保守派の二つの弱点

先の選挙結果を眺めていると、保守派でもミーハーみたいなことを語った候補者が、やや正統派で正論を述べていた候補者よりも得票している。

こういう世情でいいのかどうか。正統保守派は、考えなくてはならない。

選挙に際し、保守だ、愛国だと言ったところで、あまり票には結びつかない。特定団体幹部から寄付を得るためには必要。有権者は、候補者を別の視点で眺めている、ことに我々は気づくべきである。

候補者の学歴、職歴、そして雰囲気は大切だ。政策もしかり。しかし、抽象的な正論を述べたところで有権者は振り向いてはくれない。

手が届くレベルでの実現可能な政策を具体化する取り組みが求められる。



事例的には、山田太郎議員の政策は無党派の有権者受けするような気がする。

―― 参考情報 ――――――――――

「子ども庁」創設に向け、遂に始動!!Children First、すべては子どもたちのために!
https://taroyamada.jp/?p=13394

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次回の国政選挙を意識してか、消費税無税化を主張する議員もいる。

―― 参考情報 ――――――――――

自民若手が消費税ゼロ提言、なぜ? 中心メンバー・安藤裕氏に「真意」聞いた
https://www.j-cast.com/2020/03/19382643.html?p=all

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実現の可能性は?だが、言わないよりはいい。
主張するなら、手の届くレベルの、「再エネ賦課金」の全部または一部(深夜電力分)の政府負担の方が、有権者受けするような気がする。
これだと、生活に直結する実現可能性がある政策として見做される。


ただ、真面目過ぎる保守系議員は、具体的かつ実現しやすい政策の企画・立案を得意としていない。どちらかと言うと、中韓北朝鮮に対する強硬姿勢が目立ち、左翼政党が掲げる施策への反対活動に熱心に取り組んでいるように見える。


保守派の弱点は、もう一つある。


ホンネで語り過ぎて、タテマエの論理を掲げることがなく、最終的に(間違った)政策のタテマエを崩せないことである。

一般論として、何がタテマエで何がホンネなのか。区別がついているのかと思うことがある。世の中、立場によって、タテマエとホンネが正反対となるケースが結構ある。(一般論)

守旧派と改革派は、まさにそうだ。年配の天下りと現役の民間人もそうなるように思う。

そして、政治の世界、あまりホンネが通用する世界ではない。

国会審議、法律等、保守主義者がホンネで言えば言うほど、イデオロギー的主張と見做され、話が通らなくなるだけでなく、聞いてもらえなくなる。

「保守主義とは何か」(宇野重規)で、「保守主義者による本が、しばしば保守主義についての解説を超えて、自らの正当化へと向かう………」としている。

ここで言うホンネとは、「事象の分析、対策等の解説を超えて、(不必要な場面で)自らを正当化しようとする行為」を指す。

ホンネは、とかく、イデオロギー、感情論、不満と見做されやすい。とかく、世の中はホンネで語り過ぎる人を避けるものだ。

裁判においてはどうか。裁判所が使う法律用語に習熟していなければ、敗訴する。法律知識ない素人が、ホンネの論理で本人訴訟して勝訴できる余地はほとんど?ない。

保守派の主張は、(左翼勢力が掲げる政策について)ともすればホンネベースで論評する傾向がある。おまけに、文書内容的に、不満を述べた程度の内容であることが多い。特に、代替措置として、どうすべきか、という視点が欠落している。

外国人の土地購入事案が該当する。
問題だー、問題だーと述べ、騒いだだけだった。確かに問題ではある。
しかし、こうして欲しい、こういう条文にすべきだ、こういう法律ができないのか、となぜ主張しないのか。
不満である、不満であると述べただけで政治は変わる、はずはない。


文書にして纏める意味はここにある。
文書には、オフィシャルな文書とそうでない文書がある。後者は「私信」でしかないため、前者について述べさせていただく。


オフィシャルな文書については、当然の如く格式語、タテマエの論理でシナリオ構成される。ホンネで語る余地はない。許認可文書、陳情文書、学術論文、文献価値ある書籍みなそうである。

若い頃、本省の課長から会社の役員に「出入り禁止の通告」を電話で受けた先輩社員が居た。タテマエとしての本省との対応を間違った。この先輩社員は、本省で土下座した噂がある。お役人様はかように偉かった時代のことである。

許認可文書、陳情文書、学術論文の存在を否定する人は、世の中を知らない(タテマエとホンネの区別がつかない)子供みたいなもの。出入り禁止の電話をわが社の役員にしてきた本省の課長は、わが社に(タテマエを理解できない)子供を二度と寄こすなと言ったに等しい。

簡単に言うと、ホンネで語った文章で纏め過ぎると、許認可文書、陳情文書、論文として扱われない。従って、タテマエとホンネの距離は、存在すると考えなくてはならない。

ただし、冷静に考え、粘り強く考え、本質的な論点がどこにあるのかを検討する文章化作業の中で、タテマエとホンネの距離は縮まる。

拙ブログは、思考結果をまとめたものが多い。

そうする理由は、「通用しそうなタテマエ」の論理を見出すためのプロセスと受け止めたからである。

たとえば、男女共同企画局の存在。多くの保守派は、男女共同企画的政策をホンネではとんでもないと思っている。
しかし、彼らの左翼論理、彼らが掲げるポリテイカルコレクトネス的ロジックを覆すところまでは来ていない。

ここに、保守派のホンネの世界での弱さがある。
ホンネで崩せないなら、(文章作文上)タテマエを編み出すしかない、ことになる。

実は、子ども庁新設により、(出過ぎた存在となった感のある)「内閣府 男女共同参画局」の存在を(子ども庁と比較し)マイナーな存在に格下げできる可能性がある。

男女共同企画局の格下げを、子ども庁新設、子ども関係部局の格上げによって実現することも、立派なタテマエの一つと受け止めるのである。



以上

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