ノーベル平和賞受賞の政治的意味

ロシアだけでなく中共、北朝鮮が周辺国への先制攻撃をちらつかせた外交対応、軍備増強、対外侵略を続ける中で、今時、実効性のない核兵器廃絶を訴える活動が評価されノーベル平和賞受賞に喜ぶ現役世代は少数派であろうと予想する。

その視点での出稿であることを最初におことわりさせていただく。

さて、宮崎正弘の読者投稿欄にて、鍛冶氏によるノーベル平和賞受賞について懐疑的な見解が示されている。

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 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024年)10月14日(月曜日。祝日)
        通巻第8458号  
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 読者の声 READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声4)「鍛冶俊樹の軍事ジャーナル(2024年10月13日号)から。
 「被団協ノーベル賞の衝撃」
 ノーベル平和賞は極めて政治性が強い事で有名で、2009年には、当時、米国の現職大統領であったオバマが、単に「核なき世界」という演説をしただけで、それ以外何の実績もないのにノーベル平和賞を受賞したことからも明らかだろう。
 ちょうど半世紀前の1974年に佐藤栄作元首相が受賞したが、佐藤氏は首相在任中の1967年に「日本は核兵器を、持たず、作らず、持ち込ませない」という非核3原則を提唱したことが授賞理由になっている。

 1960年代、中国が核武装をし始め、日本もそれに対応して核武装をすべきとの議論が内外に沸き起こっていた。佐藤氏は、それを否定すべく非核3原則を打ち出したわけだが、当時、米国の核兵器が日本に持ち込まれていたのは天下周知の事実であった。
 だが米ソ冷戦終了とともに、日本に核が持ち込まれる必要はなくなり、非核3原則は文字通り忠実に守られるようになった。
 それから36年後の現在、日本に米国の核兵器を配備すべきという核共有の議論が沸き起こっている最中に、被団協が受賞したのは、国際政治上の背後関係が大きく影響していよう。

 石破氏は総理就任直前に米国のハドソン研究所に論文を寄稿して、核共有を検討すべしとの考えを明らかにしていた。ところが総理就任が決まってからは、トーンダウンし、今回の受賞で事実上、封印せざるを得なくなった。
 中国、ロシア、北朝鮮が核軍拡を進める中で、東アジアの核抑止を維持する唯一の方策が封印されたのである。石破政権が仮に短命に終わったとしても、次の政権がノーベル平和賞の威光を無視して、核共有の議論を進めることは困難であろう。
 今後数年のうちに、東アジアの核抑止体制は確実に崩壊するとみて間違いあるまい。
(鍛冶俊樹)

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主張には賛同する。

ただ、今回の受賞、岸田政権時代の広島G7での核廃絶宣言が影響している可能性がるような気がする。

G7広島サミット 総理の取組 
https://www.kantei.go.jp/g7hiroshima_summit2023/index.html

ここで、日本人のノーベル賞受賞について、素直に喜べない経緯がいくつかあることを指摘しておきたい。

一つは、湯川秀樹受賞の件。
「ユダヤは日本に何をしたか」(渡部悌治)によると、湯川秀樹は、原爆製造に係る重要情報をアメリカ側にこっそり提供し、それが受賞に繋がったとの説がある。

渡部悌治は、経歴、調査活動等から根拠のない情報を発信する方ではない。

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https://www.hmv.co.jp/artist_%E6%B8%A1%E9%83%A8%E6%82%8C%E6%B2%BB_200000000562535/biography/

明治45(1912)年山形県生まれ。東北学院神学部から国学院大学に転学。昭和16(1941)年卒業後、神道大教本局・神道学院に奉職。昭和18(1943)年より、当時ユダヤ研究の最先端機関であった「国際政経学会」監事を務める。敗戦後は公職追放令により職を追われたが、復帰して山形県知事の私的顧問、県出先機関の事務長に。昭和45(1970)年退職後は故郷・酒田市にて隠棲生活を送り、現在は埼玉県狭山市に在住

△△△ 引用終了 △△△

もう一つは、当時本命と噂された三島由紀夫が受賞できず受賞者に川端康成が選ばれた件。それでいて、さほど人気があるとは思えない九条の会の呼びかけ人として知られる大江健三郎が受賞できた件。

当時、ドナルド・キーンは、三島由紀夫、川端康成と親交があったとされる。三島由紀夫についてノーベル賞選考委員会に不正確な情報(三島は共産主義者?)がもたらされそれによって三島が選考対象外となったとの噂がある。

ドナルド・キーンは晩年日本に帰化したが、晩年は、あの九条の会と同様のスタンスでの政治発言があった。

ドナルド・キーン氏が死去「脱原発」「憲法9条は宝」を訴え
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/248227

ドナルド・キーン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%B3

どうやら、ドナルド・キーンの政治的本性は共産主義者だった?ようである。そう考えると、ドナルド・キーンはノーベル賞選考委員会における対日エージェント(一種のスパイ)と変わりがないとの見立てとなる。

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https://histori-ai.net/archives/1403

この番組の中でドナルド・キーンさんが明らかにした当時の状況の証言によると

当時、日本人から受賞者をそろそろ出すべきだという認識が選考委員会の中で高まってきた。
その為、日本文学の翻訳者であり第一人者であったドナルド・キーンに推薦を依頼する(おそらくサイデンステッカーらも同じように依頼されただろう)
キーンは谷崎、川端、三島の3名の候補者の中で作家として受賞に値するのは三島と考える。
しかし、日本社会や日本の文学界は年功序列の制度があり、重鎮である谷崎をとばして三島が受賞すると日本の文学界に大きな混乱を引き起こしてしまう。
更に三島はまだ30代と若い。生きていれば受賞するチャンスはいくらでもある。
そういった経緯から選考委員会から意見を求められたキーンは三島でなく谷崎を最有力者として推薦したという経緯があったことを証言しました。

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かようにノーベル賞受賞には、裏があると考えていい。
ドナルド・キーンは、三島と政治的に合わず、川端を選んだ可能性がある。

すなわち、ノーベル文学賞とは、文学者として評価する以前に、政治的にウマが合うかどうかで決まる世界なのかもしれない世界なのである。

本筋に戻りたい。

鍛冶氏の指摘は、日本に核武装させたくない勢力の仕業との視点であるように思うが、
次期アメリカ大統領がトランプとなる可能性濃厚である前提に立つと、ひょっとすると、彼らは途方もない値段かつ現実的でない条件(持っていても使用不能と変わりない条件?)で日本に核兵器を売りつけるつもりなのかもしれないという見立ても捨てきれない。

要するに、これまで日本人はお人好し過ぎたのである。

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