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匿名記事
新聞や雑誌の匿名記事を読んで、直接自分とは関係のない記事なのに、たいそう不快になることがあります。反対にいいものを読んだ、という印象で気持ちが明かるくなる場合があります。
匿名記事といっても、ここでは、一応文字に関りのある記事ということでお話させていただきます。匿名批評記事と言った方がいいかもしれません。
名前を匿すには、あえてそうする理由があるのですから、褒めるにしても貶すにしても、書く人は、その記事に誇りのこてるような書き方をするべきだと思っています。
中略
私がどういう時に不快になるかと申しますと、匿名をいいことにして、自分の感情を甘やかした文章が書かれている時です。
人間ですから好悪の情はあります。生きている間の情は、少しよりもたくさん活用するのがいいとも思っていますが、人の中での行動とか、公にする文章の場合、その情を別の位置からながめる目が必要で、その目のために出場を失う情はたくさんあって当然でしょう。
ところが、この情の看視を怠っていますと、得意になっているのは自分だけで、内容は説得力をもちません。「感情的」であるのにも気づかず、「正義の味方」のような物言いをされるのは不快です。
匿名記事を書く、そのこと自体にすでに優越感を抱いているような人の文章も不快です。私に言わせれば、第一、優越感をもつ理由がありませんし、優越感と誇りとは違います。
それから、他人の仕事を批評するのに、自分だけが通じているのはその一部であるにもかかわらず、一部という認識がほとんどなく、一を以て、恐れ気もなく、十にまで及ぶことを断定しているような文章も読み辛いものです。一つの素材で得た結論が、十の素材にまで自然にひろがって及ぶというのではありませんから。、
いずれにしても、じぶんだけがいい子になって、人を斬りつける卑怯な文章には品格がありません。
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タイトルは匿名記事であるが、批評の作法全般について言えることが書いてある。
特に該当するのが、二重国籍問題を抱えて居直るかみつきガメ、テレビ出演する反日左翼系のコメンテーター、サンデーモーニング出演者全員、政治討論会の司会を長年やってきた田原某が該当する。
保守では、かつて、都知事批判本を書いた、日本保守党の「A」が書いた文章も似た傾向にある。
瀬戸弘幸は日本保守党の都知事選の対応についてかく言及している。
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https://the-radical-right.blog.jp/archives/53481983.html
日本保守党は小池百合子都知事の支持を表明しました。これまで散々批判してきた小池さん
を支持するという態度はどうなのか?
小池百合子都知事をぼろくそに言ってきたのに支持するとは、本当に残念でした。
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今日的視点に立つと、当時あの「A」が書いた都知事批判本における、「批判行為に関する合理的根拠がなく、感情が先走って批判したことを認めた」に等しい。
あの本を出した時点で都知事を支援する側に廻るとは思いもしなかった、、、
都知事と「A」が公開の場で一対一で政治討論した場面を想定したい。
さんざん批判しておいて、「支持する」とはどういうことなのか。
政治スキル的に未熟であるとを認めたに等しいのではないか、それとも過去の批判本は、政治的に子どもレベルの時代に書いたものなので免責される性格のものなのか、、、
同様のことは、都知事選出馬表明した「かみつきガメ」にも当てはまる。
都知事は、学歴詐称疑惑はあっても、政治スキル的に相当なレベルにある、、、
「批判したことで得意になり、優越感を持ち、自分の感情を甘やかした感情的な発言を繰り返すことで、仕事した気になる傾向が強い(かみつきガメ化した)政治家や評論家」は世の中に必要な存在であろうか。
自分で調べ、考え、判断する人にとっては、まったく参考とならない存在であることを指摘せざるを得ないのである。