規定演技としての言論活動
かつて、フィギアスケートには、コンパルソリー、ショート、フリー、三種類の演技種目があった。
個性的な選手は、コンパルソリーよりもフリー演技を好む。しかし、バランスのとれた、実力ある選手は、どれもきちんとこなす傾向にある。
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https://woodbat3.com/2752/
トリプルアクセルを得意とした伊藤みどりは、コンパルソリーが苦手でコンパルソリーでは常に下位出発ということが多かったようです。
逆に、渡部絵美はコンパルソリーの方が得意で、ショートプログラム、フリーと徐々に順位が落ちるということが良くありました。
フリーが好きという選手には、苦手、好きではないというコンパルソリーですが、世界上位の選手のほとんどは、コンパルソリーも綺麗に描くという選手が多くいます。
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ビジネスの世界に当てはめてみたい。
コンパルソリーを避け、フリーだけを選ぶ部下は、人事考課的にマイナス評価となりやすい。部下には仕事を選ぶ権利がないからだ。
言論界はどうか。
一言で言うとコンパルソリーをやりたがらない方が多い。なぜそうなるか。
言論界を担う学者たちが、学問の自由に甘え、コンパルソリー的な活動をしたがらないことに起因している。
日本学術会議、サンデーモーニングに出演する自称学者たちも同様。
やりたくないことはまったくせず、やりたいことだけでカネが貰える、不思議な世界と言わなくてはならない。…