私は、「あの演説はなぜ人を動かしたのか」(川上徹也)を購入した。
この本には、小泉純一郎、田中角栄、オバマ、ブッシュ、ケネデイ、フランクリン・ルーズベルト、キングの順で演説内容が紹介、分析されている。
この中で、オバマは就任当時と現在で評価が変わる政治家である。
理由は書かずともおわかりのことと思う。
ただし、オバマ以外の政治家の演説についての評価は、今後も変わることはない。(ように思う。)
しかし、オバマは別。
ここで、渡辺惣樹が書いた「アメリカ民主党の崩壊 2001-2020」である。一読してわかることは、この時代、アメリカ民主党政権がしでかしたことを体系的かつコンパクトにまとめてある。
その「まえがき」を一読して確信することがある。
▽▽▽ 引用開始 ▽▽▽
はじめに
アメリカは、かつてはWASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)が支配する国であった。しかし、弱者であった層が、「政治的に正しい発言(ポリコレ)」を武器に攻勢をかけた。いまでは、職場や学校で、白人であることが不利な事例が頻発する。弱者に属することが出世に有利になる「弱者利権」が現れた。その典型例が、チェロキー族インディアンの末裔だと虚偽の出生履歴を駆使して出世したエリザベス・ウォーレン上院議員(民主党、マサチューセッツ州)である。
中略
筆者は、評論家宮崎正弘氏との対談(『激動の日本近現代史 1852-1941』)で「弱者の狡さ」について論じたことがある。弱者は、けっして他者に寛容ではない。強者の側に立った途端に、彼らが正しいと考える思想を他者に強要する。妥協を探るリアリストの視点を欠く原理主義者となる。アメリカ社会では、すでに弱者が権力者になると起こるおぞましい現象が起きている。
アメリカのWASP層を中心とする白人ミドルクラスは、オバマ政権時代に弱者となる恐怖を味わった。
△△△ 引用終了 △△△
オバマの演説は名演説でも何でもなく、ポリコレシナリオに過ぎなかった???ということなのだ。
オバマ就任当時、書店で対訳付きのオバマ演説本が書店で平積みされ、飛ぶように売れた。
今になって思えば、オバマが、出世、政界進出のきっかけはポリコレにあった。オバマが出世街道をどのように歩み大統領の座を掴んだか、アメリカ社会の動向をきちんと把握できていれば、オバマ就任に熱狂、歓迎する必要はなかった。
数々の演説は、弱者の権利を強化する目的での(多数派に対し、弱者に従順となることを要求する目的での)ポリコレシナリオだったと理解すれば、演説の評価は変わる。
我々は、当時のアメリカがマイノリティ優先社会となり、後の大統領選挙でトランプ支持者となった白人ミドルクラスの(当時の)嘆きを理解すべきだったのである。
いまだにアンチトランプの記事しか書けない、海外特派員は、アメリカ社会が息苦しいポリコレ社会に移行してしまったことを理解していなかった、はずである。