「虚像のロシア革命」を読みつつ頭の中をよぎったことは、英国という国の持つ特徴です。私は英国で運転免許取得の試験を昔受けましたが、その際英国という国家観を掴むにあたって印象的なことが在りました。
それは試験官が何を凝視しているかということで、彼らは(日本のように)運転技術ではなくANTICIPATIONSだと云うことです。
つまりANTICIPATIONのバックには「何事もその展開を巡らすことを好み、その展開のためにはそれ以前の思考回路(運転技術)を変更することに痛痒を感じない」という英国人の性質(癖)です。
英国がEUを離脱して以来、なぜか新・日英同盟がちらほら(むしろ先方から?)話題に上がりだしました。
そして日本の保守系有識者はそれに対して肯定的だと思われます。然し私は、どうしても「一体英国は何を思い巡らせているのだろう?」ということが気になるのです。
英国の「前向きな姿勢の裏には何かがあるのではないか? それが常なるのが英国なのではないか?」と渡邊惣樹氏の著作を読めば読むほど、この疑問(心配?)が膨らむのです。
英国人や英国を熟知されている渡邊氏の心中には渡邊氏なりのご見解があるに相違ありません。是非お聞きしたいと思うのです。
(SSA生)
(宮崎正弘のコメント)カナダの渡邊さん、お忙しいでしょうが、お暇の折にコメントいただければ幸いです。
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特に重要と考える箇所は以下の二点
・「何事もその展開を巡らすことを好み、その展開のためにはそれ以前の思考回路(運転技術)を変更することに痛痒を感じない」という英国人の性質(癖)
・「一体英国は何を思い巡らせているのだろう?」ということが気になるのです。
英国の「前向きな姿勢の裏には何かがあるのではないか? それが常なるのが英国なのではないか?」
確かに中韓は難癖をつけてくる国だが、日英同盟時代のイギリス政府側のの心地よい対応を通じて日露戦争を戦わされ、ロシア革命の引き金となったことを忘れてはならない。