そういう現象は今に始まったことではない。
マスコミはグローバリスト、中朝韓の味方。真正日本人の味方はではないことは政治活動している人なら常識の話。
よって、マスコミは不要なもの、屠殺感覚で切り捨てるべきものという発想をまず持つべきと考える。
【悲報】石破辞めろデモ、何故か報道されず
http://blog.livedoor.jp/itsoku/archives/62609502.html
以下は、それなりの言論人はマスコミをそう扱っているという事例紹介。
■そもそもマスコミ記事を習慣として参考としようなどという発想を持たない(マスコミについて社会的に絶対に必要なものとして扱わない)
▽▽▽ 引用開始 ▽▽▽
【国際インテリジェンス機密ファイル】 mag2 0000258752
Date: 2025年8月31日(日) 20:18
Subject: ◆高橋洋一『ド文系大国、日本の盲点』を読む
◆高橋洋一『ド文系大国、日本の盲点』を読む
※要旨
・文系の人間と理系の人間の違いは、
物事を数量的に考えられるか、
そうではないかという点だけだろう。
ただし、これは極めて大きな違いである。
・文系の人というのは、
そもそも数量的な考え方ができないから文系の道へ行く。
・私は言葉の定義を重要視する。
・知識のない人にはおそらく創造はできない。
文系の人というのは、
何も知識がなく感性だけで生きている。
感性は、実は知識の人も得ることができる。
・私は、言葉を聞いた時には、
それをきちんと定義しないと気が済まない。
そうでなければ、ふわっとした話にしかならない。
・私の頭の中では、
言葉と数式が、常に並列に動いている。
数式が言葉である、
という理解は文系の人たちにはまず不可能だろう。
・もっとも多義性がなく
曖昧性がない言葉が数式である。
私はまず数式で理解し、
それを言葉で翻訳し、数字と言葉の両方を使う。
・主観とはただのヤマカン。
・タイムゲームという素晴らしき手抜き。
私は仕事を時間ゲームとして捉えている。
それがタイムゲームだ。
・最初から、この時間には何時間かける、
と時間の長さを決めてある。
私は、もともとそういう人間である。
物を書くのも時間で書く。
・わたしは周囲のことは全然気にしない。
空気など読まない。
役所時代もそうだった。
・とにかく早く帰る。
帰ってしまえば、わかりはしない。
腹が痛いなどと言って、いなくなってしまうのである。
・手を抜くときは抜く。
省エネというのは、ある意味で、
手を抜くところは抜くというそれだけのことだ。
・とにかく新聞はまったく読まない。
新聞のヘッドラインを見る。
その多くは役所をはじめとする
いくつかの機関がソースになっている。
だから、そのソースを読む。
日本と国民の知る権利の敵は参政党以下の記者クラブと司法
https://kiyotani.seesaa.net/article/517689132.html
△△△ 引用終了 △△△
■そもそも日本には、客観的な記事を書ける記者が存在しない?
▽▽▽ 引用開始 ▽▽▽
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)9月1日(月曜日)
通巻第8927号
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之聲
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(読者の声1) 日経新聞はプロパガンダ紙
貴誌8926号にて(SSA生)様が8月28日付け日経新聞のトランプ糾弾の社説につき<日本では一流経済紙扱いされながら、同紙は全く世界経済の実相が分かっておらず、結果的にFRBの利益代弁者になっている。誤報や理解不足を通り越して「フェイク」だと言いたい程だ>とものの見事に解説しておられました。
嘗ては日経新聞は経済面は信用ならないが、それ以外はマシと言われた時もありましたが全般的にプロパガンダ紙になったようです。
日経の論説委員長だった芹川洋一氏は2012年12月31日に「1931年からの警鐘」という記事を書かれました。2012年12月は民主党による特亜三国傀儡政権から第二次安倍政権が発足した直後というタイミングです。
そのタイミングで「1931年を思い出せ、日本が仕掛けたことにより満州事変が起こった。今は、日本が仕掛けた尖閣諸島がらみの問題で日中間で戦争が起きかねない状況になっている。そういう状況で誕生した安倍政権を国民が支持し続けるとどうなるかわかるかな、だから安倍政権を支持するのは危険なことなのだぞ」という文脈で書かれていました。
事実を踏まえない書き方はまさに中国共産党のプロパガンダ紙です。
2021年5月31日には「なぜコロナに敗れたのか」という記事を書かれていました。日本が10万人あたりの感染者数、死亡者数で主要国より一桁も二桁も低い事実、主要国で唯一超過死亡がマイナスであった事実を無視された記事でした。
