下記は、いずれも「権威」の悪しき誤用の例である。
・(自称)学者の権威主義的感覚
サンモニは放送局側で用意した原稿どおり、自称学者の出演者たちが、権威主義的に発言する傾向がある番組として知られている。
何の参考にもならないので、番組を見なくなってから20年経過した。
バイデン老醜による危機感から、トランプを「民主主義の破壊者」と決めつけるサンモニの傲慢
https://yukokulog.blog.fc2.com/blog-entry-5318.html
・左翼系フェミニスト社会学者の自己矛盾
ある女性社会学者の生きざまの矛盾が表面化した。
彼女の権威主義的(生き方の)主張のせいで、独身を謳歌し過ぎ、婚期を逃した、美貌のOL女性を知っている。確かに彼女は、全国紙、雑誌などで社会学者の立場から、女性の生き方、世の中の在り方を説いていた。が、その彼女が独身主義と思われた彼女が後妻業?的感覚なのか、安寧を求める目的なのかわからないが、結婚されたそうだ。
また、GHQ焚書に関わった日本人協力者の中に社会学者がいたことが確認されている。
社会学者がこのような自己矛盾を抱え放置するなら、社会学という学問自体、存在する必要のない学問として捉えてもいいのかもしれない。
上野千鶴子結婚報道――矛盾だらけの上野流フェミ論【兵頭新児】
https://web-willmagazine.com/social-history/sap4w#google_vignette
上野千鶴子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%8D%83%E9%B6%B4%E5%AD%90
GHQによる焚書に協力した3人の東大の学者たちの本
https://blog.goo.ne.jp/intel_lifestyle/e/a0c895e5adef90e71ff66dc1dba60edd
・学術会議に何としても「権威」を付与したい、公務員学者たち
公務員学者なのであるから公僕として働いていただきたい。公費にタカリ好き勝手にモノが言え、亡国行為を働いてもお咎めなしということはあり得ない。学術会議の学者たちは、公務員学者であることだけは絶対に譲れないし、税金投入する以上、公務員学者と呼び続けることは当然と考える。
菅政権 vs 日本学術会議――権力(政治)と権威(学術)の闘い
https://news.yahoo.co.jp/articles/80469a348d5ab69e704ee5f7e29799374664b1c0
学術会議改革問題 立命館大学
https://www.ritsumei.ac.jp/~hyodot/semihomepage/kenkyugakujutsu.html
そもそも「権威」とは、狭い組織(学会)の中で、学界仲間の間で貴重な学説を発表した人を対象として大切に取り扱われるものと思ってきたが、昨今の「権威」とは、(広く一般人に対しても適用しようとしている点で)異なる用法となっている傾向にある。
私は、国立一期校医学部卒の医者から「私は●●の権威であることを知らないのか」と言われ、吹き出しそうになるのを(無表情で)必死にこらえたことがある。
このような下賤な人物が医学界の一翼を担っている、、、
いくら著名人、社会的に有能な人でも「権威」を誤用してきた人はたくさんいる。
私は既に地位、肩書に無縁の立場である。勲章、表彰等名誉についてもまったく関心がない。
そういう立場の人に、いろんな場面で(政府機関、テレビ、新聞、雑誌等)、「権威」であることを殊更強調し、無条件で受入れを強要するのは、いかがなものかと思う次第。