二つの記事に共通するのは事実は無視する、ある方向に持っていく為のキーワードをテンプレートのように使い乍ら日本はダメだと誘導する書き方です。
「緩い、ばらばら、呑気、国家の劣化、世界の三流国」等が巧妙に使われていました。
我々が高校生の頃は、朝日新聞を読めと言われました。社会人になった時には日経新聞を読めと言われました。
業界紙を含め新聞を複数隅から隅まで目を通している人は情報通と見られていました。アメリカに来てからはNYタイムズやウオールストリートジャーナル(WSJ)を読むようになりました。複数の新聞やテレビで報道されることの相違点に気づくことはあっても、基本的には大事なことは報道されるはずだ、報道されていることは概ね事実であろうと無意識に思い込んでいたかもしれません。
重要な事実がどこでも報道されず隠蔽されている、事実が意図的に歪曲されたり、論点ずらしが行われている、などとは露ほども思い当たりませんでした。朝日新聞が実はある勢力の意向に沿ったプロパガンダ新聞であったこと、日経新聞も同様ということには気づいていませんでした。
でも、WSJの編集者から事業会社に転職した人と知り合い、彼から「編集者にとって一番大事な仕事は何だと思う?」と聞かれました。私が、「多くのニュースの中から何を伝えるかを選択することでしょう?」と答えると彼は悲しそうに「多くのニュースの中から、伝えてはならないものを選ぶのが一番重要なことなのだそうだ」’と答えました。
つまり、人々に伝えてはならないものを選択し、それを排除するか書き直させることが一番大事な仕事だというのです。書き直す過程で歪曲されたり、論点ずらしが行われるわけです。
そういう中でエドワード・バーネイズのことを知りました。エドワード・バーネイズは1891年オーストリア生まれのユダヤ人で19世紀末にアメリカに移民してきました。母親はジークムント・フロイトの妹、父親はフロイト夫人の兄というフロイト二重の甥っ子です。PRの父プロパガンダの父とも呼ばれていました。
彼はジャーナリズムの世界に入り、広報分野とプロパガンダの世界で活躍し、ウィルソン大統領の広報委員会にも所属しました。
女性が堂々とタバコを吸えるようにとラッキーストライクから依頼され「Torches of Freedom」という標語を作り出しニューヨークでイースターパレードにタバコを吸う女性を大勢行進させ女性の喫煙は自由の象徴というプロパガンダを成功させました。(1929年)
ユナイテッドフルーツ(現在のチキータバナナ等)では、CIAと協働し1954年にグアテマラ政府のクーデターを成功させました。
彼が書いた「プロパガンダ” 」(1928年)という本の中で、彼はこう述べています。
「大衆の習慣や意見を意図的に聡明に操作することは民主社会において重要な要素である。そして大衆にそれと気づかれることなく習慣や意見を操作できる者が見えない政府(ディープステイト)の構成者であり、アメリカの真の支配者である。我々は大概聞いたこともない人々により気づかずに、支配され、思考は型に嵌められ、嗜好が形作られ、アイデアが暗示されている」
(費府の飛行士)
(宮崎正弘のコメント)1985年だったと記憶しますが、日本経済新聞の会長社長、編集局長以下の幹部70名ほどに連続インタビューし、『ザ・日経』(上下弐巻)を上梓しました。そのときは日経がほかのメディアの中でもっともり冷静で客観的でした。
しかし中国報道だけはおかしいので筆者は、「日経の中国報道はなっていない」と書いています。
△◎☆△ど◇☆◎◇く△□◎☆し◎△☆や◎☆△◎
△△△ 引用終了 △△△
■記事を読んで情勢分析するのではなく、日常の調査活動にて情勢分析することを習慣化する
調べる、分析する、わからなかったら問合せする習慣さえあれば、報道されない事案が存在しようと、ネットで検索可能な情報でそれなりに情勢分析できるようになる。
マスコミが報道しないからマスコミが問題と言うのではなく
活動家だらけの新聞社など存在に値すると思わず
(自分で調査分析して情勢分析しようと考えるなら)最初からマスコミなど当てにしようと考えず
マスコミに調査・分析能力などあるはずもないという前提で
自分で調べ分析し、わからない点は問合せし、論点整理したうえで問題提起、提言した方が(役に立つ)確からしい情報が得られると考えるべきである。
業務上対応した、全国紙OBの書いた文章は正確さを欠き、プロが書いた文章に程遠いものであった。
業務上の対応として、やむなく添削して返送したため、現役記者の抗議を後日受けたが、「記事に事実誤認があった場合は修正する」という条件で取材を受付るとの前提での対応だったことを指摘、その件の対応は収束した。
そもそもスキルがなく、(官僚出身の保守系言論人と動画で共演し保守を装ってはいるが、実態は書く前からシナリオをイメージしてから)文章を書くマスコミ記者(OB)など、正確かつ客観的な情勢分析できるはずがないのである。